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土崎

1945年

8月14日

終戦前夜

午後10時半頃から約4時間

秋田市土崎…

土崎空襲。


昭和10年代、石油資源に乏しい日本にあって、八橋油田は次々と掘井に成功し、日本第一位の産油地帯となるなど、全国的にも注目されていた。

製油は土崎の日石製油所と船川の日鉱製油所で行われていた。

土崎港が突然米軍機に襲われた。

警戒警報なしにいきなり空襲警報が発せられ、それとほとんど同時に爆撃が始まったという。

爆撃の標的は土崎港北大浜地区の日本石油秋田製油所であった。

この空襲により、日石秋田製油所が壊滅しただけでなく、死傷者が数多く出た。

この土崎空襲は終戦前の米軍最後の攻撃であったとされる。

(総務省「秋田市における戦災の状況(秋田県)」より抜粋)


標的とされた旧日石製油所を、2008年に見学させていただいた。

あちらこちらに残る痕跡に、空襲の悲惨さを実感した。

被災したけれど崩壊を免れた「被爆倉庫」に入ったときは、息をのんだ。

見るもの聞くものが、悲しい歴史を訴えかけてきた。


この建物の柱や梁の一部は、土崎みなと歴史伝承館に移築されているので、見てほしい。

「土崎空襲の記録(跡地めぐりマップ)」を手に、足を運んでほしい。

土崎港被爆市民会議のHPを見てほしい。


土崎空襲のことを、知ってほしい。

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