新たな居場所を作る人を励ます言葉 【アラバマわきみち英語】
アラバマでとんでもない名前のアパートに住んでしまった。
日本から引っ越してきて最初に入った不動産屋で、ぼくと妻のダイレンはその物件を見つけた。ダイニングとリビングにベッドルームがふたつ付いているアパートで、日本語でいう2LDKにあたる。窓の外には、ぼくが英文科の博士課程学生として通うことになる、アラバマ大学のキャンパスが広がっている。
ロアノーク・アパートメンツ(Roanoke Apartments)というのがそのアパートの名前だった。不動産屋に「ロアノークってどういう意味ですか」と尋ねると、「意味はよく知らないけど、響きはいい」という素っ気ない返事が返ってきた。そのときは、そうか、響きがいいのか、と受け止めた。
しばらくして、大学で英文科の教授に自己紹介したときのことだった。「南部文学を研究しに日本から来ました」と言うと、白い髭を蓄えた教授に尋ねられた。
「じゃあ、ロアノークへの参詣はもう済ませたかい?」
「ロアノーク」という言葉が聞こえたので、アパートのことを訊かれてるのかと短絡した。
「ロアノークなら、住んでますよ」
「なんだって?」と教授は笑った。
発音が悪くて伝わらなかったのかと思い、一言ずつはっきりと言い直した。
「ぼくは、ロアノークに、住んでいます」
「なんと」。教授の顔からは笑みが消えていた。「まさか、そんなことが可能とは、思いもよらなかったよ」
あとでわかったことだが、教授が言っていた「ロアノーク」は、もちろんぼくたちのロアノーク・アパートのことではなかった。そりゃそうだ。ぼくの住居のことを教授が話題にするはずなんてない。でも、慣れない英会話で脳の処理能力を120パーセント使っていたから、ぜんぜん頭が回らず、とにかく聞こえた単語に飛びついてしまったのだ。
教授が話していたのは「ローワン・オーク」のことだった。ローワン・オーク(Rowan Oak)とは、南部文学の巨人ウィリアム・フォークナーの屋敷の名前である。ナナカマド(Rowan)とナラ(Oak)というふたつの堅牢な樹木の名を冠したこの邸宅は、南部文学ファンがアメリカ南部を旅行する際の定番の目的地で、アラバマの隣のミシシッピ州オックスフォードにある。「日本からはるばる南部文学を学びに来たんなら、フォークナーの屋敷はもう見に行ったかい?」と教授は尋ねていたのだ。
この知識をさきほどの会話に代入するとこうなる。
「南部文学を研究しに日本から来ました」
「じゃあ、かのウィリアム・フォークナーの屋敷への参詣はもう済ませたかい?」
「フォークナー屋敷なら、住んでますよ」
「なんだって?」
「ぼくは、フォークナーの屋敷に、住んでいます」
「なんと。まさか、そんなことが可能とは思いもよらなかったよ」
そりゃあ、思いもよるまい。
ローワン・オーク(Rowan Oak)とロアノーク(Roanoke)。文字で書くと違って見えるけど、英語のネイティブスピーカーがだらーっと繋げて発音すると、ぼくの耳にはほとんど同じに聴こえる。
それに、ぼくはこの有名な屋敷の名前を知らなかった。これがマズかった。英語で会話をしているとき、そもそも語学力が不足しているのに、背景知識までも欠落すると、たちまち話がわからなくなる。英会話を成立させるには、言語自体の勉強に加えて、話し相手が前提としている文化的な知識の勉強も欠かせないのだ。でも、人や物の名前、食べ物や子ども時代の記憶、日々の暮らしの感触。こういったものは言葉自体よりもずっとむずかしい。
ちなみに、ぼくのアパートのほうの「ロアノーク(Roanoke)」は、イギリスが1585年から北アメリカに初めて建設した植民地の名前だという。アルゴンキン系インディアンの言葉で「貝のお金」を意味するそうだ。しかしイギリス本国からの補給がままならない頃で、イギリス船がようやく数年後に再訪すると、植民者たちは姿を消していたという。現在のアメリカ合衆国まで続く植民地が建設される前のことだ。ぼくたちのロアノーク・アパートはこの失われた幻の植民地の名前を冠していたのだった。
* * *
アラバマの空は青い。まだ車を持っていなかったぼくたちは、そんな青空にぎらぎらと燃える太陽に焼かれて歩き続けた。ロアノーク・アパートに引っ越すまで、滞在先のホテルから、不動産屋や銀行や市役所や電力会社にむかって何時間も歩いた。しかし、この街は歩くように作られていない。誰もが車を運転している。歩くとすべてが果てしなく遠い。いまとなっては、青い空を見て綺麗だなと呑気に思うけど、あの頃は雲が太陽を隠すのをいつも待っていた。街路樹の立派なオークをみつけるたびに、木陰に逃げ込んで体力を回復した。
道ゆく車のステレオから「Sweet Home Alabama」が聴こえてくる。アラバマの空の青さを歌ったレナード・スキナードのこの曲は、非公式ながらも州歌のような地位を得ている。大学のスポーツチームの応援歌としても愛され、街のあちこちで鳴っている。
「Sweet Home Alabama」のほかにもhomeという言葉が好まれていて、「Home Sweet Home」とか「Home Is Where Heart Is」といったフレーズが描かれた壁飾りが雑貨屋に並んでいる。
そんな飾りのひとつに書かれていた「Home Is Where You Make It」という言い回しをぼくは気に入った。直訳すれば、「ホームとはあなたがそれ(ホーム)を作る場所のことである」、つまり、どんな環境でもホームは自分の力で作り上げられる、という意味合いだ。日本語の「住めば都」に似ているところもあるけれど、「住めば都」が「住んでいるうちにそうなる」という自然のなりゆきを言ってるのに対して、英語のほうは「自分が作るんだ」という人間の意志を言っている。
このフレーズには、さらに重層的な意味が読み込める。make itというフレーズは、字義通りの「それを作る」だけではなく、「困難がありつつも、なんとか目標(it)に到達する」という意味合いで毎日のように使う熟語だ。アメリカ生活には欠かせない言い回しである。
こうしたイメージを重ねれば、「Home is where you make it」には、「我が家とは、自分で作り上げ、そこで苦境を乗り越え、そして成功にいたるための場所なんだ」というストーリーが見えてくる。引っ越して来たばかりのぼくには、このアメリカらしいアクティヴィズムとポジティヴィズムが新鮮で、心強かった。
住みはじめたばかりのロアノークは、心温まる我が家というには程遠かった。寝室の窓に亀裂が入っていて、砕けそうで開けられなかった。シャワーが出なかったし、いったん出ると今度は止まらなかった。セントラルヒーティングのエアコンも丸ごと交換が必要だった。修理工のチャーリーが何度も来て直してくれた話はまた今度書く。
ぼくたちには、日本から持って来たスーツケースひとつとバッグみっつ分の持ち物しかなかったが、教会のチャリティで家具や日用品をもらい、卒業していく学生が道端に捨てる家具を拾い、それでも足りないものは行きつけのレジーの中古雑貨店で買った。
こうしてぼくたちはゆっくりとロアノークを「ホーム」に変えていった。裏には広い芝生の空き地があって、南部人がその実をパイにして食べるペカンの大木が生えていた。四方に広がる枝には、ハイイロリスが走り、モノマネ鳥が巣を作って子育てをしていた。春と秋の過ごしやすい日に、その木陰に椅子を運んで朝ごはんを食べるという楽しみを、ぼくたちは覚えた。
フォークナーのローアン・オークには、しばらくして車を買ってから行った。ぼくたちのロアノークとは比べ物にならない立派な屋敷だった。ぼくが「ロアノークに住んでいる」と言い放ったとき、教授の頭にはレッドシダーの並木の奥に白く輝く屋敷が浮かんでいたのだ。フォークナーの書斎でぼくがこの勘違い事件を説明すると、ダイレンはゲラゲラ笑った。
ミシシッピから州境をまたいでアラバマに戻るとき、「ようこそ、スイート・ホーム・アラバマへ」という看板を見て、ぼくたちは「スイート・ホーム・アラバマ、空がすごく青いところ」と耳で覚えてしまった歌詞を口ずさんだ。ロアノーク・アパートの駐車場に車が入ると、「ああ、帰って来た」と安堵した。その瞬間、ここがぼくたちの我が家なんだな、とわかった。
Home is where you make it.
ロアノークからぼくは大学へ通った。たくさんの友人たちがここを訪れた。寝室のひとつを転用した書斎で、翻訳と研究と執筆を続けてきた。
ローアン・オークに住み始めた頃のフォークナーはまだまだ駆け出しの作家で、その後、代表作の多くをここで物した。屋敷のウェブサイトは「彼がローアン・オークで過ごした年月は実りあるものだった」と誇らしげに語っている。だからぼくもそのうちノーベル賞を取るだろう。
三年が経った夏、ぼくたちのロアノーク・アパートは取り壊された。アラバマ大学がキャンパス拡大するために買収し、更地にしてしまった。時間をかけて築いた我が家を潰すのに、巨大なコマツの重機はたった2日しか必要としなかった。裏庭のペカンの大木もなぎ倒された。モノマネ鳥の家族はどこか別の場所へ引っ越しただろう。
ふたりで築き上げた我が家をぼくたちは失った。でも、まあ、大丈夫。また作ればいいのだから。グーグルマップの「自宅」にはまだ「211 Thomas St Tuscaloosa, Alabama」が登録されていて、ストリートビューには在りし日のロアノーク・アパートが映っている。駐車場にはぼくたちの小さなメルセデスがまだ停まっている。
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