なぜ、映画を観るのだろう?
映画。なんで観るのかな?
ふとそんなこと思った。
小学低学年の頃、夏休み・春休みには東映のゴジラものを見に行っていた。船橋で映画を見て、デパートでお子様ランチをご馳走になる。コレがパターンだった。
いつも怪獣カード繋がりの友だちのお母さんのおごりだった。怪獣カードコレクションのほとんどや、怪獣図鑑も彼がくれたのだった。カードの中で静止画な怪獣たちが映画館で暴れ回る姿に二人で興奮していた。
僕らはしなかったが、当時、映画館には結構小さい子も来ていて、怪獣が現れると「ゴジラー」とか「モスラー」とか掛け声が上がった。
時は流れて、小学校6年だったと思う。怪獣友だちとはあまり会わなくなり、僕には新しい親友ができた。
ある日、普段あんま構ってくれない父親が突如、親友のフッタくんと僕を都内の映画館に誘う。小松左京の日本沈没だった。子どもには難しい映画だった。延々とダラダラ続く感じがしたし、暗いし、浜辺のベッドシーンもあり、当時の少年からすれば、なんか嫌な思い出しかない。
まあ、でもその後、小松左京さんの小説は名前を覚えていたせいで中学、高校時代にたくさん読んだ。この人のSFは深いし、とても面白かった。
母方の叔父の一人に連れられて、砂漠で花が咲きまくる映画を見せてもらったこともあったかも。でも小学生にとってはちょと退屈だった。
中学時代に、生徒会の先輩で、ちょっとはっちゃけた人がいて、僕と副会長を有楽町のシネマに誘ってくれた。もちろん学校や親には内緒だった。バレー部で、背が高く、モテモテの先輩だった。有楽町の地下鉄の駅の売店でカレーもゴチになった。いい先輩だなと思ったが、何をみたかは正直覚えていない。
同じく中学時代、お目当ての女の子とスターウォーズと宇宙戦艦ヤマトの二本立てを千葉市の映画館で観たくて、誘ったのだけど、翌日なぜか、クラスの半分くらいの人に知れ渡り、皆で一緒に行くことになり、雰囲気は台無しになったけど、今じゃ懐かしい思い出だ。
浪人時代。予備校の勉強が嫌で嫌でしょうがなくなり、一人で錦糸町の映画館で「エイリアン」とか「トロン」をみて現実逃避してた。 「ポルターガイスト」ってスピルバーグのオカルト映画も見たけど、母の愛の力強さに思わずボロ泣きしたこともあった。
ビートたけしさんの弟子の水道橋博士が、映画は「人生の予習」ってなんかの番組で言っていた気がする。まあ、そんな教科書的なもんではないとは思うけど、一理あると感じたことを覚えている。
てな訳で、映画と僕の人生の歴史は深いところで繋がってる。
何気に映画を見ていて、いつもじゃないけど、ちょっと他の人生を覗き見するような、そんな瞬間を感じることがある。
そんなこんだで、なんとなく最近、気になった・思い出した映画。
MIST
ミスト (字幕版)
突如白い霧に包まれ、日常であるショッピングセンターが異世界とつながり、巨大な昆虫や怪物に襲われてしまう。人々は助け合いながらなんとか互いの生命を守ろうとする。
この映画の本当に怖いのはここからだ。1人教祖のような女性が信仰宗教のようなものをはじめてしまい、人々は憎み合う構図に陥っていくのだ。
恐怖漫画のカリスマ梅図かずおさんの「漂流教室」でも、普段おとなしい給食のおじさんが変容したり、大友くんが過激なグループを立ち上げたり、女番長が仕切ろうとしたり、といったシーンが度々現れる。
この映画を見ていたら、オウム真理教のサリン事件や浅間山荘事件を思い出した。
この映画は、閉じた世界で希望を失うことの危険性を教えてくれると僕は思う。