クライアントとは語りえない存在である

 カウンセラー・コーチは、クライアントとセッション経験が増えていくに従ってスキルが高まっていく。するとそれに伴うように、いわゆる「見立て」と言われる、クライアントの症状や原因の特定の仮説をする時間も早くなっていく。だがここで注意したい点が一つある。

 それは、クライアントのことを安易に「分かったつもり」になることである。ここでは、心理カウンセリング・コーチングセッションに詳しくない方もおられると思うので、簡単に述べさせて頂くことにする。

 症状・原因の特定が早ければ、それだけセッションの時間を短縮できることになり、その分次のステップに進みやすくなるし、多くのセラピー・ワークに取り組むことができる。そのため、クライアントの症状改善、あるいは目標の実現可能性がより高まり、より早くなると思われる。

 しかし、カウンセラー・コーチをされている方であればご経験されていることと推察するが、初めの見立てがその後間違っていたことに気づくことはいくらでもある。もちろん、クライアントにしっかり寄り添い続け、ラポールと言われる信頼関係をしっかりと構築できているのであれば、それだけでは特段問題はない。ともに対話を続ける中で、クライアントの気づきや変容がなされるのであれば、当初の見立てが違っていたこと自体は問題はない。

 問題なのは、見立てをするそのカウンセラー・コーチ自身のマインド・在り方が、そもそものラポールを阻害する要因になるときだ。もちろん、経験を積むにつれて、当然カウンセラー・コーチは自分の技量に自信も出てくるし、そのこと自体もまた特に問題はない。しかしながら、このカウンセラー・コーチとしての自信が過信に繋がってしまうと、自分はクライアントのことを分かったつもりになってしまう。そこには、クライアントのことを無知で無力な存在という意識が、専門家としての自分こそがクライアントのことを分かりえる、といった誤った認知に陥ってしまう。

 しかしながら、クライアントのことを本来誰よりも知っているのは、言うまでもなくクライアント自身なのである。そもそも、クライアントは自ら語ることで、オートクラインと言われる、自分自身が話した言葉によって、多くの気づきが促される。つまり、語ることで、クライアントは自分のことを知ることができるのである。カウンセラー・コーチが彼らのことを知っているのでもなければ、その答えを教えられるのでもなく。

 本来は、このようなことなど、カウンセラー・コーチとして駆け出しの頃には、強く認識し、当然の前提とされているはずのものなのである。ところが、経験が自分の目を曇らせ、自分自身の在り方をも歪めていく。本来は、クライアントのことを一言で言い表すことなどできるわけもないのに、診断名やキーワードで彼らをとらえ、クライアントのことを語ってしまう。クライアントにしか、自分のことを語りえない、本当のところは彼らにしか分からない、というのに。

 そう、やはりどこまでいっても忘れてはいけないのである。カウンセラー・コーチにとって、クライアントは分かりえない存在であるということ。だからこそずっと彼らに関心を持ち続けなければいけないこと。長い関係性を築いても、知りえた情報やカウンセラー・コーチとしての経験・知識によって、勝手なジャッジ(判断)をしてしまうのではなく、常にゼロベース・フラットな位置にいなければいけないこと。なぜならばそれは、クライアントからの語りを聴くことを阻害してしまうから。ありのままの語り、ありのままのクライアントの姿を見ることができなくなってしまうから。

 クライアント、いやそもそも、人は語りえない存在なのである。そのことをカウンセラー・コーチとして生きている限り、終始忘れてはいけない。分かりえない、語りえないからこそ、語ってもらう。聴かせてもらう。どこまでいっても分かりえない、しかしそんな絶望的な世界に生きていながらも分かりたい。そうした謙虚なクライアントに対する関心が、いくつになっても繊細な感性を失わないカウンセラー・コーチとしての在り方を助けてくれるのであろう。


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