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アシュラム滞在記(13) 満月の夜(完) 【世界旅行記060】

2012年10月29日(月) ヨガ・アシュラム滞在(YOGA NIKETAN)

10月29日、月曜日。

アシュラムを出る日が迫ってきた。最初はミニマムの12日間で予約していたが、途中で4日延長し、合計16日間の滞在となった。デリーに戻る列車を押さえてあるので、これ以上は延泊できない。明日、アシュラムを出る。

今夜は満月。夕方の瞑想は、いつもと違って先生の誘導が一切ない瞑想、サイレント・メディテーションだった。満月の日は、心が乱れやすくなる。イライラしがちなこの日こそ、自分の力で集中し、自分自身の感情を確かめなさい、とのことだった。ちなみに、先生の誘導がなければ瞑想に入れないようでは、車なら仮免許の状態、とても1人で運転できるレベルにはないという。独り立ちへの道のりは遠い。

今日は、これまでの1日と何も変わらないのだと自分に言い聞かせながら、いつも通りに、つとめて自然に振舞おうとした。けれども、ことあるごとにスタッフから「明日行っちゃうんだろ?」とか「明日は何時に出るんだ?」とか声をかけられると、やはり意識してしまって、案の定、なんだか落ち着かない1日になってしまった。瞑想の最中も、アシュラムでのいろいろなできごとを思い起こしてしまい、なにも考えない状態からはほど遠くなってしまった。

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そういえば、昨日、いかつい顔をした老年のマネジャーに叱られた。ガンガーが見下ろせる高台で、妻のアーサナ(ポーズ)の撮影をしていたところ、「ヨガは外でやるものではない、それに何かのパフォーマンスが始まったのかと思ってスタッフが集まるから迷惑だ」という。つまり、そんなはしたない行為は慎みなさい、というのである。わたしたちだって、そっと撮影していたかったが、次から次へとスタッフがやって来ては、ポーズが少し違うとか、ああでもこうでもないとか、見物人が耐えなかったのである。彼らはみな好意的で、撮影しやすいようにアーサナの写真を持ってきて掲げてくれたりもしていた。マネジャーは、その様子をマネジメントオフィスから苦々しく見ていたらしい。とはいえ、その場所でヨガをやっている人は毎日のようにいたのだが……。

しかし、ここでいちばん興味深かったのは、その注意の仕方である。撮影場所とマネジメントオフィスは目と鼻の先にあって、オフィスから出て声をかければ聞こえるぐらいの距離にある。ところが、彼らは直接声をかけてこないのである。どうするのかというと、いったんアシュラム入口の警備室に電話をかけ、警備員がわざわざわたしたちのところへやって来て、「マネジャーが来いと言っているから、いますぐオフィスへ行け」と言って呼び寄せるのである。

彼らは権威を見せつけたいのだろうか。お前らは、こちらから出向くような上等な人間ではない、とでも言いたいのだろうか。あるいは、ただ単に身体が不自由で動けないのだろうか(とてもそうは見えないが)。日本人のわたしからすると、あまりに奇妙だし、不快なコミュケーションの仕方だった。注意されたことよりも、その奇異さにわたしたちは驚いてしまって、しばらく呆然としてしまった。

このアシュラムのマネジメントへの不満は、これまでにもいろいろな人が口にしていて有名だったので、わたしたちはこの偏屈な老人のことは忘れるようにつとめた。外国人には挨拶すらしないが(わたしは一度挨拶したら無視された)、インド人の集団、それもちょっと偉そうな人たちがやってくるとやけに気を使って、普段は見向きもしない食事の場面にも様子を見に来たりするような人なのである。ヨガに参加するわけでも、瞑想に参加するわけでもない。毎朝の礼拝(宗教的儀式)にだって出ない。この人の役割と存在意義は、ちょっとよくわからないままだった。

カーストの影響もあるのかもしれない。アシュラムにはたくさんのスタッフがいるが、みな細かく仕事が分かれている。掃除専門の人、調理専門の人、庭いじり専門の人、工事専門の人……。プージャ(礼拝)だけのために雇われている人だって、少なくとも3人はいた。そういうカーストなのだろうと思う。彼らを見ていると、朝のプージャが終わったあとは、ほとんど仕事などしているようには見えない1日を送っている。いずれにせよ、こうして細分化された仕事と上下関係が、あのようなマネジメントスタイルに影響しているのかもしれない。いや、むしろ、あの人たちの人格は、そういう影響によってやむを得ず形成されたものであってほしいとも思う。

2週間もいると、スタッフたちともすっかり仲よくなって、いつも和気あいあいとすごしていたが、スタッフと仲よくなるということは、マネジメントから嫌われるということでもあるのかもしれない。スタッフがマネジャーの言動をものすごく気にしてすごしていることは、様々な場面で手に取るようにわかった。アーサナの撮影時に進んで手伝ってくれたスタッフは、あとでわたしたちのところへやって来て、「ごめん、怒っていないか?」と気遣ってくれた。

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夜のキルタンも今日が最後。お礼の気持ちも込めて、ハルモニウム(ふいごオルガン)を弾かせてもらった。帰り際、若いスタッフのひとりに、明日で最後なんだと告げると、「もう行っちゃうのか?」と悲しい顔をした。暗闇のなか、目が潤んでいるのが見えて、わたしまで悲しくなった。インド人は情に厚い。一度仲よくなったら、「死ぬまでマイ・フレンド」という意識で付き合ってくれている気がする。後ろ髪をひかれる思いがした。

妻に連れられるがまま、よく知りもしないアシュラムに滞在して、気がついたら毎日、ヨガと瞑想に明け暮れていた。最初は、こんなにいろいろなことを考えさせてくれる場所だとは思いもしなかった。気に入らなかったら、妻を残して先に出ようと思っていたくらいなのだから。

アシュラムには日本人も多かったが、さいわいなことにわたしたちがいた期間は外国人も多く、わたしたちが会話しただけでも、スイス、オーストリア、イタリア、フランス、オランダ、スウェーデン、セルビア、ロシア、オーストラリア、カナダ、アルゼンチン、メキシコ、と極めて国際色豊かな顔ぶれだった。1人で訪れる人が多く、ヨガも瞑想も参加しない人も意外と多かったけれど、みな何かしら「心の平安」や「よりよい生活」といったものを、どこか探し求めているように思えた。

片腕ぜんぶ刺青のスウェーデン人青年は、最初は話すのもはばかられたが、いざ話してみると驚くほど穏やかで紳士的だった。彼は、いつも自室の前で読書に耽っていた。深くは聞かなかったが、何かを考えたくてここに来ているように感じられた。いわゆるヨガのポーズを上達させることが目的で滞在している人は、ほとんどいなかったように思う。それゆえ、気が通じ合うことも多く、毎食をともにしながら、いろいろな話をした。さながら、老若男女が集う学生寮で生活しているような感覚だった。いろいろな人間模様が、かいま見えた。

妻が、「この旅の終わりに、またこのアシュラムに戻ってきて、呼吸を整えてから帰国するのもいいかもね」と言った。悪くないと思った。毎年、秋になるとここへ2週間ほど滞在するという日本人女性もいた。もう6年目になるという。そういうのもいいなと思った。あらゆる雑事・雑念を解き放ち、生活を整える場所が世界のどこかにあるというのは、しあわせなことだろう。わたしたちも、まずは旅を続けながら、すこしでもここでの生活を真似できるようにしてみたい。さすがに毎朝、4時半起床はむずかしいと思うが……。

明日は、ヒンドゥー教の聖地・ハリドワールへと向かう。そこで1泊してから、デリーに戻る。わたしたちの旅は、まだ続く。いつまでも感傷にひたってはいられない。

チャイの時間になると、よく屋上にあがってみんなで話をした。
この写真を撮ったとき、彼らはサルの話題だけで30分は盛り上がっていた。

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。


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