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国境を越えて考えるべきこと

「敵国」って、本当に必要な言葉?

ある日本人女性コメンテーターが言った。
「トランプが敵国に対してそんなことをするのか? それで終わるわけがない!」

敵国?
トランプがロシアを「敵国」と明言したことがあっただろうか?

恒久平和を掲げる日本に暮らす一人として、
それも、戦争を知る国の国民として、
そして、ましてや女性が声を荒げて「敵国」なんて言葉を使うことには違和感を覚える。

いつの時代の話だ?

武力による争いは、暴力の延長でしかない


戦争を経験した国として、私たちは決してその記憶を忘れてはならない。

だが、武力による争いは――
私にしてみれば、言葉では伝わらないからと、暴力を使って自分の思いを遂げようとする強姦にも等しい野蛮な行為だ。

もう一つは、そもそも常識や社会通念にそぐわないことをしたいがために対話すら成立せず、
金銭的・軍事的な優位性を誇示し、核という切り札をちらつかせながら、無用な破壊と殺戮を繰り返し、
それを「国民のため」と言って正当化する。

境界線をたった1センチ進めるために、
何人の命と、いくらの金と、どれだけの物資を犠牲にする気なのか?

私たちが求めるのは平穏であり、戦争ではない


この話は、「どちらが悪い」「どちらを支持する」といった議論ではない。

ただ、プライドとか欲とか自己満足のために、
私たちを巻き込まないでほしいだけだ。

平穏に、平和に、安らかに暮らしたいだけなのに。

武道家としての精神を忘れたプーチン


プーチンは柔道家であり、黒帯の実力を持っている有段者。
柔道は単なる格闘技ではなく、相手を敬い、力ではなく技と精神で制する武道だ。

「精力善用」「自他共栄」――これは嘉納治五郎先生が掲げた柔道の理念であり、武道家であれば誰しもがその意味を胸に刻むべきものだ。

しかし、プーチンはどうだろうか?
自らの権力を誇示し、対話を捨て、力で相手をねじ伏せる。
戦場に送り込まれた兵士たちの命を「駒」のように扱い、罪のない人々の暮らしを破壊し続ける。

これは、武道の精神とは真逆の行為だ。
柔道を学んだ者が、なぜここまで堕ちるのか。

同じ武道を修練する者として、私は強い憤りを感じる。
本当に強い者は、無闇に力を振るわない。
本当に強い者は、相手と向き合い、調和を求める。

プーチンがそのことを忘れた今、彼の黒帯はただの飾りに過ぎない。

世界のトップが踊り狂う場面ではない

この文章を書いている間にも、トランプとプーチンがタッグを組みそうな気配を醸し出し、
会談の席でゼレンスキーと怒鳴り合いの口論。

両手を横に開いて揺らしながら踊るのは、せめて一人きりの部屋の中だけにしてほしい。
大国のリーダーが場当たり的な発言で周囲を振り回し、踊らせるのはもうやめにしない?

まるで、リングの上で戦わされるウクライナ(青コーナー)とロシア(赤コーナー)。
レフェリー役は、観客を煽るようなトランプ。まるで阿部四郎のような仕切りだ。

日本も、自衛のための軍備しか持たない国だとわかっていても、
中国、韓国、ロシアは、なぜこの小さな国の端っこや狭い海域にちょっかいを出すのか?

そんなことをしている暇があるなら、自国の中をもっとよくすることを考えたほうがいいのではないか?


そもそも、境界線や小さな島にこだわっているのは誰なのか。
それが世界全体にとってどれだけの利益や良い影響をもたらすというのか。

話が複雑になりそうだから、一旦ここで筆を置こう。

国境の向こうにいるのは「敵」じゃなくて「隣人」

僕が小学生の時、二人がけの木の机の上で陣地取りをした。
お互いに乱暴に鉛筆で引いた線――あの落書きのように、
地球上の国々も、境界線を乱暴な手段で引こうとしている。

敵だの味方だのと、狭い了見で相手を見るよりも、
ただ「同じ地球という惑星に生きる隣人」として向き合うことはできないのか?

一国民同士は歪み合っても憎しみあってもいないと思う。
国民の総意を携える代表者達よ
携えたものは本当に総意?代表者個人のただの個我(エゴ)になってんじゃない?

みんな、仲良くできないの?
ただ互いに仲良くしたいと思い合えば済むだけの話じゃないの。

オラヨッカアダマワリナ

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