ニンジャの話 その9 ハンドボール
古民家の改修には多くの人にお手伝いに来ていただいています。その中でも子供だった私が特に覚えているのが父が勤めていた大学の学生さんたちです。
父が大学でいくつかの部の部長・顧問をしていました。力仕事が必要なとき、大人数でやらなければならない作業の時、父は彼らを動員していました。今ならコンプライアンス云々で問題になることでしょうが当時は問題視されることもなかったように記憶しています。当時大学生だった方達も今は還暦を余裕で超えていますが、時折ニンジャにおとづれ合宿気分で楽しかったですよと言っていただけるのは救いです。複数の部の方達が変わるがわるいらっしゃっていたのですが特に覚えているのがハンドボール部とキャンプカウンセラー部の方々でした。
父が監督を引き受けたハンドボール部は全国でも有数の強豪校となり毎年屈強な学生が多数在籍するようになりました。半ば合宿のような形で体育会の学生が集まり、掃除、補修、設備の設置などをバリバリやっていくのを胸のすくような気持ちで見ていた覚えがあります。小学生だった私にとって彼らは十分大人であり、自分が持てないような大きな石を軽々と持ち上げて造園していく姿を見て憧れたものです。
作業が終わった後の宴会もすごいもので学生さんたちの食べる米の量に驚きました。一晩で10升の米が消えるという経験をしたことのある家庭はそうそうないでしょう。両親は労働力確保(笑)のために調理器具にはそれなりの投資をしており、家には10升炊きの炊飯器、僕が入れるくらいの大きさのカレー鍋、大量の七輪、40セットの食器などが備えられておりました。また夕食時には宴会のようになり古民家の座敷の上で飲めや歌えやの大騒ぎ。料理を作っていた母は大変な苦労だったでしょう。下戸の父はお酒は嗜みませんでしたが、酔って雄叫びをあげる学生たちをニコニコしながら見ていた記憶があります。宴会で忘れられないのは、とある少し大きめのゴールキーパーの学生さんがビールをおかわりしようと台所に向かう途中、勢い余って板間の床を豪快にぶち抜いてしまい、とても申し訳なさそうに萎れていたことでしょうか。板間に倒れ込んで起きあがろうともがいていた姿がおかしくて笑い転げていたように思います(怪我がなかったのは幸いでした!)
学生さんたちは私たち兄弟にも気軽に声をかけてくださり、学生さんたちが来るときは嬉しかったのを覚えています。気は優しくて力持ちだったハンドボール部の学生さんたちは初期の古民家にはありがたいゲストであり労働力(笑)でした。
明日に続く
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