見出し画像

強い言葉を使わなくても。

全てが短絡的になっていく気がする。

いかに短い時間で強烈な印象を与えられるかの勝負がいろんな媒体で繰り広げられ、時間がかかるモノは敬遠。
答えが先に分かってないと行動できなくなってしまい、
皆、正解・成功ベースで考えるので失敗するかもしれない新しい挑戦への障壁は遥か高いように感じて行動出来ない。
結果的に手軽に楽しめる短く強いモノに束の間の刺激を得て時間を「潰す」

30秒前に見たモノを忘れるくらい次々に新しい情報を脳に走らせ、
自分の情緒が体を突き動かす暇すらない。
この流れの突き当たりはフラッシュライトを浴び続けるような状態で思考停止。動かしたい方へ簡単に誘導されてしまう「モノ」になってしまうのではないかと思う今日この頃。

そんな現代だからこそ、その真逆の行動を意識することが大事だと思う。
永くゆったりと自分の時間を使う。
自分自身の情緒を養い、それが作用するスペースを空けておく意識。

見上げた空が1週間前の18時よりも暗いことに気付いた時、何を思い出すか。ふと感じた窓の外の風が「いい感じ」だと思う瞬間に誰を思い浮かべるか。
その情緒に衝き動かされた結果が人と違っても、失敗しても良い。
知らない誰かが誰かの暇を潰すために作られた・語られた、強く短いモノに流されてはいけない。

強い言葉を使っても動かない心は動かない。
本当に心を動かすのは打算に満ちた言葉とかではなく、何も語らない瞬間だったりする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?