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願いはただひとつ

 字が書けなくなったのは、5年前、74歳のときだった。長かったサラリーマン生活も残りが1年ばかりになっていた。相談役という肩書で週に3日、出社する日々である。月々、少なくない“捨て扶持”をもらっていたので、オーナーの出社にあわせての週3日の出勤だった。

 むろん、だれも相談になどこない。あてがわれた広い個室で、終業時間までひたすら無聊に耐えた。そんなとき、いろいろな不幸が一度に襲ってきた。まるで「待ってました!」といわんばかりの烈しさだった。

 怖いようなそれまでの幸運のツケが一気にやってきた。そんな不運を悟られないようにして、会社では過ごしている。弱みを見せたくない。それがぼくのささやかなダンディズムだった。

 字が書けなくなりつつあるのに気づいたとき、パーキンソン病を疑った。社員数がわずか130人ほどの会社なのに、ふたりの社員がパーキンソン病を患っていた。息子のように思っていた後輩をALS(筋萎縮性側索硬化症)で失ったばかりだったので、ALS かもしれないとも思った。

 会社へ出ないでいい日、地元の大学病院で検査を受けた。かなりのつらい検査だった。ALSではないがパーキンソン病と診断結果が出た。ALSの悲惨さは後輩で見ているから、正直なところホッとした。パーキンソン病とわかって覚悟もした。

 ほかに、原因がわからないまま、右目の光を失うかもしれなかった。うつになった。右目はセカンドオピニオンで網膜剥離とわかり、緊急手術でことなきを得た。うつも完治した。今年の春、パーキンソン病が誤診だったとわかった。

 ウソのような老後の安息が訪れた。あとは以前どおり字が書けるようになるだけでいい。だが、焦らない。5年ほど字を書いていないので、ことあるごとに、少しずつ字を書きはじめた。復調の手応えはある。生きているうちに字が書けるようになってくれれば、もう、何もいらない。

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