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娘の性的トラウマを信じない母親

私は、父親から身体的、心理的虐待、そして性的虐待を受けてきた。性的虐待の程度は、世の中の被性的虐待児と比べればそこまで酷くはないが、自分の経験を他人に話せば「それは性暴力と言える」と口をそろえて言われるレベルではあった。私が成人してからも続く経験によって、私は『性的トラウマ』を抱えるようになった。

勿論、様々なトラウマによる男性不信・男性恐怖は辛かった。学生の頃から、年上、特に父親の年齢に近い男性に対しての恐怖心が強く、学校の男性の先生やバイト先の社員スタッフと親近感をもって関わることは、私にとっては困難だった。しかし私の男性恐怖・不安感は、長らくアルバイトを続けていくにつれて、徐々に小さくなっていく程度のものだった。少なくとも病院で診断されるほどの問題ではなかった。

しかしそれでも拭いきれなかったトラウマがある。
それが性的トラウマだ。

私の性的トラウマの症状は、『男性はみんな性欲や見返りを求めて私に近づいてくる』という思い込みから、男性と話したり関わったりすることに恐怖心やストレスを感じてしまうようになったことや、男性の職員が自分の子供についての話題を出してきたときに、とっさに『気持ち悪い』と思ってしまう、マスクを外した男性の顔を口元を見ると、『この人も女性とキスをしたりするのだろうか』等と想像して、そこから自分の父親のことを思い出してフラッシュバックに繋がってしまう、など多岐にわたる。何も性的な会話をしていなくても、『男性』という条件だけで、性的トラウマに意識がとらわれてしまうので、とても生きづらい。

しかし、私が父親に『気持ち悪いこと』をされているということは、20歳になるまで母親には打ち明けられなかった。私にとって性的虐待の事実を母親へ告白することは、それはとても恥ずかしいことであった。周りの支援者には信じて貰えても、『私の勝手な思い込みなんだ』『考えすぎなんだ』『これは被害妄想だ』という思考は無くならなかった。


2023年2月、父親、母親、私で同居していた環境から、私と母親で母方の祖母宅に避難し、父親から別居することになった。しかし、私の大学のスケジュールと引っ越しのスケジュールの調整が合わず、母親だけ先に祖母の元へ行き、私はその一週間後に遅れて祖母宅に行くことになった。つまり、その同居最後の一週間は、私と父親の二人きりで過ごすことになったのだ。

私はその予定が決まってからずっと不安だった。父親が私に『気持ち悪いこと』を言ったりしたりしてくるのは、当たり前だが母親のいない状況だけだったからだ。父親と二人で過ごす最後の一週間に、『何も起こらない』わけが無かった。でもそんなこと、母親には言えるはずもなく、支援者の心配をよそに、その一週間が来てしまった。

予想通り、その『気持ち悪いこと』は起きた。気色の悪い発言をされたり、身体をむやみに触られたりした。でも、どれだけ時間が経とうが、既に祖母の家に行った母親は帰ってこない。恐怖心に支配されながら、その家で数日間過ごした。

同居最終日の前日(土曜日)には二人で夕飯を食べる約束をしていたが、引っ越し二日前(金曜日)には私は耐えられなくなり、母親に電話をかけた。その電話に母親が出た時、その場に祖母と近所に住んでいるという叔母も居た。
ついに私は、母親にその事実を告白した。しかし母親は信じてくれず、『パパがそんなことするはず無いでしょ!?』と私を叱責した。ところがそこで祖母と叔母が『何も無かったら梓ちゃんが電話して助けを求めてくること無いでしょ!?』と母親に反論した。

結局『この場に居るのは危険だから、今すぐ荷物まとめてその家から逃げなさい!!』と言われ、10分で翌日のサークルのイベントに必要なものをまとめて、泊まる場所も決まっていない状態で家を出た。最初は都内のビジネスホテルに行こうと思ったが、涙混じりに高校の友人に電話をかけて助けを求めると、ご両親が快く友人の家に一晩匿ってくれることになった。父親には『サークルの友達の家に急に泊めてもらうことになったから家を出ました』と嘘のLINEを入れた。その時はそれで信じてくれたようだった。

しかし、翌日の土曜日に一緒に夕飯を食べるはずの時間になっても私が帰ってこなかったことで父親は激怒。その翌日の日曜日の朝、『なんで約束してたのに帰って来なかったんだ!?まるで俺から逃げたみたいじゃないか!!あいつは裏切り者だ、絶対許さない』と怒鳴りながら母親に電話をかけてきた。その連絡を受けた母親は私に大激怒し、『こうなったのは全部お前のせいだ!!お前のせいでみんな不幸になったんだ』と言い、私も反論したことによって、殴り合い・蹴り合いの大喧嘩になってしまい、その様子を見て、祖母は叔母を家に呼びつけた。

今回の別居のタイミングで両親は離婚するが、名字は父親の姓のままという約束になっていた。しかしこの電話で父親は『梓には俺の名字を使わせない』と言ってきた。母親は既に、名字を変更しない旨の手続きを済ませてしまっていたため、『そしたら梓の名字はどうしたらいいの!?』という問題になった。祖母は『こんな何するか分からない人間を私の名字にしないでよ?!』と言い、結局『どうしようも無いからパパに謝りなさい』と母親と祖母に言われ、泣く泣く父親に謝罪をした。すると、不服そうではあったが、父親は許してくれ、名字の使用許可もくれた。
唯一私の味方であった叔母は、『頑張って言ったね、偉かったね』と泣きながら抱きしめてくれた。母親と祖母は私のことを冷たい目で見ていた。


今でも母親はこの出来事を掘り起こして、『あの時梓が逃げずにパパとご飯を食べていたらあんなことにはならなかった』と私を責める発言をしてくる。そして『気持ち悪いこと』が信じられない理由を言われた。

母親の言い分はこうだ。
『パパは身体の病気だから、絶対性欲なんかは無いし、そんな目で梓を見ていない。パパの名誉のために言っとく。』

これを言われた私の心はぐちゃぐちゃだった。不信感、疑問、嫌悪、怒り、ショック。『ここまで娘が言っても夫のことを信じる母親が気持ち悪い。』と心の底から思った。殺意すら湧いた。


本当に父親のことを信じていたのか、そんな現実を認めたくないがために信じざるを得なかったのか、本当の母親の気持ちは分からない。でも、娘の被害よりも夫のことを信じた母親のことを、私はもう許したいとは思えなくなった。夫婦愛は時に間違いを生む、とは、まさにこのことなのかと思った。


この一連の出来事で、私は更に大人、とりわけ親への信用を失った。


今後、母親が私の被害を信じてくれることはあるのだろうか。『辛かったね』と言ってくれる可能性はあるのだろうか。そんなことを言ってくれたら、私は母親に優しくすることが出来るようになるのだろうか。『信じてくれてありがとう』『お母さんもしんどかったんでしょ』という言葉をかけられるようになるのだろうか。もう一度、母親のことを信じられるようになるのだろうか。お母さんのことを、また好きになれるだろうか。


自分の辛かった出来事を、『被害妄想だ』などと、身近な人に信じて貰えないことは、とても辛いことだ。悲しいだけでなく、大人への信用すら堕ちてしまう。

それでも、母親には母親なりの理由があったと無理矢理自分に言い聞かせて、親子関係をやっていくしかないのだと思っている。


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