101年目の関東大震災に思う
関東大震災の朝鮮人犠牲者の追悼式に小池百合子東京都知事が欠席の旨を伝えたという。9月1日は関東大震災から101年目になる。欠席については、招いた側、招かれた側の双方に言い分があるだろう。それを報道する新聞社にも、きっとそれなりの理由があるはずだ。
小学校3年生のときに、東京・日本橋で震災に遭った父だったのか、父の母である祖母からだったのか判然としないが、この「朝鮮人虐殺」の話を聞いている。目撃したわけではない。避難先の伝馬船へ、夜、遠くから悲痛な声が聞こえてきたという。
震災のどさくさにまぎれ朝鮮人が井戸に毒を投げ込むという風評が流れ、自警団の人々の手によって多くの朝鮮人が虐殺された。混乱のさなかとはいえひどい話である。うまく話せない人間は、日本人の障がい者であっても殺されたという。
混乱の中、根も葉もない怖しい風説が流れやすい土壌と、それをたやすく信じてしまい、たちまち暴徒と化す人間の恐ろしさを示す例として、よく、引き合いに出されてきた。混乱の中に発生する流言と、ごく普通の人々が暴徒に変貌していくようすなど、1世紀たってしまったからなのか最近はあまり聞かなくなった。多くの災害を経験して、誤報の形態や伝播の実態に変化を生じているからでもあろう。
いまの時代であれば、情報はスマホに依存する。そこで、面白がってフェイクニュースを流す愚か者も少なくない。100年たっても流言を醸成する温床は変わらない。容易に信じる人も同じである。ただ、形態が違うだけだ。
関東大震災のとき、一面、焼け野原となった暗闇の向こうから、風に乗って聞こえてきた殺されゆく人々の声を、小学3年生の亡父はどんな思いで聞いたのだろう。尋常小学校の卒業写真で見る父は身体も小さかった。いかにもひ弱そうな少年である。真っ暗な焼け跡のむこうから聞こえてくる途切れがちの泣き声は、さぞ、怖かっただろう。
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