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アシュラム滞在記(12) 時間と空間で生活を区切る 【世界旅行記059】
2012年10月28日(日) ヨガ・アシュラム滞在(YOGA NIKETAN)
10月28日、日曜日。
アシュラムでは、やるべきことの時間が決まっているから、それに従っているだけで、自然と生活のリズムが整う。生活のリズムが整うと身体の調子がよくなり、身体の調子がよくなると精神も安定してくる。そういうことは、ここに来て早々に実感したが、滞在を続けるなかで気づいたことが、もうひとつある。
それは、時間だけでなく、空間でも生活を区切ることの重要性である。アシュラムでの生活は、やるべきことの時間が決まっているだけでなく、やるべきことの種類ごとに、それを行う場所が異なっていることに気づいたのである。
つまり、ヨガはヨガ・ホール、瞑想はメディテーション・ホール、食事は食堂と、それぞれ行う場所が決まっている。それらは別個の建物になっており、基本的にその行為はその建物でしか行わない。本を読むのはライブラリだし、音楽をやるのはライブラリの2階の音楽室と決まっている。自分の部屋で楽器を演奏することは許されないし、ライブラリの本は持ち出し禁止である。食事も自分の部屋へは持ち込めない。このように、生活の機能ごとに行為の場所(建物もしくは部屋)が明確に区切られている。こうなると自分の部屋は、ほとんど睡眠とトレイとシャワーだけのための部屋になる。
そして、こうして区切られた空間に、さらに時間の制限が加わることで、生活がより律される。アシュラムでの1日は、こうである。午前は、5時からメディテーション・ホールで瞑想、6時半からヨガ・ホールでヨガ、8時から食堂で朝食、9時から11時までライブラリで読書、12時から食堂で昼食。午後は、14時からライブラリで読書、15時15分からヨガ・ホールでレクチャー、16時から食堂(もしくは庭)でチャイ、17時からヨガ・ホールでヨガ、18時半からメディテーション・ホールで瞑想、そして20時から食堂で夕食。その後は自室へ戻って就寝となる。月曜と金曜だけは、夜21時から21時半まで音楽室で楽器を演奏し、歌をうたう。日曜は、朝6時半からヨガ・ホールとメディテーション・ホールを掃除。長時間の外出ができるのは、原則として日曜のみとなる。
このように、生活を時間と空間で区切ると、一つひとつの行為に、より集中するようになる。たとえば、ライブラリは1日のうちで午前と午後合わせて3時間強という、わずかな時間しか開いていない。最初は、なぜもっと長く開放しないのか疑問に思ったが、しかし1日のうち、この限られた時間しか本が読めないと思うと、今日はなにを読もうか、ここまでは必ず読もうなどと目標ができて、読書に没頭できるのだということに、だんだんと気がついた。
楽器演奏にしても、月曜と金曜のたった30分しか楽しめないとわかっているからこそ、逆にその時間が楽しみになるし、その限られた時間をめいっぱい楽しむようになる。これがもし自分の部屋に楽器があったら、いつまでもだらだらと触ってしまって、ありがたみがなくなってしまう。
ほかに例を挙げれば、日曜の外出に備えて、平日のあいだに必要なものを書きそろえるようになるし、決められた時間の食事に向けて、毎回の食事量をコントロールするようになる。次に食べ物にありつけるのは4時間後だと思ったら、それまでに必要だと思う量をきちんと摂るようになる。部屋にお菓子があったら、間食すればいいやと思ってしまって、なかなかこうはならない。
この気づき、すなわち、「ひとつの行為に集中するために時間と空間を制限する」という生活スタイルは、考えてみればしごく当たり前のことなのだが、わたしには非常に新鮮に感じられた。人は意識しないと、だらだらといろんなことを同時にやろうとしてしまう。あるとき、時間が惜しくなって、ベッドに寝転がりながら音楽を聴き、ぐだぐだと身体を動かしてストレッチしながら、同時に片手で本を持ち、読書までしようとした。こうなると、もう愚の骨頂で、どれひとつとして満足いく結果は得られない。時間が惜しいと言いながら、無意識のうちにいちばんムダな時間の使い方をしているのである。
都会のひとり暮らしなどはこの典型であって、同じ部屋で食事もすればテレビも観るし、勉強もすれば睡眠も取る。しかもひとりだから、時間も自由で無制限。その結果、毎日だらだらと無意味に過ごしてしまう。なんだかなあ、という感じである。
これを避けるために、時間だけでなく空間も区切ってしまえ、という考え方は、実にしっくりと受け入れられる。もちろん、都会のひとり暮らしでは、そう簡単に空間を区切ることはできないが、とはいえ、9時から11時まではスターバックスで読書するとか、家の外の空間も活用することで、ある程度は時間と空間を規定した生活が送れるのではないかと思う。いずれにしても、時間を区切るだけでは、よほど強靭な意志がない限り、自分ひとりでルールを守ることは非常にむずかしい。しかし、空間まで区切ってしまえば、かならず移動が必要になる。そこへ移動しなければ、やりたいことができないのである。そうすることで、強制的にひとつの行為に自身を集中させられる。
将来、家を建てるような機会があれば、たとえ小さくても、「読書室」「インターネット室」「視聴覚室」「音楽室」「瞑想室(なにも置かない部屋)」など、機能ごとに3畳程度の小部屋を用意するのも悪くないと思った。その場合は、もちろん読書室には本しか置かないし、インターネット室にはパソコンのみ、音楽室には楽器のみと、各部屋に置く道具も限定する。まちがってもインターネット室にお菓子を持ち込んだり、音楽室に本を持ち込んだりするのは厳禁である。
このアシュラムで、時間と空間を区切った生活スタイルを体験し、日本に帰ってから生活する上での大きなヒントを得たように思う。こんなふうに、よりよく生活するためのヒントをあちこちで得られるから、旅はやっぱり楽しい。
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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。