ニンジャの話 その3 黒い屋敷
とある週末、いつものように車で刀剣採集に出発です。その日は愛知県東部の西加茂郡足助町方面に向かいます。名古屋近辺にお住まいの方はご存知かと思いますが「香嵐渓」という紅葉の名所です。巴川という川沿いに広がる足助町は「塩の道」と呼ばれていた飯田街道の中継地として栄えました。巴川を川船で遡りこれ以上遡れない地点が足助町だったのです。ここで塩を船から馬に乗せ替え飯田方面に運びました。「敵に塩を贈る」という諺がありますが、当時は塩は主に海浜で作られており、山間にとって塩は非常に重要な物資だったそうです。馬に乗せ替えて山間に運ぶ仕事は中馬(チュウマ)と呼ばれており、足助町を通るこの街道は別名「中馬街道」とも呼ばれていました。当時の足助町は今でいうターミナル駅みたいなものですね。中馬街道のターミナル駅だった足助町には多くの宿屋、飯屋、飲み屋などが集まり大変賑わったそうです。ところがモータリゼーションの影響を受け当然ながら中馬事業は衰退。足助町も以前の活気は失われます。一時は鉄道を通すという話もあったようですがこれも頓挫。周りの発展から取り残されます。山を丸ごと紅葉に植え替えるという斬新な紅葉ツーリズムで秋の紅葉シーズンは観光で盛り返しますがその一時期以外は閑散としてしまうピークシーズン依存型観光拠点となりました。
このように過去に発展した町には長者様が多くいらっしゃったので蔵がいっぱいあります。刀剣を持っていらっしゃる方も多くいらっしゃるかもしれません。しかも現在はそれほど活気があるわけではないので譲っていただける確率も上がります。そこまで父が考えていたのかどうかはわかりませんが、その日私たちはこの足助を目指して車を走らせていました。
そもそもが四国徳島県出身の両親。愛知県の地理には詳しくありません。車の中で「足助」って何て読むんだ?という話から始まり。足を助けるから“くつ“ とか “タビ“ とか “ワラジ“とかほぼ大喜利みたいな会話を交わしながら“アスケ“を目指します。名古屋市から飯田街道、現在の国道153号線をひたすら長野県に向けて走るとちょうど中間ほどに足助町があります。豊田市街地を抜け、巴川に当たると巴川に沿って車がちょうど対面通過できるくらいの狭い道を走ります。巨石があちらこちらに転がっている巴川を見ながらすごい田舎だなって思った記憶があります。
さてその足助に向かう途中、父はいきなり右に向かう細道に興味を持ちました。何かピピっと来たのでしょう。巴川の支流の佐切川を遡る道です。杉の林に隠れるようにあったその側道に車を進めます。本道から佐切川をぐるっと迂回するように道が作られているだけではなく杉の林があるので先は全く見えません。その道を300メートルほど進むといきなり視界が開けました。そしてそこに真っ黒な大きなお屋敷とその隣には立派な土蔵が建っていました。道から見上げるように立っているそのお家はとても黒くて長くて、ちょっとお城みたいだなって思いました。
明日に続きます!