四十にして没頭する
四十歳の誕生日を迎えたその日の晩、スマホのメッセージアプリを開くと、小学校に上がったばかりの姪っ子からお祝いのメッセージ動画が届いていた。
前に合ったのはお盆で帰省したときだから、顔を見るのは3ヶ月ぶりくらいだろうか。会う度に言葉遣いや仕草がお姉さんらしさを増して成長の早さに驚かされる。それにしても、伯父の誕生日にわざわざ動画のメッセージを送ってくれるなんて嬉しい。そこまで慕われていると思うと思わず笑みがこぼれてしまう。いったいどんなメッセージをくれたのだろうか。心を弾ませながら動画を再生してみる。画面の中では、前に会った時より少しお姉さんになった姪っ子が照れながら一生懸命に次のメッセージを伝えてくれた。
「●●くん、四十歳のお誕生日おめでとう、長生きしてね」
六歳の女の子にとって、四十歳は長生きしてもらいたい対象なのだという現実を真摯に受け止めながら、ますます健康に配慮した一年を過ごそうと心を新たにした。何より姪っ子の心遣いにとても嬉しい気持ちになった。
四十歳は不惑の年。
節目にひとつ「人生の目標」的なものを打ち立てたいと気まぐれに思うようになった。
孔子は四十歳にもなれば自分の生き方に迷いがなくなると説いた。迷いがなくなるのはとても理想的ではあるが、興味の移り変わりが激しい私にとって、これと決めた事を最後まで貫き通す自信はあまりない。
人生の目標という錦の御旗を掲げ、早々に下ろすことになるのも見栄えが悪い。なるべく汎用性の高いものが望ましい。
熟慮を重ねた結果、人生の目標を「死ぬまで幸せに生きる」とすることにした。幸せを放棄することはそうそう無いはずだろうから、汎用性の高さとして申し分はない。
幸せに必要なものを自分なりに考えてみた。
居場所(無条件で自分らしく居られる場所)
ありのままの自分を受け入れてもらえる場所。家族や友人、知人、趣味の集まりなどがそれにあたる。価値観が多様化する世の中において、自分の理想を大切に温め、堂々と表現でき、損得なしにいいねと受け入れてもらえる場。そんな世界観を共有できるコミュニティがより重要になると思う。
没頭できる活動(夢中になれるもの)
遊んだり、ひたすら何かをつくったり、学んだり、誰かと繋がったり。好きなことはもちろん、多少のストレスを感じてでもチャレンジしたいと思えるもの。時間を忘れてのめり込む感覚。誰でも探せば見つけられることを大切にしたい。
自己超越(制限を超えて何かの役に立っている)
しがらみなく自然体かつ無我の境地で何かのために何かをしたい想い。情けは何かの為ならず。何かに親切にすれば何かのためになるだけでなく、巡り巡って自分の幸福感が増す。当たり前のように何かに役立っていたい。没頭活動で得たものを何らかの形で他人や社会のために役立てられたら尚良い。
これからは没頭できる活動をするぞと意気込んで、実家から昔使っていたギターを家に持ち込んだら置き場所に困ると家族のひんしゅくを買った。
まだまだ残りの人生は長い。きっと受け入れてもらえるだろう。
姪っ子のためにも長生きしなければ。
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