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犬だった君と人間だった私の物語【第5話】ペットショップ

 それからというもの、敏子は毎日、窓ガラスから外を眺めて過ごした。時折、動物たちのストレスを軽減するためにケージの両側にあるロールスクリーンが下ろされ、休息時間が設けられていたが、敏子はロールスクリーンと壁のわずかな隙間を見つけては、外を眺め紀花を探し続けた。紀花らしい女性を雑踏の中に見かけることは何度かあったが、人混みや目の前の客に隠れてしまい、紀花である確信を持てないうちに見失っていた。 

 そんなある日、いつもと違う時間に突然ケージが開けられた。身構える敏子を、ベテランアルバイトの女性店員がふわっと抱き上げた。
「まだ3ヶ月の女の子ですよ。この子、ビーグルにしてはおっとりした性格なので、すごく育てやすいと思います」
 敏子に興味を持った客が現れたのだ。店員はムチムチした夫人の腕に敏子をそっと手渡した。抱かれた敏子の心臓は動揺を隠せず、ドキドキと痛いほど強く脈を打ち始めた。
(このまま買われたらどうなるの……もう紀花には会えなくなってしまうのかしら……)
 すると、
「すごく可愛いわ。あなた、どう? この子にしない?」
 そう言って、敏子を夫に手渡した。
「本当だ、大人しくていい子だね」
 敏子の気持ちとは裏腹に、夫婦は敏子を気に入った様子で何度も撫でたり、交代で抱いたりしている。
「子育てがひと段落してね、子どもたちも一人暮らしを始めて出て行ったら、なんだか寂しくて。だから急に新しい家族が欲しくなったのよ」
 夫人は嬉しそうに店員と話している。
(お願い……まだここに居させて!)
 敏子は店員に助けを求める視線を送ったが、店員は気付く訳もなく、ニコニコと嬉しそうに接客を続けている。

 そして、夫人は夫と目を合わせて笑顔で頷くと、嬉しそうに店員に告げた。
「このワンちゃんをください」
 その言葉を聞いた敏子は目をつぶった。
(優しい夫婦かもしれない、でも、せめて、せめてもう一度、成長した紀花に会いたかった……)
 敏子は奥さんの腕に抱かれながら、紀花が現れるかもしれない外の景色を名残惜しそうにみつめた。
「またここで紀花に会いたかったのに……」
 敏子の小さな呟きがこぼれた。
「それでは、お手続きをしますので、あちらのソファにお掛けになってお待ちください」
 店員に促され、敏子を抱いた夫婦が移動し始めたその時だった。
「本当にそれでいいのか?」
 ずらりと並んだケージから、一匹の犬が敏子に話かけた。敏子はハッとして声のする方を振り返ったが、どのケージから声がしたのか分からず見回した。すると一番下の端にあるケージの中で、狭そうに身をかがめながら、じっとこっちを見つめる犬がいた。
「会いたいんじゃないのか」
 それはオスの芝犬だった。敏子の呟きに気がつき、話しかけてきたのだ。
 そんなことは知る由もない夫婦は、嬉しそうに敏子を抱いたまま、ケージから離れていく。芝犬は遠ざかる敏子に向かってさらに大きな声で続けた。
「ここにいる皆んなは、飼い主を選べないと思っている。本当にそうなのか?」
 敏子は目を丸くした。すると、芝犬はじっと敏子を見つめながらハッキリとした口調で言った。
「自分の生き方は、自分で決めるんだ。そうしなければ一生後悔するぞ」
 その言葉を聞いた敏子の目に、強い決意が灯った。夫婦がレジ近くのソファに腰を下ろそうとしたその瞬間、敏子は強行作戦にでた。ありったけの力で大暴れしたのだ。
「わぁ!」
 夫婦は慌てて敏子を抱き直そうとするが、敏子も絶対に抱かれないぞと、全く落ち着く様子を見せない。店員は振り返り、慌ててお客の元に戻ると、落ちそうになった敏子を急いで自分の腕に抱き戻した。
「すみません、ちょっとびっくりしちゃったのかな。いつもは本当におっとりした子なんですけど。どうしちゃったのかな」
 突然のことに驚き呆然としている夫婦を、店員は必死に諭した。
「ほら、もう落ち着いてますよ。大丈夫です。本当にいい子なんですから。ビーグルでは珍しく無駄吠えもほとんどしないですし」
 それを聞いた敏子は、
「キャン! キャン!」
 と、割れんばかりの大声で何度も何度も吠え続けた。
「キャン! キャン!」
 どんなになだめても、敏子は吠え続けている。店員が必死に夫婦に話しかけフォローしようとするが、敏子の鳴き声がうるさくて会話にならない。
 夫婦は顔を見合わせて困った顔をすると、奥さんが〈もういいです〉といった表情で申し訳なさそうに断りを告げた。そしてケージが並ぶ方を振り返ると、他の仔犬の方に興味を移して行った。
(た……助かった……)
 ガッカリする店員をよそに、敏子は安堵感と共に、じわじわとわき起こる達成感を感じていた。そして自分のケージに戻されながら、芝犬に向かって言った。
「あなたの言う通りだわ!」

第6話につづく

第1話 別れ
第2話 新しい姿
第3話 中庭
第4話 再会
第5話 ペットショップ
第6話 疑惑
第7話 奇跡
第8話 理由
第9話 可能性
第10話 動物病院
第11話 青年
第12話 記憶
第13話 名前
第14話 松田との暮らし
第15話 紀花
第16話 伝えたいこと
第17話 目撃
第18話 河川敷
第19話 数年後(最終話)




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