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米と酒の合う合わない

先日、Barでの会話で米と酒の話になった。

ごはん(というかお米・白米)に合う酒というのは一体なんだろう?

そこに居た店主と数人で話してみると、米と酒というのは基本的に合わないもの、という認識で概ね一致していた。

これは昔からずっと疑問だったことなのだけど、改めてそういう話をしてみると、やっぱりほとんどの人が「合わない」と思っていることがわかって、やはり、と思うのと同時に本当に不思議でよくわからないというもやもやしたものがずっと残る。

晩酌で酒を飲むという行為を考えると、ごはんがないおかずだけの状態でビールなり日本酒なりを楽しんだあとの〆でごはんと味噌汁、というような状況がイメージされるのは、たぶん割と一般的だと思う。

晩酌と言えばこういうイメージ

自分の父親もこのスタイルで、夕飯のときはいつもビール1本とおかずを食べて、最後にごはんだった。ほかのお酒も飲む人だったけど、白米とともにビールなり日本酒なり焼酎なりを合わせることは見たことがなかった。家の中に限らず、外でいろいろな人と呑み会なりなどをするときも、だいたいそういう傾向だった。

個別のメニューでごはんもの考えてみると、天丼やカツ丼、牛丼などはビールには合いそうな感じはする。でも、「抜き」というようなメニューがあるように、ごはんはなしにしてビールと合わせる、という食べ方が存在しているところを見ると、基本的に合わない、合わせにくいのではというのが分かる。

カレーライスに合う酒というのは、永遠のテーマだったりする。お酒もカレーも好きなものなので、そのふたつがうまくペアリングすれば本当に楽しい世界になると思っていたものの、いろいろと試していってもどうもコレといった組み合わせが無い。ビール? 日本酒? ワイン? カレーを食べながらこれらを呑んでみては、いややっぱり合わないな、となる。ただ、つい最近気づいたのはアブサンやペルノのような、アニスの入った酒がかなり合わせやすいということ。これもとあるBarで教えてもらったことで、やってみたらかなり意外ながらも腑に落ちる点もあった。これについてはまた別に書いてみたい気がしている。

鮨は日本酒やワインと合うように思うけれど、実際にはあれは魚に合っているだけで酢飯になにかしらの酒が合うかというと難しいように思う。おにぎりに合う酒というのはあまり想像できないし、漬物とごはん、かやくごはんあたりと合う酒というのもピンとこない。炊き込みご飯ならなんとなく分からなくもないけれど、やはり米の味というのより調味料と具材の味に合っているだけな気がする。

お茶漬けや粥のようなものにも酒は合わせにくい気がする

「抜き」というメニューがあるのは米だけではなくうどんや蕎麦もある。これら炭水化物系はあまり酒と合う気がしない。でも、つゆのおかげもあってか、日本酒あたりならまだちょっと合う気がする。これも炊き込みご飯と同じような法則だろうか。

同じ炭水化物でも、パスタやパンはワインとの相性はかなり良い気がしている。バゲットと赤ワインは、割とそれだけの組み合わせでも美味しく感じられる。素パスタも白ワインと合わなくもない。アーリオ・オーリオのように油脂が入ると、ワインの出番とも考えられる。

こんなことを、割と昔から考えてきていたのだけど、今回の会話のなかでそういえば、と思ったことがひとつあった。

どの本だったか忘れたのだけど、日本人は世界的に見ても特にアルコール分解能力が弱い傾向にある、ということ。そしてそれは、米食の地域とほぼ重なること。つまり、中国やベトナムなど東南アジアの一部、そして日本などの米食文化圏では、アルコール分解能力が弱い人間が多いという統計がある。

そしてそれは、米とともに生きるためにはアルコール分解能力が低いほうが有利だったからなのでは、という仮説があること。

その仮説というか研究を元にしたと思われる記事があった。

自分が読んだのもこの記事の話とほぼ同じで、アルコール分解能力が低い = アセトアルデヒドが体内に残りやすい = 体外の毒が入ってこれない、ということらしい。毒を身体の中に持つことで体外の毒に対抗するという、本当なのかはまだわからないけれど、そうだとしたらなんともアクロバティックな方向に変化したものだなあ、と。

今回の会話の中でこの話が頭に浮かびあがった。米と酒が合わないと感じるのは、単純に味覚による嗜好というだけではなく、もしかしたらこの点も関連しているのではないか? という。米と酒は合わせるな、米を食べるなら酒は飲むな、ということが遺伝子レベルで身体に刻み込まれているのではないか、という気がしてきた。

いやでも、そうではない? むしろ逆だろうか。

米を食べるなら、毒を防ぐために酒を飲め、になるのだろうか。

よく分からなくなってきた。正解なんて無いのだろうけど、でも本当に米と酒の食べ合わせというか、うまく合わないところは本当に不思議。

そして、そんな酒に弱い日本人なのに、酒に対しては割と寛容な社会になっているのも不思議で面白い。酔っ払ってふらふらと歩いている人を見ても、駅や公園で酔って眠り込んでいる人を見ても、まあそういう人もいるよね、という感じで受け止められている。公共の場での飲酒にもおおらか。このあたりはヨーロッパだと基本的にこれらは受け入れられない状況だと思う。

酒に弱い人々が、それでも昔から酒とともにあり続けたのは、酒の魔力の強さともいえるし、酒に神聖性を見ていたからともいえる。世界中のどの地域でも、酒が無かった文明・文化はないのでは。

その隣に米というものあって、でもそれは酒とは(食べる上では)あまり馴染まないというのは、どうしてなんだろうと。きっとこれは永遠の謎のまま終わりそうな気がするけど、きっとこれからも折に触れてあれこれ理由を考えていくのだろうな。

少し酔った頭で、そんなことを考えていた。

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