犬だった君と人間だった私の物語【第9話】可能性
翌日
昨晩の雨が嘘のように晴れ、朝の太陽が濡れた街を乾かしている。澄んだ空気の中、開店早々に再びあの青年が敏子のもとにやって来た。
「協力してもらえますか」
青年の真っ直ぐな瞳を見て、敏子は返答に困っていた。
〈青年の力になりたい。しかし、どう考えても自分が願いを叶えてあげられる可能性は無いに等しい〉
そう思うと、あれほどいらないと思った『期待だけ持たせる奇跡』を繰り返してしまう気がしていた。
何か具体的な良い方法はないものか……すると敏子にふとアイディアが浮かんだ。
「例えば、あなたが私を飼って、私を連れてこの病院に診察にくれば……」
すると青年はさびしげな口調で被せるように答えた。
「僕もそれを考えました。でも、その間にリクが死んでしまっては終わりなんです。兄弟だからなのか、僕には分かるんだ。リクは今日にも天国に行ってしまうって」
敏子は驚いて息を呑んだ。また一つ、タイムリミットという難題が増えたのだ。青年はぐっと顔をガラスに近づけて言った。
「僕は、一度君の願いを諦めてしまったけど、今、君の気持が痛いほど分かるんだ。すぐ近くにいるのに救えない苦しさを。だから、僕は君のお孫さんを助けると約束する。僕たちは人間と犬だし、お互い居る場所も違うけど、協力し合える。これは僕と君とでなければ出来ないことなんだ!」
敏子は青年から目をそらさずに、じっと見つめ返した。すると突然、敏子が自分の前脚を渾身の力で強く噛んだのだ。
「わぁ!」
ガラス越しの青年は、それを見て思わず声を上げ、ガラスに顔を寄せた。
「キャーン!」
敏子の鳴き声が、まだ客がいない開店直後の静かな店内に響き渡った。噛んだ手からは血が流れ出ている。驚いた表情でアルバイトの女性が敏子の元へと走り寄ると、慌ててケージから出した。
「店長! 血が出てます!」
駆け寄った店長は、抱かれる敏子の前脚の怪我を見るとすぐに指示を出した。
「すぐ先生に治療してもらって」
敏子は、青ざめた表情の青年に視線を送り、ゆっくりと力強く頷いた。
(これで動物病院へ行ける…… これが最初で最後のチャンス!)
第10話につづく
第1話 別れ
第2話 新しい姿
第3話 中庭
第4話 再会
第5話 ペットショップ
第6話 疑惑
第7話 奇跡
第8話 理由
第9話 可能性
第10話 動物病院
第11話 青年
第12話 記憶
第13話 名前
第14話 松田との暮らし
第15話 紀花
第16話 伝えたいこと
第17話 目撃
第18話 河川敷
第19話 数年後(最終話)