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サステナブルな漁業は虚構なのか

引き続き、Netflixでサステナビリティのことについて学んでいる。

Cowspiracyを観て畜産業界のあり方に疑問をもったとなれば、こっちも観ないといけないだろう、というのが「Seaspiracy 偽りのサステナブル漁業」。

海の資源が枯渇してきている原因を探っていくうちに見えてくるいろいろな問題を提起している。鯨を捕るなんて、という日本人としては割とセンシティブなところから始まるのだけれど、問題はそんなレベルではなくて、漁業全体に向かっての疑問と不審と欺瞞が明らかになっていくというもの。環境保護団体、警察などの当局、各国政府などの組織ぐるみのアレやコレがどんどん出てくるし、ショッキングな内容や映像も多い。

一方で、この映像にもいろいろと問題はあって。例えばでいうと、この動画自体が「魚を食べるな」という結論ありきで進んでいること。ゼロイチの議論でどうにかできる問題ではないので、現実的な落とし所や提案を出していかないとどうにもならないのだけど、そのあたりは一切考慮せずにゼロを推奨するのは違うかな、と。あとは、シー・シェ◯ードの肩を持ちすぎていることとかも。あれの活動はテロ団体に近いと思っているので。あれが正しい行いのように切り取られているのは容認できない。

あとは、先日観たCowspiracyとまったく同じ展開で進むので、なんというかある意味ハリウッド映画のようなお決まりパターンなんだろうな、というのがよく分かる。それでも、現状を知るうえでの重要な映像であることは間違いないと思っていて、魚を食べるなら知っておくべきことだろうとは思う。だから、この映像は価値があると思っている。

自分に当てはめて考えてみると、肉は食べない代わりに魚は食べるようにしているのだけど、それももっと少なくするべきかな、と思うように。というか、想像以上に海が汚染されすぎていて、あまり魚を食べたくなくなってきてしまった。でも、マイクロプラスチック問題よりも、漁業で使われる漁具のほうが海洋ゴミの割合としては桁違いに大きい、という事実は、この映像で知れて良かったと思う。

今、1日1食が魚をたべる目安なのだけど、もう少し減らそうか。Cowspiracyを観て牛肉を食べないようにと考えるなら、Seaspiracyを観て魚を食べないようにと考えないと釣り合っていない、とも思ってしまう。でも、さすがにゼロにはできそうにない。やっぱり、日本人としては食べたいと思ってしまうので。

そういった状況の中でも、食べる魚の種類はもっと考えたい。もともと高級魚とか大型魚とかはほとんど食べずサバとかイワシとかばかり選んでいるのだけど、食べるならそのほうがまだベター、だろうか。結局のところ漁業をするだけでも環境に負荷をかけてしまうのは確かなので、もっと環境負荷の低い漁業になってほしいのだけど。

漁業で生計を立てていらっしゃる方からすれば、たわごとのように思える内容かもしれない。でも、現実問題として海で穫れる魚の量が減っていて、実際に漁師の方々も以前のようには穫れなくなった、とインタビューで話しているのを何度となく見ている。ここにきて、もうサステナブルじゃないことは明らかなわけで、海の資源を回復させるためには、海の資源を穫らない、少なくとも獲りすぎないことが絶対に必要だと思う。でなければ、20年後くらいにはもう魚が全然食べられない、なんてことが起きかねない。そんな未来は嫌だな、と思う。

海の資源を獲りすぎないようにするための仕組みというと、漁獲枠が決められていたり、というあたりだろうか。このあたり、なんとなく存在は知っているのだけど、実態がよくわからないので、宿題として調べてみようか。

この先も、ときどきでもいいから魚は食べられる世界であってほしいので、やっぱり何かしら対策は打っていかないといけないだろうし、一個人、一消費者としても何かしら声を上げていかないと変わっていかないだろうな、と。具体的に何が、というのは人によっても違うと思うけれど、まずは知ることから始めるというのがひとつだと思った。

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