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アシュラム滞在記(10) ライブラリアンの正体 【世界旅行記057】
2012年10月26日(金) ヨガ・アシュラム滞在(YOGA NIKETAN)
10月26日、金曜日。
例の「ライブラリアン」と親しくなった。妻が足しげくライブラリに通ったことが功を奏したのか、2人とも熱心に瞑想に取り組んでいるのをいつも横で見ていたからか、無口で伏し目がちな彼が、少しずつ挨拶を交わしてくれるようになり、目線を合わせてくれるようになった。ほとんど会話はなくとも、わたしたちのあいだに、だんだんと関係ができていくのを日々感じていた。
そして、昨日のチャイの時間のこと。ついに彼が重い口を開き、たどたどしい英語で、ぽつりぽつりと身の上話を語ってくれた。それは、あまりにも壮絶なストーリーだった。
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彼は名をヨーギ・ラージ(Yogi Raj)という。ヨガの道に生きて14年になる。やはり、ただの「ライブラリアン」ではなかった。
いまから12年前、修行をはじめて2年経ったとき、彼は本名を捨て、ヨーギ・ラージと名乗りはじめた。相当な修行を積んだ者でないと「ヨーギ(もしくはヨーギーと発音)」という名は与えられないものだと聞いていたが、どうやら自分でも勝手に名乗れるものらしい。とはいえ、それは一切の世俗を捨て、家族と離れ、結婚もせずに一生を送ることの宣言でもある。ほかの2人の瞑想の先生は、ともに熟練者ではあるが、名前に「ヨーギ」は入っていない。彼は、そういう離俗の道に生きることを自ら決めた。14年のあいだ、定住地もなければ、家族にも会わず、こうしてアシュラムや修行の場を転々としながら孤独に過ごしている。今後もずっと、そうやって生きていく。
かつての彼は身体が弱く、あちこちに痛みが生じて、とても生きていけないと思ったらしい。仕事もできない。精神的にも病んでしまったのか、10回以上もガンガーに飛び込もうとしたという。彼は、重く壮絶な過去を背負っていた。ただならぬ気配には、理由があった。
その後、彼はヨガの道に生きることを決め、師を見つけ、修行に励んだ。ヨガをはじめてから身体の調子は回復し、いまでは心身ともに健康だという。
日本では、ヨガというとエクササイズ程度にしか認識されていないが、実際には、それはヨガという大きな考え方のほんの一部に過ぎない。そもそも「ヨガ」という単語は、英語で<union>を表し、アートマン(自我)とブラフマン(宇宙を支配する原理)を<つなぐ>という意味がある。
ヨガの修行は、8つの段階から成り立つ。最初の2つ、ヤマ、ニヤマは、非暴力や非殺生といった道徳的・宗教的規律を守ること。3つ目はアーサナといって、これがいわゆる身体を動かすポーズのこと。その後、プラナヤマ(呼吸の制御)、プラティヤハラ(感覚の制御)、ダラナ(集中)、ディアナ(瞑想)という段階を経て、最後はサマディ、すなわち意識を超越した「無の境地」に至る。
ヨガの道に生きるとは、このように、ただ身体を動かしてポーズを取るのではなく、最終的に「無の境地」に至ることを目指していることを示す。もちろん、素人のわたしには、この「無の境地」というものが、どんな状態なのか想像もつかないが……。
彼は、最初の2年でアーサナに取り組み、体調を回復させた。一度身体が整うと、もうアーサナをやる必要はないらしく、それ以後はほとんどやっていないという。瞑想の先生も、いまはたまにやる程度だと言っていた。日本での「ヨガ=アーサナ」というイメージは、実態とはずいぶんかけ離れたものであることを、こちらに来てはじめてわたしは知った。
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こうして、ほとんど誰とも口を聞かない彼が、少しずつ心を開いてくれたことに、わたしたちは深く感謝した。それ以来、彼は何でも気さくに話してくれるようになった。ちょっと人見知りが激しいのと、英語に自信がないのとで、どこか近寄りがたい雰囲気になってしまっているが、話してみると穏やかで、ときどき笑いもする、とても普通の人だった。
いつかは自分も、ほかの瞑想の先生たちのように、英語でレクチャーできるようになりたいという。そのために彼は、毎日少しずつ、ライブラリで英語の勉強に励んでいたのだ。彼の方法では、英語を流暢に話せる日は途方もなく遠い気もする。しかし、彼にしかできないレクチャーが、きっとあると思う。わたしはそれを聞いてみたいと思った。
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夜、ガンガーを見下ろす高台に立ち、彼の重く過酷な半生を、あらためて思った。
月明かりがかすかにガンガーを照らし、小さな波の一つひとつが、きらきらと煌めいていた。遠くからは、ゆっくりと穏やかに流れているように見えるこの河も、近くで見ると思いのほか流れの速いことを、わたしは知っている。この雄大な河の流れに、何度も飛び込もうとした彼。薄闇のなか、けっして流れを止めることのないこの河は、思わず背筋の凍るような冷徹さを感じさせる。優しいようでいて、この河は冷たい。若き日の彼に思いを馳せ、思わず胸がいっぱいになった。
幾度も見てきたガンガーが、はじめてわたしのなかで、なにか大きな意味を持つ河のように思えた。中島みゆきの歌声が、地鳴りのように心の奥底に響きわたってきた。わたしは、この人の歌声に、いつも救われてきた。天空に輝く月は、すべてを見通しているかのように、じっと、ガンガーを照らし続けていた。
『月はそこにいる』 中島みゆき
逃げ場所を探していたのかもしれない
怖いもの見たさでいたのかもしれない
あてもなく砂漠に佇んでいた
思いがけぬ寒さに震えていた
悠然と月は輝き まぶしさに打たれていた
あの砂漠にはもう行けないだろう
あの灼熱はもう耐えないだろう
蜩の声 紫折戸ひとつ 今日も終いと閉じかけて
ふと 立ちすくむ
悠然と月は輝く そこにいて月は輝く
私ごときで月は変わらない
どこにいようと 月はそこにいる
悠然と月はそこにいる
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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。