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死が蠱惑(こわく)だったころ

 60年前に読んだ本を、きのうから、また読んでいる。新装がなった『されどわれらが日々』である。ぼくよりはるかに若い友人がFacebookで新装版を読んで論評している。むしょうになつかしくなり、電子版を買った。

 タイトルの表記が新装版で変わったようだ。しかし、中身は昔のままだろう。読んでみたら、まるで新作を読むようだった。ほとんどを忘れていたからである。

 青春のバイブルとまでいわれただけあって、当時の学生たちの多くが読んでいた。ぼくは、せいぜい、「東大にはかなわないや」と思いながら読んだのかもしれない。

 著者の柴田翔さんは、まさに秀才である。ぼくより10歳年上の1935年の生まれで、友人のFacebookへの投稿から東京大学の文学部長を勤められたのをはじめて知った。

 15年ほど前の話、60歳で定年退職した知り合いが、蔵書を処分した話をしていた。そのとき、『されど われらが日々——』はベストセラーだったので、古本としては買いたたかれて売れないと嘆いていたのを思い出した。

 中身はすっかり忘れているが、あの時代をほうふつとさせる。ただ、男と女の関係は、もっと、生々しかったと思いながら読みす進めた。そのあたりは東大の秀才のとの大きな違いかもしれない。男と女の現実のあり方に踏み込まずにいた柴田さんとの差ともいえる。

 60年安保闘争のころが舞台になっているが、ぼくらのころのゲバルトの壮絶さはこんなものではなかった。いまにして思えば、まさに「狂気」である。

 もうひとつ「自殺」が身近だった時代だった。睡眠薬で眠りながら死んでいくのが美学であり、流行であり、青春といえた。

 卒業論文を書き終えた直後、卒論を机の上に置いて死んでいるのが発見された男がいた。活動家であり、内ゲバで殺されたのかと思ったらちがうという。自殺でもなく、自然死だそうだ。少なからず落胆した。そんな暗さのある時代だった。

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