コトタマ学‘ア’ついて#2
皆様こんにちは
投稿をまるっきりサボっていましたので、久々の更新です。
今回はアの自覚方法を書いていこうかと思います。
なるべくシンプルに日常の具体例を交えながら、
アの自覚方法を解説していきます。
アは人の本体
人の本体はアです。
しかし、そのことを忘れてしまい日常を過ごしています。
では、早速アとはなんなのか。
それは、経験知・信念・記憶などに占領されていない、
まっさらな心の状態を言います。
言い換えるなら生まれたばかりの赤ちゃんの状態です。
赤ちゃんには経験知・信念・記憶など何もありません。
しかし、成長するごとに外界から取り入れた経験知・信念・記憶に
占領され、これが自分の本体だと錯覚し、アを忘れてしまうのです。
経験知・信念・記憶は自分ではありません。
外界から取り入れた荷物です。
アの自覚方法
では、アをどうやって自覚するか。
それは、経験知・信念・記憶をため込んだ心の物置を閉めて、
一時的に見えなくすることです。
物事を何の概念もないまっさらな心の状態で見ることです。
これだけです。
仏教では「空」とも言います。
アの自覚実践
以下に具体例をいくつか上げていきます。
例①
嫌いな人がいます。なぜ嫌いなのか。
それは、過去にその人と喧嘩をしたからです。
では、その記憶を閉ざしてください。
するとその人は只の人です。善悪もありません。
自我が嫌いと言っているだけです。
例②
農作業でキャベツを収穫し、コンテナにホイホイ投げていきます。
では、子どもたちが家でキャベツを投げていたらどうでしょうか?
「食べ物で遊ぶな‼」と叱ることでしょう。
しかし、キャベツを投げるという行為はどちらも変わりません。
あなたの信念がそうしているだけです。
例③
人を56すことは良いことか悪いことか。
正解はどちらでもありません。
戦争で人をたくさん56すことで勲章を貰い英雄になる人がいます。
通り魔が人を56すと極刑が言い渡されます。
あとは、言わなくてもわかると思います。
以上、3つの例を出してみました。
アの領域には善悪がありません。
善悪の決め手は自らの経験や信念によるものです。
しかし、古事記にはアで文明を創造すると、とんでもないことになると説いています。
雑草も伸び放題になります。
だいぶ長くなってしまいましたが、今回はここまでに致します。
また、アは芸術・宗教・感情などの領域であり、アりがたいでもあります。
すべて関連性があり、アです。
今後、機会があったら上記についても書いていこと思います。
ありがとうございました。
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