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ヴィパッサナー瞑想 Day10〜11 これがコミュニケーションだ 【世界旅行記098】
2013年1月27日(日) ヴィパッサナー瞑想 Day10〜11 - 回想 -
2013年1月19日(Day10)
朝から雨が降り続いていた。実質最終日の今日は、メッター・パーヴァナーという新しい瞑想法を習った。いわゆる「慈悲の瞑想」というやつで、わたしが最初にヴィパッサナーの本を読んだときに書いてあった瞑想法である。心のなかで「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」などと願いの言葉を唱える。唱える内容自体は宗教とは無縁だが、それでも神社へ行っても願いごとなどしないわたしには、やや抵抗感がある。しかし、これも妄想と一緒で、言葉で具体的にイメージすれば、結果的に心がそちらへと向いていくということなのだろう。誰にも無害なことを願っているのだから、悪いことではない。
11時に「聖なる沈黙」が解かれた。瞑想ホールを出れば、コミュニケーションが許される(身体接触は除く)。わたしは、まだまだ誰とも話したくなかった。もっとひとりで修行を続けていたい気持ちのほうが強かった。
部屋へもどる道すがら、ひとりの参加者とすれ違って自然と微笑みあった。10日ぶりに、自分の顔が笑った。自分の顔に表情がついた。顔じゅうの筋肉が動くのを、まるでスローモーションを見ているかのように、ありありと感じた。自分の顔なのに、自分でないような気がした。はじめて表情を持った赤ん坊とは、こんな気持ちだろうか。このときの感覚を、わたしは一生忘れないと思う。
これが、コミュニケーションだ。10日間の体験の共有が、たった一瞬の笑顔でたがいを通じ合わせた。一度も話したことのない相手なのに、一言も発さずに気持ちが通じている。微笑む以外に、なにもする必要はない。そこに言葉はいらない。これが、意思疎通というものだ。これが、生きているということなのだ。このときほど「生きている」という実感を強く持ったことは、なかったかもしれない。自然と目頭が熱くなっていた。
いま、わたしは静寂のなか、じっと座り続けることができる。ひとり静寂とともに生きる力を、ここで得た。それは修行の成果だ。しかし、わたしが目指しているのは出家することでも、悟りを開くことでもないだろう。この俗にまみれた人間くさい世の中にいて、快・不快のあらゆる刺激を受けながら、それでもそうした刺激とうまく付き合って暮らしていく。それがわたしの目指すところではないか。あらゆる刺激を遠ざけるのではなく、一つひとつの刺激とうまく距離を取っていけるようになりたい。好きな人も嫌いな人もいるけれど、それでもわたしは人間に揉まれて生きていたい。そう確信できた瞬間だった。
「聖なる沈黙」が解かれ、「自分が笑った」という感覚を得た。新鮮だった。それだけでも、この10日間の苦行を耐えた意味があると思えた。
ダイニングホールでは、「しゃべれる!」という喜びにあふれた参加者たちが、ひっきりになしに話し続けていた。わたしにも、いろいろな人が話しかけてくれた。どうも日本人ということで珍しく見えたのか、期間中もいろいろと気にかけてくれていたらしかった。わたしがいろいろな人をつぶさに観察していたように、彼らもわたしのことを観察していた。
ずっとムスッとして無愛想に見えたおじいさんも、今日はにっこり笑ってくれた。あんな子どもみたいなクシャクシャな顔で笑うとは、思いもしなかった。あの落ち着き払った欧米人の男性が、こんな高い声で調子よく話す人だとは、思いもしなかった。頑固で排他的に見えたあのマレーシア人が、わたしにも気さくに話しかけてくれるとは、思いもしなかった。
知らないあいだに、わたしのなかで勝手にその人のイメージが出来上がっていた。みんなもっと無愛想だと思っていた。当たり前だ。しゃべってはいけない、表情も出してはいけないのに、愛想よく見えるはずがない。みんなもっとわたしに冷たいと思っていた。被害妄想もいいところだ。
両隣の部屋の住人とも、はじめて話した。「はじめまして、お隣さん」 ― そんな不思議な会話である。しかし、同じ時間を共有した仲間は、すぐに打ち解ける。言葉は多くなくとも通じ合う。脱落せずに最後まで耐えぬいた仲間は、もはや同志である。
ひさしぶりにしゃべりながら食べた食事の味は、全然覚えていない。毎日ひとりで黙々と食べていたときは、もっと味に敏感だった、もっとありがたみを感じながら食べていた。そのことに気がついて、悲しくなった。急に喧騒に巻き込まれ、最初は楽しくも感じたが、だんだんと居心地が悪くなってきた。ひとりに戻りたい。ダイニングを出て、毎日歩いていた一本道を散歩した。いつも大勢が散歩していたこの時間帯も、今日は誰ひとり歩いていない。
いつも通り、昼休みに洗濯もした。明日で終わりなのに、今日洗濯する人はもういない。でも、わたしの旅はまだ続く。いつもと同じように洗濯しておきたかった。それに、毎日のリズムを崩したくなかった。明日ここを出るということが、いつしか不安になっているのを感じた。
ほとんどの人が、明日は我が家に帰ってくつろぐだろう。瞑想の日々を思い出し、少しずつ現実の世界に復帰していくだろう。彼らにとっては、このセンターは一時的な滞在場所だ。一方のわたしは、ここを出たらまた新しい旅がはじまる。彼らとは逆に、わたしにとっては、このセンターは長期の滞在場所だった。こんなに同じ場所でくつろげる機会は、なかなかない。これからいつもの場所へと戻っていく彼らが、すこし羨ましく思えた。
2013年1月20日(Day11)
いつも通り、朝4時半から6時半まで瞑想を行ったところで、全プログラムが終了となった。このコースが終わってからも、朝晩1時間ずつの瞑想を実践するようにとのことだった。1日2時間も時間を取られるのは長く感じるかもしれないが、瞑想を続けていれば、集中力が増して効率よく活動できるようになるし、睡眠時間も短くて済むようになる。だから、結果的には得なのだという説明だった。また、年に1回は時間をつくって10日間コースに参加するのが望ましいとの話だった。
その後、各自の部屋はもとより、全員で分担して施設全体を掃除したあと、自由解散となった。
このセンターとコースの運営は、すべて寄付で成り立っている。寄付の最低金額があるとか、全員が払わなければいけないとか、そういう強制は本当に一切ない。各自が善意の気持ちで払えるだけの金額を払う。なかには払わずに出て行く人もいると思う。
こうした寄付とボランティアだけで、世界中のセンターが運営されているというのは不思議なものである。宗教施設も同じようなものなのだろうが、善意の輪が集まってこうした大規模の取り組みにつながっている。マレーシアのこのセンターは、地元の地権者が土地を提供してくれたらしい。それでも、施設をつくるのに230万リンギット(約6700万円)も必要だったというから、想像を上回る規模の寄付が行われていることになる。
クアラルンプールまでの帰りは、インド系マレーシア人の若者の車に乗せてもらった。昨日、カーシェアリングのリストに書き込んでおいたら、それを彼が見て声をかけてくれた。彼は25歳、銀行でFX関連の仕事をしていたが、ストレスフルな毎日に疲れて、3か月の休暇を取った。それで瞑想センターにやってきた。残りの2か月で、インドを旅すると言っていた。とても穏やかでやさしい青年だった。
ほかにブラジル人男性と中国人女性2人が同乗した。ブラジル人の若者は、1年半の世界旅行中で、あと半年旅を続けるという。アジアが好きなのか、中国には3か月も滞在したという。彼は瞑想ホールの視聴覚室で、わたしが「こいつはサルか!」と思った態度の悪いヤツである。なんということか、そんなヤツと一緒にいまわたしは車に乗っている。しかし、話してみるといいヤツだ。誰も悪気があって他人を不快にさせているわけではない。
中国人の女性たちは、1か月のマレーシア旅行中だという。ひとりは結婚式専門のフォトグラファーで、昨年は5か月かけてアジアを旅していたという。みな似たり寄ったりの旅をしていた。中国のあそこへ行ったとか、インドのあそこはよかったとか、そういう話で盛り上がった。もうひとりは、帰ってから仕事を探す予定だという。
彼らはわたしよりずっと若いと思っていたが、聞いてみるとブラジル人は28歳、中国人は2人とも29歳、そしてわたしは30歳。似たような旅人たちであった。旅をしていると、20代前半の若者よりも、20代後半から30代前半の同世代に会うことが多い。1回社会に出て働いてから、もう一度なにかを求めて旅に出る若者は、いま世界じゅうにいる。
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冒頭に書いたように、わたしはまだこの10日間の心の変化を、簡潔に表現することができない。しかし、わたしはいつでも静寂を味方にして、自分を客観的に観る技術を身につけたと思う。外の刺激に自分を見失いそうになったら、いつでも静寂にもどって自分を取り戻せる。そんな自信ができたのかもしれない。他人からは見えないごく微小な変化であっても、いまわたしの心はエネルギーに満ち満ちているし、どんな相手を前にしても堂々と立ち振る舞えるような気がするのである。おおげさに言えば、生きる上で怖いものが、またひとつなくなったような気がしている。
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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。