ピアニストでも男性と女性で演奏の傾向が違う?
クラシックを聴いていると特にピアノの楽曲で、男性と女性の演奏の傾向が違うと感じることがよくある。
男性ピアニストは、ひとつひとつの音を明確に粒立って演奏する人が多いように感じる。例えば、クリスチャン・ツィメルマン、グレン・グールド、マウリツィオ・ポリーニなどのピアニストだ。
これに対して、女性ピアニストは流れるような濃淡のある情熱的な演奏をする傾向にあり、男性ピアニストのように「ひとつひとつの音を明確に鳴らしているな」と感じさせる人はあまりいないように思う。昔ではマルタ・アルゲリッチ、最近だとカティア・ブニアティシヴィリの演奏を聴いているとそう感じる。
私はこれまで、こういった演奏の違いを、男女のステレオタイプに漠然と当てはめて納得していたところがあった。
つまり、男性はなんでも理詰めで物事を捉え、あらゆるものを明快にしたいという志向があるから、音像を明確化するような演奏を好み、女性は感情的で情動的な傾向にあるから、ピアノでもそのような演奏をするのだと。
このような思い込みに一石を投じてくれたのが、書籍『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(河出書房新社)である。
この書籍によると、ピアノの鍵盤というのはもともと男性の手のサイズに合わせて作られているらしい。
つまり、女性にとっては鍵盤のサイズがやや大きめな作りになっており、手のサイズに合っていないということだ(先に触れたアルゲリッチもプロのピアニストの中では比較的手が小さい方である)。
そうなると当然、ひとつひとつの音を明快に鳴らすのが男性に比べて困難で、鍵盤の上を流れるような情動的な奏法にならざるを得ないのではないだろうか。
これに関連して「幅の狭い鍵盤のピアノがあれば、手が小さい人でも無理なく演奏ができるようになるのではないか」と考えたのがカナダのピアニスト、クリストファー・ドニソンだ。
幅の狭い鍵盤のピアノは、残念ながら現代ではあまり流通していないし、普及もしていない。演奏や練習の際に、このような幅の狭い鍵盤のピアノも選択できるようになれば、どの奏者も無理なく自分の思い通りにピアノで弾けるようになり、先に述べたような男女の演奏傾向の差異を無くすことができるかもしれない。