ニンジャの話 その1 病気の父を救え
ニンジャと言っても時代劇に出てくる忍者の話ではありません。私の両親が運営している古民家施設 The Ninja Mansionの話です。
先日「可愛い子には旅をさせる話」で私の休みの過ごし方を一変させた“廃屋“がどのようにして The Ninja Mansion” となり、のちにテレビや雑誌の取材を受け、ハリウッド映画や中国のドキュメンタリー映画のロケ地になり、Airbnbの上場の際のCMにまで使われるようになったのか。そしてその裏側には日本の観光政策や私のキャリア、またお互いを思いやる家族の力のお話があります。ちょっと長くなりますがお付き合いください。
私の父は子供の頃から喘息を患っていました。父のことを思い出すとそこには必ず「カー」の存在があります。カーとは車の事ではありません。「カー」と音を出して咳止めの薬液を噴出する「噴霧式吸引器」のことです。父はその噴霧器のことを「カー」と呼んでいました。喘息の発作が起きると気管支が敏感になり気道が狭くなり窒息状況に陥ります。「カー」はこの窒息状況を緩和します。父はひどい喘息発作を頻繁に起こしておりカーを手放すことができない状態でした。薬液の名前は確かメジコンかメジフェラとかいう名前だったと記憶していますが、通称「カー」は父が常に携帯しており、手元にないと「どこに行った!」と家族総動員で探すというのが日常的に行われていました。私の父は喘息と共に生きており、何度も顔を紫色にしながら咳き込む父を何度も何度も見ていました。
私が幼少の頃に明確に覚えている記憶に、名古屋市の名古屋大学病院への父の病室へのお見舞いがあります。当時は私の叔父が父の勤めている大学に通学しており同居しておりました。その叔父に連れられて訪れた大学病院にはいろとりどりの尿瓶(しびん)が置いてあり、赤やらオレンジやらの通常ではあり得ない色の尿が並んでおり不謹慎ながら「綺麗だな」と思いました。また大学病院前には鶴舞公園という大きな公園がありバラの花が咲き誇っていたことも覚えています。思えばその時父は入院しており、母は付き添っていたのでしょう。弟も生まれていましたが弟が一緒だった覚えはありません。誰か別の人に預けられていたのかもしれません。当時の父の状態を母から聞くと生命の危機も何度か迎えていたらしく、母は独り身で私たちを育てることを覚悟していたそうです。今でこそ笑い話ですが、当時フォーククルセーダーズの「オラは死んじまっただ」という歌が流行っており、私がこの役流行歌を歌い出したら母はとてもとても不安に感じたと後年何度も私に話しました。それほど私の父の状態は悪かったのです。
幸いなことに喘息で入院した父は生来の生命力で何度も峠を越えなんとか退院まで漕ぎ着けます。しかし身心共に父は衰弱していました。しかもストレスからくるタバコと過食も影響していました。
必要な休養、環境のリセット、綺麗な空気を父は求めていました。
後にニンジャになる古民家を購入する動機はここにあったのです。
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