プロは完成が見えて描き始めるのか
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24・9・19
絵について
プロは完成が見えて描き始めるのか
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朝に少し運動をすると調子が良い気がするヒロです(運動と言っても)(通勤を少し遠回りするとか)(日常に少し溶け込ませる)
「描き始める時には完成が見えてるんですか?」という質問をされることがありますし、以前は僕も同じ質問をしたことがあります。
プロが絵を描いている様子を見ていると、描き始めから終わりまでまるで道が見えているようにスルスルと完成まで進んでいくように見えます。
だから最初から完成がわかっているように見えて、それが自分との大きな差に感じてしまってその大きな差にあきらめのような気持ちとか、怯む気持ちが出てきます。
そういう気持ちを持たせてしまうことはブランディングとしては良いのでしょうが、全体にとっては良くないと思うことがあります。
なので「プロは描き始める時から完成が見えているのか」ということに対して、僕の考えを記事にしてみようと思います。
▼完成は見えていない、のだけど
僕にとってはですが、「完成は見えていない」です。
「完成した絵」というのは「未来」に存在するもので、現在の人間にとって未来はわかりません。
なので描き始めた時(現在)に完成した絵(未来)がわかるというのはありえないです。
あるとしたら「予測」ですが、予測は勉強を含む「経験」からくるもので、描こうとしている絵を「これまでに描いたことがある絵」に似せようとした場合は、ある程度の予測が立っている状態になります。
それは第三者から見たら「描き始めた時に完成が見えている」という状態に感じるかもしれませんが、描いている本人にとっては模写でもしない限りはやっぱりわからないんだと思います。
過去の絵を描いた自分と現在の自分は違うので、やっぱりわからない中で進んでいます。
「完成した状態が見えるなんてすごいな」「自分にはできない」と思ってしまうことがあります。
それが頑張る気持ちに繋がるなら良いのですが、マイナス方向に働いて行動が阻害されると良くないことだと思うので、今回の記事を書こうと思いました。
だけど、あくまで僕にとってはですが、完成は見えていないけど別の「見えているもの」があり、それが完成した時のクオリティを保証しているのだと気づきました。
▼「完成までの手順」は決めている
「未来はわからないので完成品は本当にはわからない」はとても大事な事実です。
でもプロになると、わからなくてもある程度のクオリティにして納品しないといけません。
その時に作者を救うのは「手順」なんだと思いました。
料理でも建築でも、何かを作る時には「決められた手順」があります。
決められた手順というのは「作者にとって成功確率が高い順番」になっているのだと思います。
その手続きをひとつずつこなしていくとある程度のクオリティに到達できるようになっているのだと思いました。
例えば僕の場合は「環境」から描き始めます。
例えばこういった、ある場所に棒が立っているとして、これを「環境」から描き始めるというのはどういうことかというと、
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ゴキンジョマガジン『絵について、仕事について / 長砂ヒロ』
「絵について」と「仕事について」の記事を週2回お届けします。 ///////////// 日本では社会に出てから自分の好きなことを学び直す…
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