【第157回】 出国前ミーティング
私の名は、北川美⾹。「双極性障害」という「こころの病」を患っていて、仕事はラジオパーソナリティをしている。そして、私は、作家の「林⾳⽣(ねお)先⽣」主催の当事者グループ「センチMENTALクラブ」のメンバーで、今⽇は、その定期ミーティングの⽇なのである。
私たちは、これまでに、ミーティングをもう無数に重ねて、いろんな交流をしてきた。また、メンバーさんとは、個⼈的にも仲良くしていただいており、中でも古⽥百海(ももみ)ちゃんとは⼤親友の仲。でも、彼⼥は去年、結婚して、旦那さんといっしょに、イタリアへと旅⽴ってしまったのである。
でも、彼⼥とは、ミーティングのたびに、遠隔(えんかく)ではあるが、会うことができる。キカイに強い、メンバーの桝井裕仁(ますいひろひと)さんが、百海ちゃんをミーティングに、ヴァーチャル出演させてくれるのである。
メンバーについて触れておこう。今出てきた桝井さんは、会社員だが、パソコンをはじめとして、キカイに⼤変強い。これまでに、私たちのピンチを救うために、何度もその⼒を発揮してくれたのである。しかも、なかなかのイケメンなのだが、残念ながら彼⼥がいる。しかも、お相⼿は、お勤め先の会社の社⻑さんなのである。
森瑞⾹(みずか)さんは、もともとは、主婦をしておられたが、今は旦那さんといっしょに、とある「就労継続支援A型事業所」というところに通っておられる。
それから、森俊⼀さん。⽐較的新しいメンバーさんで、今出てきた、森瑞⾹さんの旦那さんだ。前のお仕事をお辞めになって、瑞⾹さんと⼀緒に、「就労継続支援A型事業所」に通うようになられて以来、お時間にゆとりがおできになったので、ぜひこれを機に、とみんなでお誘いしたのである。
牧⼝和寿さんは、50代半ばのおじさんだが、セミナー講師をしておられる。
実は、牧⼝さんは、もう1年近くに渡って、この集まりには、顔を出しておられないのである。そのきっかけは、あるミーティングで⾏った、3分間スピーチなのだが、私が牧⼝さんのスピーチに、ダメ出しをしてしまったのだ。プロとしてのプライドを、⼤いに傷つけてしまったようで、「修⾏し直してくる」と⾔われたきり、戻ってきておられないのである。
古⽥百海ちゃん、旧姓では「藤井」百海ちゃんだが、さっき⾔ったように、私の⼤親友で、今は、イタリアに住んでいて、旦那さんと、イタリアンのレストランを、切り盛りしている。⽇本にいたころは、旦那さんが経営しておられた居酒屋さんで、働いていたのだが、旦那さんがイタリアで、レストランを開業されるに合わせて、旦那さんからプロポーズされて、⼀緒について行ったのだ。
林⾳⽣先⽣は、「こころ」のことを専門とする作品を、お書きになる作家さんで、この「センチMENTALクラブ」の主催者。また、ほかにもいくつか会を持たれており、⼤変ご多忙の⾝である。
メンバーは、私を含めて以上の7⼈で、今⽇の出席者は、ヴァーチャルな百海ちゃんを含めて、牧⼝さんを除いた6⼈である。
林先⽣が会をお進めになる。
「ミーティングを始める前に、ひとつご報告があります。今⽇、来ておられない牧⼝さんからです。桝井君、ヴァーチャル出演のセッティングをお願いします。」
「わかりました。」
え!? 牧⼝さんがヴァーチャル出演!? いったいどうなさったのだろう。それにしても、ほんと、しばらくぶりになるわね。
すると、百海ちゃんの像のとなりに、牧⼝さんの像も現れる。懐かしい顔だ。すると、牧⼝さんは……。
「みなさん、⼤変ご無沙汰しております。しばらくぶりにもかかわらず、⾃宅からの出席で、申しわけありません。しかもあまり時間がありませんので、ご挨拶(あいさつ)だけさせていただいて、失礼させていただきます。」
ほっ。なんかお元気そうでよかった。お時間がおありでないということは相変わらず、講演活動にお忙しい、ということね。私のせいでまた、ひきこもりにでもなっておられたら、どうしようかと思っていたのよね。
続けて牧⼝さんは、
「実は、あの3分間スピーチでの教訓から、私は徹底的に勉強し直しましてね。そのおかげで、今また、仕事が殺到していまして。
しかも、実はあらたに、《執筆》の仕事までいただけましてね。⾔ってみれば、林先⽣と同じような道を、歩ませていただくことになったんです。
いまだに⾃分でも信じられません。これもすべて、あの時、北川さんが、私のスピーチに、ダメ出しをしてくださったおかげです。ありがとうございます!」
私は、
「そんな、あんなことを申し上げて、申し訳なかったと思ってましたのに。でも、そういうことでしたら、本当によかったです。応援してます!」
「ありがとうございます。そんなわけですので、仕事に追われていますので、これで失礼します。
また落ち着いたら、必ず都合をつけて、ミーティングには顔を出させていただきますので、それまでは、《幽霊部員》として、扱っておいてください。では、失礼します。」
プツン! 牧⼝さんの像が消える。
林先⽣は、
「ということです、みなさん。牧⼝さんのご活躍をお祈りして、僕らはミーティングを続けましょ う。」
「はい!」
「では、ミーティングを始めます。初めに、《電⼦交換⽇記》の進⾏状況を確認してから、本題に⼊ります。本題については、北川さんの⽅から、ひとつご提案がおありとのことですので、後程、説明していただきます。」
そう、私たちはみんなで「電⼦交換⽇記」というのをやっている。難しく聞こえるかもしれないが、要は、スマートフォンアプリを使って、⽇記のやり取りをするのである。
ただ、このアプリ、出来⽴てなので、まだいろいろ問題があって。例えば、絵⽂字が⼊⼒できなかったのだが、そこは、例の頭のいい桝井さんが、プログラミングの技術で、解決してしまった。
桝井さんは、プログラミングの技術で、ほとんどどんなことでも、魔法のように解決してしまう、実に頼れる存在だ。私たち「センチMENTALクラブ」のブレーン的存在だと⾔える。
それから、実はこのアプリ、海外仕様になっていなくて、イタリアに⾏った百海ちゃんが、参加できなくなってしまっていたのだが、それも桝井さんが、プログラミングの技術で解決してしまった。ほんと、すごいわ。
そして、私たちは、「電⼦交換⽇記」の進⾏状況を確認し合った。今⽇の出席者に関しては、特に問題はないようだ。
実は、牧⼝さんだけ、みんなとは違う⽅法で、交換⽇記に参加しておられる。ご年齢相応、キカイがお苦⼿なため、アプリではなく、電⼦メールで参加がおできになるように、これまた桝井さんが、プログラムを組んだのだ。
だが、桝井さんといえども完璧ではなく、プログラムにバグが出ることがたまにあるので、確認作業が必要なのだ。
しかし、牧⼝さんご本⼈がご⽋席だし、これに関しては確認のしようがないわね。それに、牧⼝さん、最近、⽇記のパスが多いしね。
林先⽣は、
「どうやら、特に問題はないようですね。牧⼝さ
んの⽅は、また別途、確認しましょう。
では、本題の⽅へ移ります。北川さん、お願いします。」
「はい!」
そう、今⽇は私から、みんなに提案がある。提案でもあり、個⼈的な願望でもある。それは……。
「みなさん。百海ちゃんがイタリアに⾏ってから、ちょうど1年くらいになります。そこで、みんなで百海ちゃんのところへ、遊びに⾏きませんか?」
そう。ずっと会えなくて寂しかった。もうそろそろ向こうも落ち着いているだろうし、会いに⾏きたいと思っていたのである。
「それと、イタリアは、精神医療が⼤変進んでいて、またピアたちの活動も、盛んらしいのです。これにつきましては、林先⽣、補⾜をお願いできませんか?」
「わかりました。そうですね、僕は医療の⽅は、そんなに詳しくありませんので、そちらはインターネットなどで調べていただければと思います。
ピア活動の⽅は、イタリアには、僕らのような当事者活動グループが、実にたくさんありましてね。そして、調べていたら偶然、僕らのグループとよく似た名前のグループを⾒つけましてね。
名前は《グルッポ・センチメンターレ(Gruppo SentiMENTALe)》、英語に直しますと《センチメンタル・グループ》ですね。」
すると、百海ちゃんが、
「このグループの活動拠点は、あたしの家の近くにありますので、お越しの際は、うちの近くのホテルをご紹介します。」
ヴァーチャルな百海ちゃんだが、全く違和感を感じない。昔⼀緒にミーティングをしていた時と全然変わらないな。
続けて、林先⽣が、
「それで、向こうに⾏ったら、ぜひこのグループの⼈たちと、交流ができたらと思っています。」
すると、森さんが……
「先⽣、交流はよろしいのですが、ことばはどうするのですか? 私、イタリア語はもちろん、英語ですらほとんど話せませんよ。」
そう。当然、そう来るわよね。でも、それについてはちゃんと考えてある。
「ことばについてですが、実は、僕と桝井君がイタリア語を話せますので、2⼈が通訳に回れば、なんとかなると思います。
あとは、ご希望でしたら、出国までの期間に、僕らがみなさんに、イタリア語の基本だけ、伝授いたします。」
そう。林先⽣は、⼤学でイタリア語を専攻しておられたので、イタリア語はペラペラなのである。
しかし、桝井さんがイタリア語を話せるのには、私も驚いた。ほんと、この⼈、才能ありすぎ。でも、この⼈、たしか⽂系科目は苦⼿だったはず。疑問に思ったので訊いてみると……。
「ああ、実は⼦供の頃、ヨーロッパに住んでいたことがあってな。親の仕事で。イタリアにも3年くらいいたんだ。」
なるほど、そういうことか。
しかし、不思議な偶然が重なるものね。百海ちゃんが⾏ったのがイタリアで、林先⽣と桝井さんがイタリア語を話せて、向こうには私たちと似た名前のグループがあって。私は運命のようなものを、感じずにはいられなかった。
林先⽣は、
「あと、僕のおすすめの《オンライン・イタリア語スクール》があります。《ビゾーニャ(BISOGNA)》っていうんですが、1回25分1000円で、ご⾃分のお好きな時間に、レッスンを受けられますので、お勧めです。これを機に、本格的に学んでみたい⽅はどうぞ。」
へぇ。そんなものがあるのね。仕事帰りの⼣⾷後にでも、ラテを飲みながら、やってみようかしら。
林先⽣は、
「さて、みなさん、いかがなさいますか? まず、この企画⾃体には賛成ですか?」
「賛成です!」
よかった。これで百海ちゃんに会いに⾏ける。
「では、参加希望者を確認いたします。みなさん、ご多忙の⾝ですので、もちろん強制ではありません。⼀応、再来⽉の頭に3泊4⽇で考えてますが、いかがですか?」
そこで、⼝をお開きになったのは森俊⼀さん。
「僕は、ちょっと難しいです。実は今、A型事業所の⽅で、仕事が⽴て込んでいまして。所長はプログラマー出⾝の僕を重⽤してくださっていまして、3カ⽉先までくらいの間は、僕が抜けると仕事が回らない状況なんです。すみません。」
「いえいえ。⼤丈夫ですよ。向こうに⾏けない⽅には、オンラインでお伝えする機会を、設けさせていただこうと思ってます。現地で古⽥さんに入っていただいて、ミーティングを⾏う予定です。古⽥さんには、久しぶりに⽣で参加していただく感じですね。森俊⼀さん、ヴァーチャル参加は可能ですか?」
「はい、それくらいは、所長に掛け合って、何とか都合をつけます。」
「ありがとうございます。ほかの⽅はいかがですか?」
「俺はもちろん⾏きます!」
「私も!」
と、桝井さんと私。あとは森さんの奥さんだが……。
「森瑞⾹さんはどうなさいますか?」
「私は……。実はちょっと《理由(わけ)あり》でして、今、海外には⾏けないんです。」
「ほう。理由(わけ)は訊かないほうがよろしいですか?」
「……。いえ。別に悪いことではありませんので。実は……。」
「実は?」
なかなか話すのに、勇気がお要りになることなんだろうか? いったい何事だろう。
「実は……私、おなかに⼦供がいるんです……。」
なんと! そういうことか!
「ほう! それはおめでたいじゃないですか。
そうですか。そういうことでしたら、こちらで安静にしておいたほうがよろしいですね。わかりました。
それでは、イタリアヘは、僕と北川さん、桝井君の3⼈で⾏きましょう。森さんご夫妻は、⽇本で待機していただいて、先ほど言いました、向こうでのミーティングに、ヴァーチャル出演していただきます。」
「はい!」
「では、今⽇はこの辺でお開きにいたしましょう。僕と北川さん、桝井君の3⼈に関しては、改めて集まって、イタリア⾏きの詳細を詰めていきましょ う。お疲れさまでした!」
「お疲れさまでした!」
こうして私たちのイタリア⾏きが決定し、ミーティングは閉会した。林先⽣と桝井さん、私は、そのまま、4⼈席に場所を移して、話を詰めることにした。
桝井さんは、
「今⽇1回で全部決めることは、難しいでしょうから、何回か集まりましょう。」
「そうですね。それと、僕と桝井君のイタリア語講座は、⽣徒はもう、北川さんだけになりますから、3⼈で集まったときについでにやりましょう。」
と林先⽣。私は、
「はい、お2⼈ともよろしくお願いします。それと、私、《ビゾーニャ》に登録したいのですが。」
すると、林先⽣は、
「ああ、それなら、簡単ですよ。専⽤スマートフォンアプリがありますので、それをダウンロードして、アプリの指⽰通り登録してください。」
「わかりました。」
「では、イタリア⾏きの詳細ですが……」
私たちはその後、2時間にわたり、話し合った。おおむねの⽅向性は決まったので、私たちは解散することにした。次回は、来週⽉曜⽇に、ここ、カフェ 「エスペランサ(Esperanza)」に集まる予定だ。