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摩擦によって形作られるものもある - 秘密結社「喫煙所」(第4通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第4通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

タオさんへ

距離感って、ほんと悩ましいよね。俺の場合は人に限らなくて、好きなものや趣味、日常生活、仕事とか、あらゆるものとの距離感を常に探っているような気がする。

心地よい距離感を言葉にするとどんな感じだと思う?

心地よい距離感とは? - 秘密結社「喫煙所」(第3通)

まず、タオさんの「流れるままを受け止める」という考えに近いんだけど、距離感は変わっていくものと捉えている。物理的な距離が作用する場合も、しない場合もどちらもあるよね。

変わるものって受け止めると、たとえツラい別れがあったとしても、いつだって誰かと関係性を築けると思えるから。実際そう思うようになって、少し息がしやすくなったかな。

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最近思うのは、人と接すること自体、とても暴力的なことなのかもね。

仲の良さや意図など関係なく、自分じゃない人間と接するだけで、自分という"輪郭"が擦れていく感覚がある。こそぎ落とされると言っていいほど。

自分の輪郭だった断片が、よく見ると床に散らばっている。一時的に自他の境界線が曖昧になるから、相手と比較してしまったり、影響を受けすぎたり、攻撃してしまったりする。

不思議だなぁと自分で思うのは、たとえば友達と遊んで、楽しい気分で帰宅して、寝る前にじっくり本を読みながら「あぁ今日楽しかったな〜」と一息つく時間が、実は一番心地よいんじゃないかと。その瞬間を味わうがために、友達に会いに行った気さえする。

おそらく、そのひとりの時間に、こそぎ落とされた自分の輪郭を改めて見つめ直しているんじゃないかと思う。

伝わっている気がするけど、念のため補足しておきたいのは、ひとりの時間が至高とか、人との関わりは暴力的で切ないとかいう捉え方じゃなくてね。

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輪郭を削られるというのは、"摩擦"なんだと思う。摩擦というのは苦しくて、ない方が良いと思ったりする。人と違うと認めたくないときもあるからね。だけど、摩擦があるから、自分の輪郭がわかってくるし、削られて予想外の方向に変化していく可能性が生まれる。

実はそれって、めっちゃ面白いんだと思う。削られて、輪郭を見直して、また削られていく。削られることで、より美しく輝く。

俺にとって、心地よい距離感というのは、この摩擦を楽しもうとする姿勢のことなんじゃないかと思ってる。

自分と相手の心地よい距離感は違うからコントロールは難しいし、それらが完全一致することなんてほとんどない。だから、単なる逆張りじゃなくて、そもそも摩擦だと受け止めてみる土台があると、心地よいと感じる範囲が広がるような気がする。

距離感としては、物理的な距離、連絡の回数とかは、あんまり関係ないのかもね。月並みなこと言うけど、お互いの尊重というか、やっぱり敬意みたいなものは、いずれにしても大事な気がするけど。

いつだって人と関わるのは暴力的なものだと思うから、やっぱりその摩擦で輪郭を損なってしまうことが怖くなったりする。だけど、余白(前回言ってたよね)があると、なんとか面白がれたりする。それが俺にはひとりで考える時間や読書、尊重とかだったりするんだろうな。

人間ってヘンな生き物だよね。相反する気持ちを抱えたりするし、完璧より摩擦で充実感があったりさ。おそらく、人間自体が飽き性な生き物だと思うから、その都度、心地よい距離感を探ったり、ときに相手と一緒に考えてみたりするのは、実はとても幸せなことなのかもしれない。

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電車で何もしないチャレンジをたまにやるけど、ほんとむずい

摩擦って言葉は、この前の木彫体験のときに出てきて、すごく腑に落ちたんだよね。色んな場所で言っているけど、とにかく楽しい時間だった。自然に触れるっていいものだね。

【今回の問い】

【前回の問いと返事】

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