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グループ断食1日目の夜と2日目の朝に思ったこと
もうわけわからんほど身体に力が入らない。
1週間断食の2日目。
準備食2日→水と塩断食3日→回復食2日 というコース。
今まで何度も断食してきたし、やる前はいつも楽勝!って思う。
でも現実はそうじゃない。
空腹感には慣れまくってるから
「食べたい!」
という苦しさに悩まされることはないんだけど、低血糖によるダルさだけはどうしようもない。
昨日の夜は週に一度のバスケ。
「1日目だし、まだ身体に糖が残ってるから大丈夫でしょ!」
とか思ってたけど、全然そんなことはなかった。
気合を出さないと動けない。
頭も全然働かない。
好転反応なのか頭痛も出てきて散々なバスケであった。
断食と激しい運動の相性は分かっていたけど想像以上に悪い。
バスケの後、サラダを食べた。
大根サラダに塩とごま油をかけただけのもの。
こんなものでも激ウマ。
断食のメリットの1つだと思うんだけど、ちょっと口にするものが涙が出るほど美味い。
「俺生かされてるんだ〜」
と感謝したくなる。
かつてのブッダやキリストが悟りにいたる家庭で断食をしたというのもうなずける。
慈悲の気持ちは断食から生まれたのかもしれない。
サラダをありがたく頂いたあと、ボードゲームをした。
もう死人のように顔色が悪いらしく、他のプレイヤーから
「顔色悪いっすよ」
と言われた。
頭は働かなくてもボードゲームはしたい。
ボードゲームの中毒性を感じた。
かなり有利なゲーム展開になるはずだったが、サイコロの目が恐ろしく悪くて敗北した。
おかしいなぁ。
麻雀界のレジェンド「無敗の男」桜井章一は、試合の1週間前から「寝ない・食べない」
断眠・断食によって感覚を極限まで高めると、麻雀牌を触った瞬間にその牌が何なのか分かり、他のプレイヤーの思考が手に取るように分かると言う。
僕は全然そんな感覚はなかった。
ただただ回らない頭でその場にいただけ。
負けるべくして負けた感がある。
もし1週間の断眠・断食をやったならもう一度ボードゲームをしてみよう。
12時に寝て、6時に目が覚めた。
空腹感に慣れているから
「お腹が空いて眠れない!」
ということはない。
朝までぐっすりである。
寝起きもスッキリだった。
しかし、、、
身体がものすごく重い。
心臓の鼓動も異常にドクドクいっている。
低血糖に身体が抵抗している。
この低血糖のヤマを超えるまでが断食のツライところだ。
でも僕はこのヤマを超える方法を知っている。
頑張らないことだ。
台風はずっとは日本上空に居続けることはない。
低血糖の反応も永遠には続かない。
糖という体内でインスタントに生成できるエネルギー源がなくなると、人間の身体はケトン体というエネルギー源にスイッチさせる。
脂肪から生成するエネルギーだ。
僕の場合、ケトン体への切り替えのときに立ちくらみがくる。
古くなった蛍光灯が電気の通りが悪くなってジジッ!ジジッ!というように人間の脳みその中でも起こるのかもしれない。
ちなみに今朝1回目の立ちくらみがあった。
切り替えモードに早くもなってきたようだ。
本格的に断食し始めると2日目くらいから僕の場合耳の鼓膜が突っ張ったような感じになって耳が聞こえづらくなる。
でも断食を終えて元の生活に戻れば正常に聞こえるようになるので心配はしてない。
きっと鼓膜周りについている余分な脂肪がなくなることで起こる現象なのだろうと思っている。
僕は今までずっと1人で断食してきたから、今回はじめてグループで断食していて本当に楽しい。
苦しさは半減どころか5分の1くらいに感じる。
自分以外の人たちにでる好転反応も楽しみだ。
人の個体によって身体の状態は違うから、きっと全然違うはず。
好転反応を異常と捉えるか、正常に向かうプロセスと捉えるか、ここは判断が難しい。
断食は身体と心の状態を良くするためにやるものなのに、心が病んでしまったら本末転倒だ。
心が壊れるくらいならとりあえず生きる上で問題のない身体を酷使する必要はない。
遅かれ早かれ人はどうせ死ぬのだから。
僕は楽しみとしての断食を推進したいと思う。
それが僕の断食の原点である不食というもののコンセプトだから。
「食べないを楽しむ」
この感覚が分かる人が増えたらいいなぁと思う。
健康って大切。
とりあえず生きてれば可能性は無限大だ。
人生なにが起こるか分からない!