ノンバイナリー?「色」で捉える感覚
自分を表す性自認は、常に変動的である。
・身体的に男性で、そこに対する違和感はまったくありません。
・性表現として、強い男性が選ぶような服装(革ジャンとか、デニム系とか)などは自分には合わないと感じています。かといって女性服を着たいかと言われると、そうではありません。オダギリジョー氏のような服装とか、形式ばらずにリラックスして着られるような服が好きです。仕事の面では、”男性”としての自分を「うまく活用」しているような感覚です。
・相手のことは、「性別」ではなく「その人そのもの」としてみる感覚が強い。相手の言動そのものに強い男性性、女性性を感じると、少し違和感を覚えます。
・惹かれる相手は、知性があり、言葉を選べるような品がある人や、こちらの考えを多く語らずにすんなり受け止めてくれるような人が好きです。学問的に優れているということではなくて、地頭がいいんだろうなってくらいに的確な言葉をくれる人に、とてつもなく惹かれます(サピオセクシャルとも言うらしい?)。
・性的に惹かれるのは、男性が多い気がします。
・心的に惹かれるのは、女性が多い気がします。
・バイセクシャルやパンセクシャルを名乗るほど、だれかを好きなったり受け入れられるわけでもなく(参照:「リスロマンティック。蛙化現象と違う?」)、Xジェンダーと言うほど中間性的でもなく、いまのところ「ノンバイナリー」が最も自分にあっていると感じています。
接する相手やシーンによって心の色が変化する感覚
よくよく考えると、LGBTQ+上の分類にあるキーワードをはめるよりも、その時の自分の立場や相手によって「自覚している色」が変化するような感覚があります。
・自分一人でいるとき、無意識では「透明」「無色」。
・社会の場に出ているときは基本的に「紺色」
・上司や先輩と接するときは「黄色」「オレンジ色」
・仕事相手や友達など、対等な立場の人と接するときは「緑」
・後輩と接するときは「エメラルドグリーン」「青色」
・家族と接するときは「朱色」
・恋人と接するときは「心情によって変動する」
なので、自分が何者か説明するのは難しい。
性として自分を自認していないことが多く、必要に応じて「男性性」を活用しているような感覚です。
実際にプライベートなどで関わる人には「性」で認識してほしくないという気持ちが強く、「人柄」「名前」で理解し接してくれる人だとすごく安心します。
「男性の〇〇さん」ではなく、「〇〇さん。そういえば男性だね」というような認識です。
接する相手のことも、生物学上の性別が外見的に入ってくるものの、見た目ではなくその人が纏っていそうな色で認知している気がする。
✓俺の後輩は「黄緑とグレー」に見える。
✓上司は「家族の話をしているときはピンク。仕事のときは赤」に見える
✓姉は「黄色とピンク」に見える。
✓惹かれる相手は、一見感じた色と内在している色が一致しなかったり混ざってるような感覚や変動的に映る人。
などなど。
感情変化における心のグラデーションも、面白い。
心の中の色の変化についてなにか心理学的に提唱されていたりするのか?と思って調べてみると、「感情の輪」という画がいくつか出てきました。
俺自身の自分と相手の捉え方に関する「色」という感覚は、感情に左右されるものではなく、これはこれで面白い考え方だと思いました。
「自分が何者でもいい」と自認するのも、一つの手。
性自認に関して、感情によってコントロールできるものではないと考えています。その上でも、どうしても変動的になってしまう。
極論、一般的なヘテロセクシャルであれたらどんなに楽だったんだろうか?とも思います。
ただ一方で、自分自身の複雑性を考えれば考えるほど、自分でも自分がわからないし、相手から気付かされることもあったりして、「俺はこういう人間だ」と決めつけなくていいんだな、と思うと、ちょっと楽しくなってきたりもします。
「なぜ同性を好きになってしまうんだろう」
「なぜ体と心の性が一致しない、ずれているように感じるんだろう」
「なぜ普通の人になれないんだろう」
きっと、世の中の多くの人も、少なからず違和感に対して不安を覚えた経験があるかもしれません。
自分のことなんて自分が一番わかっているようで、わかっていないのかもしれない。「最終決定しない」というのも一つの考え方ですし、思考の渦巻きにがんじがらめになるよりは、おすすめだと思います。