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上書き保存は明日のために

最近はなぜかnoteを書いても下書き保存だけして満足してしまうことが多々で、下書きにはたんまりと僕のぐちが積み重なっている。(とは言いつつも、多分これは公開してる。)

物事はうまく考えられているようで、ちょっとだけ頭をかきむしる中で何年も前にお世話になった師匠からラインが届いた。

『(名前)、もう一度こっち戻ってこい。』

最近の中では一番に心が高揚して鼓動がよく聞こえた。同時に、恐怖で鼓動がさらに加速もした。

正直、戻りたくない、といえば嘘になる。もう一度日本一、世界を目指して手から、足から流血して、バタンキューな日々も送ってみたい。 
何より、何年も馬には携わっていないのに僕の微かな才能を評価してくれていることが嬉しかったのかもしれない。

けれどその選択の先に道があるのかがわからないし、そんな何年も乗っていない人間がヒョコっと戻れる世界でもないことはわかる。

でも、だからか、すでに僕は消すには少しインクの濃すぎる上書き保存をしてしまっているような気がする。

それは、鉛筆でも、水性でもなく、ギッチリと油性のごとくこびりついている。

「若いんだから、何度でもやってみなよ」とか、そんなことを言っている年齢でもなくなってきている。

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先日、大学の友人とプロ野球観戦に行った。
久しぶりの友人との会話は楽しかったし、隣でみたことのない大声で声を枯らして応援している姿が何よりも個人的に面白かった。

でも、2,3個年上の人たちがプロとしてウン千万の契約を交わし活躍している姿がちょぴっと悔しい。

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(話は戻るが、)今の業界やスキル習得に手をつけたことは後悔はしていないと思う。

この仕事が安定すれば、マブダチとのキラキラ生活も送ることができるし、パートナーや家族ができた時にも、それなりに充実感がある生活が送られると思うから。

僕には似合わず、己の自己中でないけれど、それが今の僕の中での自己中である。(因みに、現状息子として籍を置く家族は今の業界は反対しているんだけど。)

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「生きているだけでいいんだよ」とかそんな甘い世界でもない。気がする。

時には、「やめるな」とか、「死ぬ気でやれよ」とか。そんな言葉の方が魅力的に感じる。(とか言いつつも、慰められたい時もあるので本当に面倒が大変なやつである。)

生きてるだけでいいなら、その発言者がお金も、生活面も工面してやればいい。

僕がこうやってnoteに書くように、言葉が誰でも簡単に操ることができるようになった時代に、優しさは時に牙をむく。

このnoteで不快になった方がいたら、すみません。

でも、一緒に頑張りましょ

死ぬ気でやれば、応援してくれている人と。大切な人と、おにぎり一個くらいは笑って食べられると思う。

今までの僕たちの上書き保存は、多分、無駄じゃない。というか、無駄にしてはいけないと思う。

だから、夢をたくさんみられるようになってから、僕たちのnoteを閉じましょ。

大丈夫。絶対という絶対は絶対ないけど、絶対に、僕らは死ぬから。


〜〜
あの時の友達に届いたらいいなぁ。どこかで元気にしていますようにっ




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