アシュラム滞在記(6) ライブラリにて 【世界旅行記053】
2012年10月20日(土) ヨガ・アシュラム滞在(YOGA NIKETAN)
10月20日、土曜日。
10月も後半だというのに、日中は30度を超える暑さになる。しかし、朝晩は日に日に少しずつ寒くなっていくのを感じる。セーターやパーカーが必要なくらいに冷え込む。先生たちは、クルターの上に白やオレンジのストールを羽織るようになった。ストールをまとうと格段に風格が増して見える。これが様になっていて、実にかっこいい。わたしも先生たちと同じように、ここでは白いクルターとパジャーマー(ニューデリーでオーダーしたインド服上下)を着て生活しているが、さらにストールも欲しくなってきた。そう言うと妻に「なにごともカタチから入るのね」と笑われた。
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バルコニーでは本も読めないくらい陽射しが強かったので、午前中はライブラリですごした。
ライブラリでは、2人の先生が黙々と読書に耽っていた。若い先生は熱心にメモまで取っている。ときどきマスターのような年配の先生に質問を投げかけているので、さぞかし難解なヨガの奥義でも訊いているのだろうと思って耳を傾けてみると、ただ英語の綴り、それも<speak>の綴りを確認しているだけだった。わたしだったら、そんなことは辞書を引いて調べろよと思うところだが……。2人の関係がいまひとつわからない。
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レクチャーの時間になって、驚きの事実が発覚した。「マスターのような年配の先生」は、なんと先生ではなかった。初日の瞑想の時間に先生役を務めていたのは、間違いなくこの「マスター」だったので、わたしたちは当然のように瞑想の先生として認識していた。ところが「マスター」は先生ではなく、なんと「ライブラリアン」だというのだ。(本当の)瞑想の先生いわく、彼のことは「ライブラリアン」であること以外、なにも知らないとのこと。これには驚いた。
このアシュラムには、瞑想の先生は2人しかいないという。では、初日の「マスター」はいったいなんだったのかというと、どんな事情かは知らないが、もうひとりの先生が「マスター」に代役を務めさせたらしいのだ。わたしたちはとんだ勘違いをしていた。
しかし、わたしたちが勘違いするにも相当の理由があった。「マスター」の風貌が、いかにもヨガを極めた達人ぽいのだ。(苦行を続けてきたせいで)体は痩せ細っており、(物欲を排除するために)つねに古ぼけたよれよれのクルターを着ている。(俗っぽい人々が嫌いなので)食事中はつねに哲学者のようなしかめっ面をして、誰とも交わらない。(四六時中瞑想状態にあるので)必要最低限しか声を発しない。 ―― 以上、カッコ内はすべてわたしたちの勝手な推測。
というわけで、彼は(わたしたちにとって)このアシュラムでいちばん謎に包まれた男だった。その男に近づき、すこしでもヨガの奥義を聞き出すことが、わたしたち夫婦の秘めたる目標でもあった。それが、ただの「ライブラリアン」とは……。人は見かけではわからないものだ。
ちなみに、この「ライブラリアン」の仕事は、わたしが観察した限り、午前9時のライブラリの解錠、11時の施錠、そして午後2時にまた解錠、3時15分に施錠。これしかない。このごく短い開館時間中、ライブラリアン自身が読書に耽る。とくに図書棚を整理したり、掃除したりする様子は見られない。残りの時間はすべてフリータイム。こんな仕事なら、わたしもやりたい。
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