「第2回創作ブートキャンプ」に参加してみて
登壇された先生方の飾り気ない、直截的な意見交換を間近で拝聴することができ、とても勉強になるイベントだった。創作の指南書にあたれば、本日の講演に似た内容の教示や助言を見つけることは容易いかもしれないが、クリエイターの生の声を、会話の前後のコンテクストを含めて聴けることは、まるで異なった重みを持ってくる。指南書はそれ自体が創作物出版物であり、売り物としての指向性を持つ。しかし会話は(もちろん各先生方の思惑や腹の内があるとはいえ)、その場にいることで自ら発言者の意図を判断することができる。そのような意味で、本セッションは参加者にとって有意義なものだったと思う。以下、自分の備忘録としてエッセンスを記録する。
はじめに「何がやりたいのか」ありき
世界設定ひいてはシナリオを作成するにあたっては何よりも先に、クライアント(あるいは自分)が「何がやりたいのか」「何が魅力であると考えているのか」を明らかにすることが肝要である。
これは一言でいえば「テーマ」(世界観)になるし、数十文字であれば「ログライン」になる。テーマが決まると、登場させるキャラクターをいかに魅力的にみせるのか、どのような状況であればより魅力的になるのかが課題として立ち上がり、そこから初めて世界設定が必要となる。逆に、キャラクターの魅力を損なうものであれば削る必要がある。
世界設定は世界の設定であり、それはキャラクターやシナリオが動く、あくまで舞台である。より面白くするための装置であることから離れてはいけないし、離れてしまっては意味がない。この距離の問題はキャラクターの動きにも関わり、主人公などのキャラクターが「カメラに映る」部分は少なくとも設定を用意する必要がある。
良い設定であるかの判定基準は、エンターテインメントとして「他の人が楽しめるかどうか」に尽きる。より楽しめるか、より面白くなるかという基準に立てば、設定に矛盾が生じた際の取捨選択もスムーズになる。
また、クライアントや読者・視聴者に「これってどうなるの?」「これができるのはなぜ?」といった好奇心のフックに引っ掛けることができる設定は、なおのこと良い設定である。
(感想)
キャラクターを魅力的にみせるために、どのようにして苛めるのか(どのような試練を与えるのか)。そのためにどのような舞台が必要かを考える、といったコメントが印象的だった。
エンタメとして成功させるためには、「何がやりたいのか」が「他の人が楽しめるかどうか」に直結していなければならない。これは作家を目指す者にとって神経質にならざるを得ない命題であるが、「あなたが面白いと思っているなら面白い」というお言葉は力強い、心を震わせるメッセージであった。問題は面白さを伝えるための翻訳にある。本日の講演に引き付ければ、「何がやりたいのか」をできるだけ明文化して文章に直すことが、他の人に楽しんでもらうための第一歩なのだろう。
また、カメラが当たっているかの部分ではスターウォーズを思い出した。スターウォーズでは一瞬映るか、映ることのなかった様々な宇宙人の着ぐるみや設定が映画の裏に積み上げられている。あれを必要な投資と捉えるか、他に予算を回すべきだったと捉えるのかは、難しい問題だ。しかし、同じSF超大作であるデューンの原著が旧約新約あわせた聖書より分厚くなったにも関わらず映画化が頓挫したことを踏まえると、多ければ良いというわけではないと言っても差し支えないだろう。
世界のつくりかた
世界設定の創り方は登壇者から別のアプローチが示された。これはクライアントの意向や関係者の数によって変わったり併せたりするものと推察されるが、概ね以下の2パターンであった。
①企画やシナリオを進めながら、その都度設定を増築していく方法
②テーマや描きたいシーンなどを受けて、論理的に考えられる設定を先に書きだしていく方法
②はキャラクターの周囲を取り巻く環境を、地理的・文化的な制約から規定していくことで、キャラクターの行動について設定から裏打ちすることができる。
何故こうなのか?を積み重ねていくことで、世界に厚みをもたせ、納得感や没入感を創り出していく、という形で理解した。
(感想)
①と②は排他的な関係ではなく相互に補完し合うもので、シナリオが先行した場合には「このキャラクターがこのような行動を取ったのはなぜか?」といった形で②の手法が逆流することになるのかと思われる。
ここで先生方は理屈は重要であるものの、現実の理屈だけに囚われてはいけないと仰っていた。質疑応答でもあった先端技術とSFの関わり合いも似た議論だと思われる。
現実の理屈で説明できるから面白いわけでもなく、現実の理屈で説明できないから面白くなくなるわけでもない。魔法や「戦車道は乙女のたしなみ」といった突拍子な理屈であっても、それを全体まで押し広げることができれば、なるほどと言わざるを得なくなる。理屈をこねながらも、あるところで押しの強さを発揮する必要があるし、実際に優れた作品も、この押しに成功しているように見える。
チューンとモチーフ
先行する作品による影響について、後続の創作者は何らかの言い訳を用意しなければならない、といった風潮がある。そのような質問に対して、
その作品で「何をしたいか?」に忠実になれば、借りてきた設定もチューンされて別物になる。
似てしまったからといって敢えて避けようとしてはいけない。避けようとすることで「何をしたいか?」から逸れてしまうから。
結果として似てしまった時には、リスペクトを示すことができれば、パクリの誹りからは免れよう。現代風にいえば、それはモチーフである。
(感想)
論理的に考えれば、先駆者からの影響を断ち切ることはできない。それを排除しようとする試み自体が、先駆者の影響を示してしまうからだ。だから、少なくとも、リスペクトだけは忘れないようにしたい。
すぐに実践できるアドバイス
〇先に言い訳を用意しておくことで、後々に出てくる整合性の問題などに対処しやすくなる
〇その一言でシナリオやドラマを想起できる象徴を用意すると良い
〇あるなし表を作成しておくことで、設定の振り返りが容易になる
「死者が生き返るか?」「魔法が存在するか?」などのことかと思われる。
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