言葉への感度
written by ひろびろ🍀
■言葉への誠実さ
「自分が持っている感情と、口から出す言葉をなるべく一致させたい」
これはwattleと俺の大切にしたいあり方の一つだよね。
誰かに自分の気持ちを正確に伝えたい、って思うことは誠実で素晴らしいことだと思う。でも、言葉への感度が高いと辛い思いも沢山するよね…
みんながみんな自分の発する言葉に気を配っているわけではなく、今の世の中はむしろあえて強い言葉を使って自分を印象づけようとしたり、笑いを取ろうとしたりする風潮があると思うの。
今日も、些細な他人の言葉が矢のように胸に突き刺さって、一瞬つらくなることがあって。
その人の気持ちと言葉が一致していなかったことを願いたいけど。一致していてもいなくても、どうしても少しは傷ついちゃう。
■言葉は時に刃になる
そういう辛さから逃れるために、多くの人が自分の本当の感情を感じないようにスイッチを切る(センサーをオフにする)ような気がする。それって人としてとても不自然で、悲しいことだと思うんだよ…
目に見えないから意識しづらいけど、もし言葉の放つエネルギーが目に見えたら、きっとものすごい規模の化学反応が起きてるんじゃないかと思う。強い言葉は矢のように飛んでいって人の心を貫き、優しい言葉はきっとヴェールのように優しく人を包んでる。
自分の言葉の選び方・使い方に気を配りながらも、他人のそれにはある程度の許容量を持つことができたら理想だけど、もしそれができなくて傷つきやすい心のままだったとしても、自分から人に発する言葉には敏感でいたいなと思った今日でした。
written by wattle🌼
このテーマは、俺もけっこう考えてきて一家言あるところだから、何から書いていいかまような〜。。笑
■ ひろびろは俺の100倍は敏感
まず最初に言いたいことは、ことばへの感性、感度という意味で、ひろびろの方が俺の100倍は敏感だと思う!俺も鈍感な方ではないと思うけど、世の中の人と比べても、ひろびろは人一倍豊かな感性を持っていると思う。
そして、このことばへのきめ細やかさが、人からの相談に乗ってあげたり、アドバイスを的確にしてあげられるひろびろの力のベースになっていると思う。
一方で、ひろびろも書いている通り、きっとことばを大切にするが故に、言葉を大切にしない人たちとのやり取りの中で苦しんでしまう場面があるんじゃないだろうか。
■wattleの場合
ここから、うまく伝えられるかちょっと自信無いながらも、書いてみる。
〉❶「自分が持っている感情と、口から出す言葉をなるべく一致させたい」
〉❷ 誰かに自分の気持ちを正確に伝えたい
ひろびろの言う❶と❷は、俺の中ではちょっと違うことな気がするんだよね。
❷からいくと、これは俺もめっちゃ大事にしてる。究極、人は誰かに何かを伝えるために生きているのではないかとさえ思う。ほんで、伝え方って別に言葉だけじゃないはずで、例えば手作りのチョコやマフラーを作ってみたり、受験の前にお守りを買ってあげたりすることもできる。(この場合、ことばよりももっと思いが伝えられることもある。俺のバイブル『君に届け』はこういったことの宝庫やと思う。。。)
❶に関していうと、俺がかなり意識的に心がけているのは、逆の場面になっちゃうけど、「感情(情念)に支配されたまま言葉を吐かない」こと。怒りに任せてトゲのある言葉を吐きそうになる、頭に血がのぼる、でも、それはしない。ポリシーみたいなもんかな。
…めっちゃ疲れるけどな、感情を抑えるところは…笑
■「言葉に誠実」であることの難しさ
さて、ここからが本題。
>「自分が持っている感情と、口から出す言葉をなるべく一致させたい」
俺は、率直に言うと、これを追求するのはちょっと危険だと思っちゃうんだな。
なぜかと言うと。
多分ひろびろも俺と同じで、「人を傷つけるような言葉は吐かない」というゴールデンルールを自分に課していると思う。(たぶん)
そうだとすると、他人にムカつくようなことがあったとき、袋小路に入ってしまう。「てめぇムカつくマジふざけんな、一回死んでこいゴルァ!」みたいなのはゴールデンルールにより禁止されるので。
となると、残される道は、「他人を否定するような感情を否定する(見ないフリをする)」しか、なくなっちゃうと思うんだよね。
〉そういう辛さから逃れるために、多くの人が自分の本当の感情を感じないようにスイッチを切る(センサーをオフにする)ような気がする。
この部分って、負の感情に基づく言葉を受けるときだけじゃなくて、実は自分が負の感情を吐き出すべき場面にも言えることなんじゃなかろうか。
written by ひろびろ🍀
たしかに、俺は言葉にかなり敏感かもしれないね。その特徴がよく出たときは「感受性豊か」って人から言われたり自己認識したり。逆に感度の高さが自分を苦しめてしまうときは「繊細」っていう表現がしっくりきたりする。
俺はよく言えば言葉の力や可能性を信じてるんだけど、wattleのコメントを読んで、「言葉では表現しきれないもの」や「言葉以外の手段でこそ伝えられること」があるような気がして、まずそこにハッとした。
■wattleのツッコミについて
>「人を傷つけるような言葉は吐かない」というゴールデンルール
>他人にムカつくようなことがあったとき、袋小路に入ってしまう
これはものすごく鋭い視点!!
実際にこの流れが自分の中で起きたこともあって、俺は何十年も感情を失って生きてきた実感がある。人にも自分にも、暴力的で激しい言葉を使うことを禁じてきた感じ。
20代後半になって、「あなたは自分の感情を10%くらいしか把握できていない」と心療内科医に言われて衝撃を受けたのを思い出した。。
ここまで書いて思うのは、それでも「自分が持っている感情と、口から出す言葉をなるべく一致させたい」って思うことは悪いことではないかなと。問題は、ネガティブな感情が湧いたとき、その感情をそのまま表現することよりも自分の中の「使っちゃいけない言葉」(ゴールデンルール)が優先することなんだと思う。
優しくありたい、柔らかい言葉を使いたいと思うこと自体は素敵なんだけど、その背景にあるのが傷つけられた悲しみだったりすると、この種のゴールデンルールを自分に課しちゃうかもしれないね。
ゴールデンルールに縛られすぎず、自分にも他人にもある程度のアソビや許容度を持つくらいのバランス感覚がちょうどよさそうだと思ったよ。
written by wattle🌼
〉実際にこの流れが自分の中で起きたこともあって、俺は何十年も感情を失って生きてきた実感がある。人にも自分にも、暴力的で激しい言葉を使うことを禁じてきた感じ。
〉20代後半になって、「あなたは自分の感情を10%くらいしか把握できていない」と心療内科医に言われて衝撃を受けたのを思い出した。。
これ、壮絶だな。。。でもこんな時代を経験したひろびろだからこそ、今のひろびろがいて、俺は今のひろびろが好きだ。
〉ここまで書いて思うのは、それでも「自分が持っている感情と、口から出す言葉をなるべく一致させたい」って思うことは悪いことではないかなと。
良いと思う良いと思う!俺は正直そこまでやろうとは思わないけど(笑)、結局こだわりなんて人それぞれで。犯罪とか法に触れない限り、どう生きようと自由だからね。我が道を行くべし。
問題は、ネガティブな感情が湧いたとき、その感情をそのまま表現することよりも自分の中の「使っちゃいけない言葉」(ゴールデンルール)が優先することなんだと思う。
昨日改めてこれ読んでインスピレーション降りてきて、『三原色』の詩を作ってみました。このあたりはまた別稿で書きたいな。
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