![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115888854/rectangle_large_type_2_96ced5d763a5999696e62ca0d22d24cf.png?width=1200)
他力本願
他力を水泳に例えると、泳ぎを知らない人が水に放り込まれると怖くて身も心もコチコチになります。そうするとブクブクと水底に沈んでいきます。俗にいうカナズチです。しかし人体は本来水に浮くようになっているはずです。それにも関わらず沈んでしまうのは理に適っていません。
一方、水泳を心得た人は、身体をのびのびとリラックスさせますから、ごく自然に水に浮きます。これは水に体を任せたからです。水の力を信用しているのです。
泳ぎ方を知らない人は『自分の力で泳ぐのだ!』と考えますから、どうしても体に余分な力が入ってしまいます。『自力』にすがろうとするから本当は泳げるはずなのに溺れてしまうという事です。水の力を信じて頼らなければ浮く事も泳ぐ事も出来ません。
水に全てを任せる事で水に浮く、これが『他力』であり、私達が頼りとする力、阿弥陀如来の力を指しています。他人任せにして自分は何もしないのではありません。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115962340/picture_pc_c13b75ec7a56f94b0b7fa9dca2eaa8ae.png?width=1200)
畳水練
『知っている事』と『できる事』は必ずしもイコールではありません。これは知っているだけで出来るつもりになってはいけないという戒めですが、今は情報社会になった事で知識偏重になった為に『知っていれば出来る』と思う人が増えてきているみたいです。
しかしこれは大きな勘違いです。実際『出来る』と『知っている』の間には深くて大きな溝があります。それを埋めてくれるのが現場での体験です。どんな事でも体験を積まないとただ知っているという事だけです。畳の上で水泳の練習をしている様なものです。
会社を創業した頃
40歳の時に決心して、その頃はまだ一般的ではなかった脱サラを実行、新しい会社を創りました。株主になってくれた人は3人いましたが、実際に仕事をするのは自分一人でした。その時にまず感じたのは自分の無力さでした。
当時仕事の流れは理解していましたが、会社を立ち上げるには全ての業務を自力でこなさねばならないので、様々なエリアで新しい経験をしなければなりませんでした。この時他力のお世話になる事の大切さとありがたさが身に沁みました。
また会社が大きくなり始める頃には新しいメンバーを採用する事も必要です。その頃からメンバーのモチベーションを上げる事にも注力していました。今考えてみると以前の会社は大会社で一匹狼的な営業でしたので、周りの人達の助けが如何に大きなものかという事に気付いていませんでした。
大会社の社員の時はこういった経理や業務、人事等の仕事内容には関心が薄く、真剣に考えた事はありませんでした。慣れない内容の為、一つの仕事をするのに大変時間が掛かった事に加え様々な失敗を繰り返していたのを覚えています。
自分の経験が如何に狭くて未熟なものであったか、実際の体験が如何に大事であるかを思い知らされました。今は自分も精進しつつ、頼れる他力が周りにある事に感謝しています。