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「生きる力」って何だろう?

今は「第3次世界大戦」の真っ最中だ

なんてこと書いたら、物騒だと言われちゃうけど、そうじゃないですか?
わけのわからない規制や人々の分断、政治・行政の機能不全、そしてこれからたぶん、食料やあらゆる資材の調達困難、という事態が、おそらく年内に始まってしまうだろうと思う。

札幌で生まれ育った私とダンナさんが十勝に移住したのは2016年。
当時、ダンナさんはなんて言ってたかというと「これから食料の調達が困難になる時代が来るから、少しでも、食料を作っているところに近い場所に住んだ方が生存確率が上がる」だった。
私としては「そんなことあるわけないじゃん」だったのだが、ここ数年で、なんだかそのとおりになってきちゃったじゃないか、とびっくりしている。

とはいえ、私たちは何かを生産しているわけでないので、農家さんや漁師さんたちのマインド面や経営面のサポートをする、という「物々交換」ならぬ「物・技交換」をしている形だ。

「生きる力」の意味が変わってきた

学校教育でも「生きる力を育てる」とか言われてた時期があって(今もそうなのかな?)、そこで言ってた意味は「自分で考えて行動できる大人になる」みたいなことだと思う。
もちろん、それは不可欠なんだけど、最近思うのはこの「生きる力」の意味がだいぶ変わってきてるんじゃないか、ということだ。

自分の将来を自分で決め、職業を選び・・・みたいなことは、どこかしら、平和で安全な社会を前提としている気がする。
でも、戦争や災害やその他の社会不安が大きくなったら、そもそも「生命を維持する」ということの難易度が格段に上がって、「自己実現」どころじゃなくなってしまうのではないかと思うのだ。

だから、今、この状況での「生きる力」は、今まで当たり前に存在していた社会システムやインフラの力を借りずに、どこまで自分の「衣食住」を賄えるか、ということになっちゃってるんじゃないか、という感じがする。
都市部から地方への移住の流れが加速しているのも、都市部に住んでいる生命維持が困難になるかもしれない、と、直感的に感じる人が増えている面もあると思う。
でも、これも、ただ田舎へ行けばいい、というものでもないし、まるでブームのように、移住のことをテレビで取り上げたり、素晴らしい田舎暮らしを宣伝するものを見ると、これまた違和感だらけだ。

「自給率」をどのくらい意識しているか

一つのキーワードが「自給率」だと思う。
一番先に思い浮かぶのはやはり「食料自給率」だと思うけど、それだけじゃない。
例えば、衣類について考えてみると、今、ファストファッションが全盛で、安い服をどんどん買って、短期間で捨てるのが当たり前だけど、この安い衣類、いつまで存在しているのか、と考えると、これも非常に心もとない。
ユニクロ、GU、H&M、しまむらみたいなお店は完全なるグローバルサプライチェーンで成り立ってて、この鎖のどこか1カ所でも欠損した時点で、全滅だ。
もし、店頭で服を買うことができなくなったら?
前のこのnoteで編み物のことを書いた時にも少し触れたことだけど、何でも「自分で作る」発想を持ち、その技術を持つこと、これからの「生きる力」の本質はそこになるのではないか、と思うようになった。

今、我が家の「靴下」の自給率は100%になった。
セーターもベストもカーディガンも自作。最近は縫い物も結構するようになって、私の仕事部屋はまるで「工房」のようになってきてしまった(笑)。
編み物も洋裁も「趣味」と思われがちがだけど、わずか1世紀前は「生活力」の一部だったのだ。

初めて挑戦したダンナさんの「作務衣」が昨日完成して、Facebookに写真をアップしたら、120件以上の「いいね!」が来て、びっくりしたんだけど、その中に「何でもできてすごいね」というコメントがあった。

モデルみたいww

私には「できないこと」や「まだやってないこと」もたくさんあるから、何でもできる、というのはおそらく、その人ができないことを私ができる、ということだけだと思うけど、その「何でもできる」レベルは、数年前に亡くなった大正生まれの私の祖母に比べたら、全然低いのだ。

「○○ができないと嫁に行けないよ」を現代風に見直してみる

こんなことを言ったら、もはやジェンダーバイアスも酷すぎる話なんだけど「嫁に行く」を「生きていく」に変えると、これは今でも全然通用する考え方だ。
いつだったか、ラトビアの編み物の本を読んでいたら「ラトビアでは花嫁修行として全ての女性が編み物を習得する」的なことが書いてあった。
それも、綺麗で緻密な編み込みの伝統的なニット作品。
その話を聞いたとある友人が「私、ラトビアに生まれなくて本当に良かった!」と言って大笑いしたものだけど、いや、これは笑い事じゃないよな、とも思うのだ。

田舎に移住してから、札幌にいた頃はやってみようとも思わなかったいろんなことをやるようになった。
梅干し、味噌、糠床などなど、自分で作ってみたり、豊富にあるお魚は片っ端から自分で捌いてみたり、干物を自分で作ってみたこともあった。
おそらく環境的にとてもゆったりしていて、時間の流れもゆっくりだから、自分の「感覚」に従って行動できるようになったのが大きいと思うんだけど、やればやるほど「なければ作ればいい」と思えるようになり、不安が減っていくのを感じているのだ。

でも、それらは私の祖母の世代の人たちはだいたいみんなできたことなんじゃないかと思う。
昔に戻れ、という単純な話ではなく、今のテクノロジーも活用しながら(何でも作り方はネットで入手できる、とか)、自分でできることの範囲を広げていくことができれば、生存確率はさらに上がっていくのではないだろうか。

「もし○○がなかったら」で発想

今、今後の社会情勢を憂いて、心配している人がたくさんいると思うんだけど、人間、そう簡単には死なないし、いつでも「なんとかしよう」と思えば、アイデアは出るものだ。
最近考えているのは、今あるものが手に入らなくなった時、どうするか、という思考実験だ。

輸入のファストファッションがなくなったら、自分で着るものを作ることができれば大丈夫。となると、材料は国産のものの入手経路を知っておけば材料の確保も確実になるな、とか。
それでも素材の綿花は輸入だよな、となったら、麻を栽培して機織りができれば布は作れるかな、などなど。
編み物の話を書いたときに、この先は羊を飼って・・・という話もしたけど、まさにそんな感じだ。

この前、近所の漁師の若者とそんな話をした時、そういえば、今は漁具のほとんどが輸入だ、という話を聞いて、これまた大変だな、と思った。
海があるから魚は手に入る、と思いきや、燃料も網も何もかもなくなっちゃう、なんてことも起こる可能性があるのか、ということだ。

多くの人が「まさか、そんなことあるわけないでしょ?」だと思うけど、3年前に、今の小麦粉の価格や危機的レベルの半導体不足を予想していた人がどのくらいるか、ということを考えれば、何が起こってももはやおかしくない事態だ。

そんなことを考えて、すぐに行動に移せるのは、やっぱり都市部よりも田舎の方が環境的にかなり優れているなあと思えるのは、移住の決断をスパッと下してくれたダンナさんのおかげだなあと改めて思うので、昨日、出来上がった作務衣を着て「もう何着か作って」というリクエストにも積極的に答えてあげようと思うのであった・・・。

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