300日後に校務分掌ICT主任を引き継がせたいアラフィフおじさんの引き継ぎ書の下書き 18 AT/AAC→ICT②
今の若い先生たちに、ATやAACを知っているかと聞いたら、知らない、よく分からない、という答えが多かった。
そうか、逆にそれを知っているというのは、すっかりと前世代の人なのだと感じた次第だ。
つまり、ATやAACはすっ飛ばして、ICTから始まっているわけだ。
別に悪いことではないし、そういう流れなのだろうとは思うのだが、ではなぜ、ATやAACはすっ飛ばされるようになったのだろうか。
実は、完全にすっ飛ばされたわけでも抜け落ちたわけでもないようだ。
今行っている指導や支援が、AT、AACだと知らないで使っている、ことも結構ある、ということだ。
ATやAACの裏側にる理論や原理、これを理解して使えていた人がどのくらいいたかと言えば、おそらくは5割以下だったのだろうと、今思い返してみた。私もATやAACをガッツリと極めたわけではないので、すべてを理解して、原理に基づいて効果的に使えていたか、と言われると自信はないが、少なくても基礎的な部分は勉強したつもりだ。行動分析、大脳生理学、発達心理、神経発達といった人間のブラックボックスの部分と、機械として動かすための基礎的な工学的技能などだ。
だから、この場面でこう使えばいい、ということは言うことができる。
しかし、理論や原理を理解できず、単なる使い方だけを覚えた人もいたわけで、その良し悪しは問わないが、そういう使い手がいたことも確かである。
それが、GIGAの時代にも同じような感じがあり、GIGAの根本的な理解をしたうえで活用をうったえている人と、よく分かってはいないがICTを使ってみるとそれなりの効果なり感じるものがあるのでやっている人がそれぞれの割合でいるようだ。この層とは別に、ぬくもり大切派は2割強いると思われるが。
前述の、AT、AACだと知らないで使っている層は、ICTを活用できている人たちではあるが、それがどのような原理であり、裏側にどのような理論や経験知があるかすら、知らないままだと言える。
かと言って、今更、AT/AACから学ぶような機会が学校の研修として設定される時代ではなくなっているし、もっと言えば、AT/AACの基礎理論や原理レベルから学ぶようなことはないのである。
じゃあ、大学の時にそれを学んできたのかと言えば、おそらくそれを教えている人はいないだろうし、それぞれの理論の講座はあったとしても、現在のICT活用とくに特別新教育におけるICTというところと結び付けて体系化した指導ができる人が、ほぼいないのではあるまいか。
というわけで、どこかの時代で、AT/AACとICTは、階層が分かれてしまった状態になっている、という認識を示したい。
その階層間をシームレスにつなげて使いこなせる人が少数になっており、AT/AAC層とICT層は、くっきりとまでは行かないが、分かれているように見受けられる、のである。
だが、AT/AAC層はICTのデバイス、テクノロジー、サービスなどは、現在ガッツリと使っている人たちだ。機械得意な世代が支えていると言ってもいい。私もその一人だな、という自覚はある。
じゃあ、AT/AAC層はICT活用を包括しているから、ICT層と一体的なものじゃないか、と言えそうだが、なんか違うんだよな、という認識だ。
この、違和感ではないのだが、AT/AAC層とICT層の違いとは何なのだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?