『キッチンの歴史: 料理道具が変えた人類の食文化/ビー・ウィルソン』 読了
食の歴史は道具の歴史。
先日読んだ『「食べる」が変わる 「食べる」を変える』のビー・ウィルソンさんの前著。これは2014年のものなので、少し前のもの。
相変わらず興味深い内容が多くて、スプーンやナイフやフォークといったカトラリー類の歴史を紐解いてみたり、コンロやキッチンといった料理を作るための環境について紐解いてみたり。技術の進歩と変化に伴って、料理をする環境がどんなふうに変わってきたのかが、様々な視点から語られている。どの話もとても興味深い。
事例紹介が多いので、とんでもなくすごい発見があるわけではないのだけれど、古代、中世、近代と時代が下るにつれてどんなふうに変わってきたのかを見ると、キッチンの歴史って、労力の軽減なんだな、と分かる。当たり前の話ではあるのだけど。
でも一方で、食に関する変化についてはいつも非難の対象だったことも。でも、これも簡単に想像できる。「昔ながらの手仕事」がもてはやされて、新しい道具や新しい考え方は、いつの時代も非難される。「そんな楽をして料理を作るなんて、美味しいものができるわけがない」。
どの分野でも技術の進歩にはつきもの話だけれども、食というのはとりわけ保守的な面が多くなるのは、なんとなく分かる気がする。そして、これはどの国でも変わらずに見られることなんだな、と。
あと、違う習慣を否定し馬鹿にするのも、食で特に多い気がする。あんなものを食べるなんて/あんな食べ方をするなんて、野蛮だ・遅れてる。これもどの時代でも、どの国でも行われきたこと。人間って、「自分たち」と他者を区別したいときに、こういう文化とかで相手を見下して、自分たちが優れてるというマウントを取りがち。
でも、フォークを使うのが野蛮と思われていた時代があったというのは、なんだか目からウロコだった。フォークが一般的に使われるようになったのは16~17世紀ごろと、割と最近なことは知ってはいたけれど、それが普及する過程でこんなに偏見があったとは知らなかった。そう考えると、新しいツールはいつも批判の対象になるものなのかもしれない。その中で、これ便利だよね、というコンセンサスが得られていったものだけが普及していくのだろうな。
自分の台所を見てみると、最新式のツールが何かしらあるだろうか、と気になった。シリコンのへらは、形状は昔からのものだけど間違いなく最新のテクノロジーだと思う。テフロンのフライパンも同じくだし、ピーラーだって、ここまで考え抜かれた形状におちついたのはごく最近だという。別に定温調理器やエスプーマがなかったとしても、今現在手に入るキッチンツールは、ほとんどのものが最新のテクノロジーに依っているものなんだと思う。
過去の人たちの苦労をもとにして、改善されていった姿が現在のキッチンなのかと思うと、味気なく見えていた風景がなんだか素晴らしいものに一変して見えてきた。