EMSi(Essential Management Science institute)Fellow Communityの皆さんの記事を集めました。 EMSi Fellowとは、EMS(Essential Management School)本質行動学基礎原理コースなどの修了生のCommunityです。 多様な人、多様な考え、多様な日々、多様なビジネス、多様なアートが雑多に、ごった煮していく、本質追求マガジンです。
ちょっと思うところあって、 このnoteの投稿内容も ガラッと変えてみることにしました。 毎日書いてるメルマガと同じソースで しばらく書こうと思いますので、 よかったらお付き合いください♪ 昨日、つっちと話してたら 「ひろえっちはときどき、 無意識かもしれないけど 『先生口調』になるよね」 って言われちゃった😆 あー、確かにそうかも。 なんか「教えてあげてる」ような スタンスになる時あるなあ、 って思いました。 どうしてそうなるのかな、と 考えてて気づいたのは 「
「プロか、アマか」の線引きってなんなんだろう? ピアノの弾き語りで自作曲を歌うようになって3年。 あちこちのイベントやライブ、YouTubeライブ配信で歌ったりしているんだけど、音楽という分野では相変わらず「プロか、アマか」という話に終始してるなあと思う。 「プロとはなんですか?」と言葉の定義をつい聞いてしまうのが「そもそも族」の私の癖なのだけど、これ、案外明快にスパッと答える人が少ないなと思うのだ。 一番簡単なのは「その活動で生計を立ててる人」という定義だけど、だとした
歌を歌っていると、思いがけず感情を掘り起こしてしまうことがある 3年前、突然「シンガーソングライターになる!」と言い出して、歌を歌い始めたのだが、何をどうやっていいか、全然わかってなかったので、レッスンを受け始めた。 師匠は、今も、ずっとお世話になっている、シンガーソングライターでボイストレーナー、作曲家の尾飛良幸さんだ。 月に1度のレッスンでは、歌の技術的なことはもちろん、作編曲のアドバイスや、音源制作の細かいノウハウまで、あらゆることを教えていただいている。 レッスン
諦めていることにすら気づいていないという諦め感 最近、コーチングセッションをしている中でハッと気づいたことがあった。それは、何かを最初から諦めてしまっている人は、自分が諦めているということにも気づいていないのかもしれない、ということだ。 「あの人素敵だなあ、あんなふうになれたらいいのになあ」と思うことはあっても、自分とその人とは全然違うから、無理、と思い込んでいる状態。 無理と思う理由は何なのかを掘り下げていくと、その状況を変える手立てはいくらでもあるわけだけど、それを考
今自分が生きているってどれだけ奇跡的なことなのか なんてことを言うと、妙に哲学的に受け取られたりするんだけど、こういう思いを持ったこと、誰でも一度くらいはあるんじゃないかと思う。 私の仕事は一言で言えば「コーチ」なのだけれど、やっている内容は「ライフコーチング」という言い方で表現されるものだ。 クライアントさんの多くが口にするのが「やりたいことがわからない」という話。 自分で自分のやりたいことがわからないなんて、と言う人もいるかもしれないけど、そういう人は本当に多い。 今
10年ぶりに戻った場所はやっぱり素晴らしかった 2月18日は、札幌で「フィラルモニカ・マンドリーニ・アルバ」の演奏会だった。 せっかくだから、とリハ中も写真撮りまくり。 お客様も250名と、なかなかの盛況で、私自身も本番をとても楽しめたし、本番ならではのハプニングはあったものの、いい演奏ができたな、と極めていい気分で終わることができたのだった。 そして、素朴に「マンドリンっていい楽器だな」とか「やっぱりマンドリンが好きだ!」なんて思うことができて、本当に良かった、と思え
答えは自分の中にある 毎週水曜日はEMS(Essential Management school)の授業を受けている。 「本質行動学」というものを学んでいるんだけど、これ、本当につかみどころのないものだな、とよく思う。 学問ではあるけど、何かの権威の後ろ盾があるわけでもないし、研究対象は多岐にわたっていて、これ自体をどこかに分類して収納することはできないような学び。 もともと、答えの出ない問いを考え続けることが割と好きな私にとっては、こういう時間を取れることは極めて楽しく、
小学校の卒業文集 子どもの頃の私は、実に「子どもらしくない子ども」だった。 私が普及活動をしている「ネイチャー理論」で見ると、それも納得なのだけど、きっと、周囲の友人や先生の中には「なんだコイツ」と思ってた人もいただろうなと思う。 とはいえ、それもまたネイチャー理論でわかることだが、同級生たちもかなりの部分、同じようなタイプの人がいる形になっていたので、本当にラッキーだった。 3月、卒業式のシーズンになると思い出すのが、小学校の卒業文集に書いた作文の内容だ。 お題は定番の
ふて寝したくなるほどモヤモヤしている 私の仕事はコーチ・講師で、そんな私のコーチはダンナさんだ。 たいてい、私が仕事でモヤモヤしたら、ごはんを食べながらとか、お茶を飲みながらとか、起こった出来事や感じたことを話す。 今日は、たて続けに、自分の「あり方問題」を考えさせられる出来事が起きて、お昼を食べてから、しばらくその話をしていたのだ。 ダンナさんのクライアントさんは、継続期間も長く、辞める人が少ないの比べて、私の場合はといえば、フェードアウトしちゃったり、なかなか人数が増え
今は「第3次世界大戦」の真っ最中だ なんてこと書いたら、物騒だと言われちゃうけど、そうじゃないですか? わけのわからない規制や人々の分断、政治・行政の機能不全、そしてこれからたぶん、食料やあらゆる資材の調達困難、という事態が、おそらく年内に始まってしまうだろうと思う。 札幌で生まれ育った私とダンナさんが十勝に移住したのは2016年。 当時、ダンナさんはなんて言ってたかというと「これから食料の調達が困難になる時代が来るから、少しでも、食料を作っているところに近い場所に住んだ
「いえいえ、私なんて・・・」って、ホントに思ってる? コーチングをを仕事にしていると、定期的?に同じテーマにぶち当たって「デジャヴかよ」と思うことはよくあるんだけど、ここんところまたこの「謙遜問題」で若干モヤモヤしているのだ。 日本の文化として、出しゃばらず謙虚にしていることが礼儀正しいというのはかなり強いと思う。でもこの「謙虚」と「謙遜」はだいぶ違っていて、いきすぎた謙遜は自己承認感を下げてしまっているのではないか、というのが私の考え方。 コーチングのセッションの中では、
伝え方未熟を痛感! 相手に何かを伝えようとしても伝わらないとき、つい「なんでわかってくれないのかな」と思ってしまいがち。 だけど、ホントはそうじゃない。自分の「伝え方未熟」が引き起こしている現象なのだ。この「伝え方未熟」はわもんで知った言葉で、以来、私はどんな場合でも、伝える側の責任100%と思って伝える、というのを自分ルールとして定めている。 それで、いつも自分の伝え方未熟を感じる場面が「やりたい、と思ったことは、やり続ければできるようになる」ということ。 当たり前だ、
我が家において「難しい」は炎上ワードww 無意識に言ってしまう「難しい」という言葉。 私がこれをうっかり言ってしまおうものなら、ダンナさんからツッコミの嵐!(笑) 「どういうところが難しいの?」 「それはどうやるとクリアできるの?」 「それって『手間がかかる』ってこと?」 などなど、結局最後は「こうすればできる」を言わされてしまう、という感じなのだ。 一体「難しい」って何なんだろう? とりあえず国語辞典を引いてみるとこんな感じだ。 1 理解や習得がしにくい。複雑でわか
自治体職員のくせに 大学を出てから19年間、政令指定都市の職員をしてたわけだけど、その間、ずーっと疑問に思ってたのがコレだ。 長年職員をしてたら、職場でこんなこと言ったら「お前バカじゃないの?」とか言われる割に、誰も「必要性の根拠」は言ってたなかったと思うなあ。 「そもそも族」の私は、どんな話題でも大体いつも「ほじくり返さないで!」と言われるので、心の中で思うだけで、そのうち言わなくなったけどね。 自治ってなんだろう? そう思ったのは25歳くらいの時かな。 最初の3年で
なんでも本質が知りたくなる「そもそも族」の私 1月から始まったEMSでの学び。 「本質行動学」というものなのだけど、読んで字のごとく、物事の本質を知り、それを掘り下げ、行動として実装していくプロセス。 これが実に私の性に合っていて、いろんなことがスッキリし続けているわけなのだけど、ここからまた「掘り下げ癖」が全開になってしまった(笑)。 でも、これはEMSの共有サイトで書くと分量が多くなり過ぎてしまうし、かといってあまりにマニアックすぎてwwアメブロには合わなさそうだし・・