複雑性PTSD┊遷延性抑うつ反応┊解離性転換┊バセドウ病┊ 虐待サバイバー┊飛び降り2回┊精神科入院5回 身体科4回 搬送3回┊ICU HCU 保護室┊ 自分の生い立ちや壮絶な経験を元に感じたことを書いています。 拙い文章ですが、読んでいただけると幸いです。

複雑性PTSD┊遷延性抑うつ反応┊解離性転換┊バセドウ病┊ 虐待サバイバー┊飛び降り2回┊精神科入院5回 身体科4回 搬送3回┊ICU HCU 保護室┊ 自分の生い立ちや壮絶な経験を元に感じたことを書いています。 拙い文章ですが、読んでいただけると幸いです。

最近の記事

親を捨てた

2024/10/29、私は親を捨てる。 私は約20年間、虐待家庭で過ごした。 叩く、殴る、蹴る、首を絞める、外に閉め出す、暴言を吐く、体を触る…数え切れない程の辛いことをされて育った。 そうして私は、複雑性PTSDになった。 だけど、両親の愛情が全く無かったとは思わない。 誕生日やクリスマスにプレゼントをくれた。 可愛いお洋服を買ってくれた。 旅行だって行った。 楽しいことも沢山あった。 確かに、愛情はあったんだ。 でも、それよりも、私はずっと辛かった。 とても

    • 酸欠ながらも生きていく、

      先日、2024/9/20に酸欠少女さユりさんが亡くなったという情報が公開された。 死因は公開されていないから、憶測で物を語るのは良くないかもしれないけれど、今回のさユりさんの死と今までの楽曲の歌詞から、色々考えさせられている。 毎日息苦しい。 色んな不安や義務感に追い詰められながら、でも後ろ向きになることは許されないような風潮だから、ずっと何かを頑張っていないといけないような気がする。 『休んでいいよ』 と言われても、休み方が分からない。 どうしたら自分が楽になれるのか

      • 破滅へ一直線

        『なんで親離婚させて、大学辞めて、未遂して、医療保護入院して、グルホに来て、生保になって、障害年金になって、バイトも続かなくて、両親と縁が切れて、自分の苗字変えようとしてて、こんな破滅に一直線のくせに生きてんの?』 異常な程に人生に悲観しすぎているだけの私が悪いのかもしれない。 でも、この状況下で、楽観的に?前向きに? そんなこと無理に決まっているだろう。 2024/8/22~9/20の約1ヶ月間、私は精神科閉鎖病棟で任意入院をしていた。 入院のきっかけになった心理面談

        • 自立もろくに出来ないなんて

          2024/7/11、私は9ヶ月ぶりに仕事を始めた。 カフェのアルバイトをやってみることにした。 今回のアルバイトを始めることになったのは、今の生活保護という収入では楽には暮らせない、自分のお金で好きなことをしたい、という気持ちが強くなったからだ。 アルバイトで1日5h程度、週3日程度働き、障害年金と収入を合わせれば、十分生活保護を抜けられる金額になる。 そうなれば『生活保護=他人の税金で暮らしてる』というレッテルから解放され、今よりは遊んだり欲しい物を買ったりが余裕を持

          虐待によって歪んだ認知

          児童虐待の定義 <身体的虐待> 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること <性的虐待> 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること <ネグレクト(養育の放棄・怠慢)> 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他 の保護者としての監護を著しく怠ること。 <心理的虐待> 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居す

          虐待によって歪んだ認知

          こころの寿命

          『“身体”の病気にも寿命があるように、 “心”にも寿命はあるんじゃないか。』 全力で走り続けたら、 やっぱりいつか心が壊れていく。 私たちは、この世界の中で、色んなことを耐えて、耐えて、耐えて、生きている。 学校や仕事、病院、そして生きること。 辛くても、『頑張れ』で済まされてしまう世の中。 とっくにみんなこころは疲れていて、 『消えればきっと楽になる』 と考えてしまう人も少なくないのではないか。 それでも無理して、人前では笑顔で元気に仕事をしたり、通学したりして

          こころの寿命

          親とは一生、分かり合えない

          母親から投げられた、棘だらけの沢山の言葉達。 母親の言葉は、いつも私の心を蝕む。 『すぐ死ぬと言ってズルい、死にたいのはこっちだ』 『パパとこんな関係になったのは梓のせいなんだから』 『パパもママも憎んでるよ』 『梓の苦しかったことは理解できない』 『パパがママに借りたお金を返済しないと脅してる』 『梓は余計なことをしたんだよ』 『パパ、会社をクビになりそうだって』 『私も自分の道を進みたいから、梓のことは支えられないから』 『余計なお世話』 『必要以上

          親とは一生、分かり合えない

          虐待親への怒りと葛藤

          最近の中でも、少し前、過去に虐待してきた父親に対して、怒りが芽生えて、抑えられない時期があった。 私はまだ連絡先が繋がっていた父親に、長文で罵倒するLINEを送り付けた。 “父は『梓のせいで俺の人生めちゃくちゃだ』って言ってきたけど、それはどっちのセリフよ?! あんたのせいで、私の心も体も身体も人生もめちゃくちゃよ!! あんたと会わなくなってからも絶望感で自殺未遂と入院を繰り返してて、働けなくなって生保になって、グループホームに住んでる。 こんなに堕ちたのはお前のせいだ!

          虐待親への怒りと葛藤

          支援者はママにはなれない

          施設の職員に 『ここではみんな家族みたいなものだよ』 と言われた。 ある支援者に 『みんなずっと梓ちゃんの味方だよ』 と言われた。 それらを聞いた私は、 『偽善者ぶるな。』 心の底からそう思った。 気持ち悪いとすら思った。 支援者はママにもパパにもなれない。 それに、実の子供のいる支援者は沢山いる。 『“ずっと”味方』? じゃあ24時間いつでも私が辛い時に連絡したら助けてくれるのか?駆けつけてくれるのか? 支援者が異動したり、辞めたりしたら、その後はもう連絡す

          支援者はママにはなれない

          娘の性的トラウマを信じない母親

          私は、父親から身体的、心理的虐待、そして性的虐待を受けてきた。性的虐待の程度は、世の中の被性的虐待児と比べればそこまで酷くはないが、自分の経験を他人に話せば「それは性暴力と言える」と口をそろえて言われるレベルではあった。私が成人してからも続く経験によって、私は『性的トラウマ』を抱えるようになった。 勿論、様々なトラウマによる男性不信・男性恐怖は辛かった。学生の頃から、年上、特に父親の年齢に近い男性に対しての恐怖心が強く、学校の男性の先生やバイト先の社員スタッフと親近感をもっ

          娘の性的トラウマを信じない母親

          あの駅で旅立つために

          2023/2/14(水)、私は“あの駅”へ行こうと、グループホームから2時間、片道3000円かけて東京へ赴いた。 その駅は、私が3年前に『ここで旅立ちたい』と決めた駅だ。 しかし、今回の目的は『現実逃避』。死にたい気持ちもあるが、今回はあくまでも自殺が目的では無い。 私のことを誰も知らない、誰も否定も肯定も、干渉もしてこない、そんな場所に行き、独り『死』を想像したくなった。 だからあえて田舎の近場ではなく、グループホームから遠い都会へ行ったのだ。 グループホームは良い

          あの駅で旅立つために

          自傷行為は辞められない

          自傷を繰り返す子ども・若者の多くが「不快な気分を変えるために」自傷を行っている。 実際のところ私も、「辛い気持ちを紛らわすために」や「気持ちがスッキリするから」などの理由でリストカットに及んでいた過去がある。 そこで考えたいのが 「自傷はアディクション(:嗜癖)なのだろうか。」 ということだ。 自傷は癖になりやすい。また、エスカレートしてしまいやすい。 最初は勇気を出して、あるいは軽い気持ちで切っていたのに、いつの間にか慣れて、毎日のように切ってしまうようになった

          自傷行為は辞められない

          死への執着

          私が『死』に囚われるようになったのは 中学2年生からだろうか。 当時14歳、今は21歳だから、7年は希死念慮に苦しんできた過去がある。 楽しいことがなかった訳では無い。 友達もいたし、部活では部長をしてたし、 成績優秀で塾ではトップのクラスの中のトップで、委員会では学年代表も務めていた。 充実した学校生活を送っていたが、それはあくまで学校だけの話だ。 当時の家の環濠は、ハッキリ言って残酷だった。 物心ついた時から、殴る、蹴るは当たり前。リモコンが部屋の中を飛んできたり、

          死への執着

          防衛反応としての人格解離

          最近、私の中に『人格』が居ることが判明した。 5歳女児、10歳女児、21歳程度の大人人格女性。 できる人格の年齢は、過度なストレスに晒された年齢と言われている。 つまり子供の人格は、その年齢の当時に大きな出来事やストレスがあり、その現実に直面することから守るためにこの人格が出来たのである。 私の中の5歳女児人格は、私が5歳当時親からの辛い虐待に晒され、そのつらさから逃れるために防衛反応として生まれた人格だと考えられる。 10歳女児人格も似たようなもので、当時の年齢で

          防衛反応としての人格解離

          警察のお世話になりました

          11/16  21時 眠剤を飲んだ後に落ち着かなくなり、私は夜な夜な外に出歩き始めた。 管理者にLINEしたが気付かれず、途中で動けなくなり、友達のアドバイスで110番に電話した。 しかし、警察も直ぐに迎えないと言われ、道端に倒れてしまった。 通行人の方に気づいて頂き、その後管理者が来てくれ、そのまま車に乗せられホームの自分の部屋まで戻ってきました。 その後部屋に警察も来てくれたが、 『大丈夫そうだね』 と、1分足らずで帰ってしまった。 管理者も直ぐに出てってし

          警察のお世話になりました

          虐待の後遺症

          『全部お前のせいだ』 あの記憶は、あの日の暴力は、あの言葉は、 全部私のせいなの? 私の家庭では、身体的・心理的・性的虐待・経済的DVが蔓延していた。 殴る・蹴るは当たり前。首を絞められたり、外に引っ張り出されたり、冷酷な言葉をかけられたり。 そんな環境に20年間置かれ 私の思考パターンは完全に捻じ曲げられてしまった。 どれだけいい子を繕うとも どれだけ可愛い子を演じようとも 普通の愛情は、求めても一生手に入らないし、受け取ることは出来ない。 私がわがままな

          虐待の後遺症