[フェルミ推定] ウクライナの徴兵規模は戦争末期の日本を超えたのか
こんにちは。先日、友人のR氏とチャットで昨今の世界情勢について議論していると「現在のウクライナが戦争末期の日本を越した徴兵を行っている」という趣旨の発言がありました。そもそも、日本とウクライナという年齢別人口比率や海軍国家と陸軍国家、近代戦と現代戦という本質的な軍事基盤の違いがある両国で比較を行うことは適切ではない、というツッコミは置いといて、その比較結果が正しいのか気になって朝も起きれなくなったため、自分で検証してみることにしました。
始めはちょっとしたフェルミ推定で済ますつもりだったのですが、気付いたら大日本帝国の方はそれなりの資料調査を基にした推定になってしまい、この情報が他にも役立つ人がいるのでは、と思って投稿することにしました。氏に勢いで返答したものをほぼ原文のままコピペしておりますので、少々冗長な部分もありますがご容赦下さい。途中の仮定などを飛ばして結論のみ知りたい方はスクロールバーを底まで叩き落とすことを推奨します。
ではご期待に応えて、「戦争末期の日本を越した招集をしている」という部分が本当なのか気になったので、具体的な数値などをもって簡単な検証をしてみると、
(別にウクライナの徴兵規模が拡大してきている、という話の本質には全く反対しないし、その意味でこの議論はただの揚げ足取りに過ぎなくなるのかもしれないが、現状及び歴史の把握という意味では多少なりとも生産的だろう。しかし、そもそもこの両国の比較はナンセンスだ。ジャアヤルナヨ.)
まず、公式な徴兵の適用範囲から言えば、現在のウクライナが戦争末期の大日本帝国と同規模の動員を行なっているということは言い切れない。
今年4月にウクライナの動員の年齢(以降、単に動員とした場合、現役だけでなく予備役一般からの徴兵も含むものとし、兵役以外の軍属や軍需産業への動員は考慮しないものとする)が27~60歳(18~は志願者のみ)だったのが25~に引き下げられたが*、
* https://jp.reuters.com/world/ukraine/YRC4DF4IB5KN7MBKTRFB2NQUAA-2024-04-02/
日本が大戦末期に施行した義勇兵役法による所謂「根こそぎ動員」は15~60歳(女子は17~40歳)が対象*なので、この時点と適齢範囲のみで比較するならば、その主張は恐らく正しくないだろう。
* https://dl.ndl.go.jp/pid/2962033/1/1
(まぁwikiとかでも良いが、一次資料を一応出すとしたらこんなとこか。尚「義勇兵」と付くが、この兵役を不当に免れようとする者は第七条により処罰されるため、実質的には通常の兵役義務と変わりない。)
とは言え、これは大戦末期も末期、1945年6月の極端な例なので、通常の兵役法*の場合で考えてみる。
* https://dl.ndl.go.jp/pid/2956533/1/5
当時の兵役法における動員の適齢は20~40歳(第二国民兵役を含まない。この辺りは適当にネットを漁った限りだと下記の資料に詳しい。)なので、一見するとウクライナの徴兵範囲の方が広い様だが、これは年齢別人口比などを考慮した実質的な徴兵可能人口で考えた上で結論を出すべきだろう。
* https://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j17_2_6.pdf
* https://kwansei.repo.nii.ac.jp/records/17460
大戦時の日本の年齢別人口比率及び男女比のデータはないが、1930年のもの*は存在するので、仮定として、その年齢別人口比率を開戦の1941年における日本の人口*に適用し、男女比については、日中戦争開戦の1937年以降は男子の割合が減少傾向にあるため、データが存在する中で直近の1940年のものを適用する。尚、ウクライナ戦争は2月開戦であるため、前年の2021年のもの*を使用する。
* https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/popular/P_Detail2012.asp?fname=T02-01.htm
* https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Data/Relation/1_Future/1_doukou/1-1-A01.htm
* https://www.populationpyramid.net/ukraine/2021/
(流石にキリル文字の公式資料に当たるのはめんどくさいので、こういう便利なサイトを使用。日本もこれ使え?そりゃあ、あれですよ、コレ1950年までしか対応してませんからね。)
計算方法としては、開戦から2.5年経過時点での兵数及びそれまでの戦死者の合計を、開戦時点での人口における潜在的な最大動員兵数(開戦時点では兵役の対象ではない年齢でも一定期間経過後に条件を満たす者を含み、また、予備役から退役していく者については、退役後、数年程度であれば予備役復帰が潜在的には可能であるとし、計算から減じない。)で除し、その割合で比較を行う。
(2.5年経過時点での兵数 + それまでの戦死者) / 開戦時点での潜在的最大動員兵数
(徴兵に限らずに大戦末期と言った場合だと、本土への大空襲が始まった辺りまで含まれるとも思われるので、とりあえずこれを本土へのB-29による初空襲が行なわれた1944年6月、つまり開戦より約2.5年が経つ時点とし、同じく開戦より約2.5年が経つ現在のウクライナと比較。侵略戦争と防衛戦争、海軍国家と陸軍国家という違いにより、やはり両国の比較はそもそも適切ではないと思うが、年数としてはちょうど適当だったため採用。)
さて、一般に、戦時になると現役だけでなく予備役・補充兵役などからも徴集が行われ、兵力の拡充が図られるが、戦争末期の様に、予備役などからでは兵力の補充が間に合わなくなった場合、兵役非適格者からの徴集(日本の例で言うならば丙種以下からの人員。)や兵役適齢の拡大などが行われるものの、そのプロセスは必ずしも明確ではない。よって、ここでは一例として、2020年の米国の兵役義務適格者(QMA)の統計*を取り上げ、その比率を大日本帝国、ウクライナの事例に類推する。
(以降、資料内におけるQUALIFIEDの者23%をA種、DISQUALIFIEDの内、非適格要因が一つだけである者33%をB種とし、潜在的最大動員兵数の推定では、現役適齢の者についてはA種及びB種に該当する者56%が、予備役適齢の者についてはA種に該当する者23%の全てが動員されるものとする。尚、現役及び予備役の適齢については両国それぞれの公式資料によるものを使用するため、各兵役単位*における適格人口の割合のみを便宜的に両事例に類推するものであるが、参考までに、1935年の平時での日本の現役徴集率が21%である*ことを鑑みると、そこまで的外れな推定でもないだろう。)
* 以降、兵役の種類は現役及び予備役の二種類のみであるとし、その他の兵役(補充兵役など)は年齢により適切な方へ振り分け、現役及び予備役の適齢範囲外に兵役がある場合は、当該範囲まで現役及び予備役を拡張するものとする。
*長野他(2015). 尚、孫引きである。
推定において日本とウクライナのそれぞれにおける兵役適齢範囲を使用することは、国民の厭戦感情の度合い、つまり、国民が開戦時点でどれほどの人口が徴集・召集されることを予期していたか、戦時中にその期待度からどれだけ政府の行動が乖離したか、という点で有用なものであり、反対に、これらに同一の兵役適齢範囲を適用することは両国の年齢別人口比率や海洋国家と大陸国家、近代戦と現代戦という本質的な軍事基盤の違いによる比較の不適切性をより際立たせることにしか繋がらないだろう。
例えば、島嶼部や洋上での戦闘が主となる日本において航空戦力の比重が大きくなるのは当然であるが、航空戦とは年齢による肉体の衰えが、動体視力や反射神経などの面で陸戦以上に顕著になるものでもあるため、これを無視して高齢の者を予備役として潜在的動員兵数に組み込むことは適切ではなく、また、そもそも海軍主体の国であれば、動員の頭数が陸軍主体の国より少なくなることも当然である。
(もっとも、日本の日中戦争に至るまでの徴兵規模の拡大を見ると、どうも船頭多くして武夷山や雲台山などにでも登ってしまった様だが、その様な愚行を犯すほど腐っていたとしても日本はあくまで海軍国家である。)
次に、2.5年経過時点での兵数だが、ウクライナはニュースなどで時折出てくる情報を使用できるにしても、大日本帝国の場合、終戦時の兵力の数値こそあるものの、戦時中の兵力の推移については概算によるものしか存在しない。
数少ない(もしかすると唯一の)太平洋戦争中の陸軍の動員人数などについて詳細に記された資料(信頼性についての議論は割愛)である「支那事変大東亜戦争間動員概史」*によれば、1944年(昭和19年)時点では現役適齢者(壮丁)の89%*が徴集*されており、1944年のどの時点での数値なのかは(私がしっかりと全てを読めていないせいかもしれないが)定かではないが、一般的に考えるのならば、これは同年末の数字だろう。
* 支那事変大東亜戦争間動員概史
* 尚、前年は60%、翌年は90%である。つまり、この時点での現役適齢者においては潜在的最大動員兵数という仮定上の限界を超えた動員がされていたことになる。
* 資料内には第三乙種以上からの徴集とあるが、この第三乙種という区分は戦時中に設定されたものであるため、資料が少なく、雑なネット検索では厳密な定義を見つけることができなかった。渡邉(2014)には第三乙種には丙種が含まれるという様な記述もあるが、丙種という区分が消えたわけではないので、第二乙種と丙種の中間的な区分として捉えるのが適切な様だ。簡単に言えば、丙種とは現役・補充兵役には適さないが国民兵役に適するもの(要は最終的な補充兵役)であり、第二乙種とは現役に適する者の内、体格などに優れない者であるため、少し杜撰な推測ではあるが、先に述べたA種及びB種からの徴兵と置き換えても大きな問題はないだろう。
しかし、この(A種及びB種からの)89%の徴集は根こそぎ動員と同じく本土決戦(極端な例)のためであるとも考えられ、事実「動員概史」の中でもその様に記述されているため、ここでは前年の60%の数字を使用する方が適切であるのかもしれない。確かに、太平洋戦争を満州事変や日中戦争と一続きの15年戦争として捉えれば、前年の1943年も十分に末期であり、また、太平洋戦争の事実上の天王山となったミッドウェー海戦は1942年6月であるため、戦争末期という言葉を太平洋戦争後半(劣勢局面)として捉えるならば、また、60%という数値の使用が適切であるとも考えられる。
よって、以降は89%の現役動員数による計算を主としつつも、注釈として60%の動員数による計算結果*を記すものとする。尚、大日本帝国は1943年末に現役の適齢を19歳に引き下げており*、開戦からある程度経過した時点での、敵からの大規模攻勢への備えという観点に絞って言えば、現在のウクライナの徴兵範囲の引き下げと同質のものとして比較することは可能だろう。
* この場合、動員兵数は1.5年経過時によるものとし、それまでの戦死者もなるべく当該期間に沿ったものを使用する。
* 渡邉(2014)
そして、これに召集兵及び志願兵と海軍の数値を合わせたものが、2.5年経過時の日本の動員兵数になるのだが、陸軍に限って言えば、志願兵の割合はそう大きくはなかった様である*(データによっては現役兵と同じ扱いの場合もある)。単純な推測ではあるが、大戦末期ともなれば、わざわざ志願せずとも、現役適格者は徴集されていったと考えられるので、ここでは勘案しないこととする*。尚、海軍の場合は徴兵を陸軍へ委任するという形をとっており、基本がその現役適格者の中からの志願兵、人員不足があれば自ら徴集するという形を取っていたため*、志願兵の割合は陸軍に比べて大きい。
* 渡邉(2014)
* もちろん、現役適齢に満たなかった者からの志願兵もある程度はいたのだろうが(第二国民兵役)。
* 同上
では、召集兵の数はどれくらいなのかというと、これに関しては「動員概史」にて現役兵と召集兵の数を推計したものがあった(オイ, チョットマテ. 今までの仮定は何だったんだと聞かれたら、そうです、私もこの段階に至って下記のデータを見つけてしまったのです。まぁ、大戦末期においてどれくらいの兵士が適齢人口から徴集されるかを知れるし、そもそも1944年の兵数が比較対象として適切でない可能性も発見できたのでセーフ)ので、引用すると、
1944年
現役兵:2,118,400
召集兵:1,947,600
1943年
現役兵:1,248,000
召集兵:1,502,000
であり、戦死者の数を調整していないので、一概な比較は出来ないが、徴兵割合が増えたこと、動員適齢が引き下げられたことの効果が見て取れるだろう。
そして、海軍の兵力推移に関して、今回は参照できそうな資料を見つけられなかったが、推定の材料となるデータは幾つかある。
また、同上より再々度孫引きで申し訳ないが、「日本軍の兵員数は1930年に陸軍約22万3,000人、海軍約8万8,000人であったが、太平洋戦争終戦の1945年には陸軍約547万2,000人、海軍約241万7,000人にまで増加している。」(原剛・安岡昭男編『日本陸海軍事典』)ともある。
まず、表の数値からは、陸軍と海軍の徴兵の増加度合いが概ね比例関係にあることが読み取れる(これは、先述した様に、陸軍によって徴集されたものの中から海軍への志願兵が募集されていたことから考えても当然だろう。数値で示すとしたら、現役徴集兵の内、陸軍に徴集される者と海軍に徴集されるものの割合は概ね10:1であり、海軍の内、徴集兵と志願兵の割合は概ね2:1であるが、これらの情報は必要ではない)。
また、陸海軍における兵員増加(補充)が比例関係にあるならば、1930年と1945年の間における陸軍に対する海軍の割合がで約40%のままで推移していたと仮定することができるだろう。これにより、先述の「動員概史」の現役兵と召集兵の数値から、1944年での海軍兵数は1,626,400≒160万人、1943年では110万人と推定することができる(尚、陸海軍における現役・予備役の年齢の違いや海軍予備員制度などは考慮していない。以降においても、全て陸軍の兵役適齢で海軍兵も徴集・召集されたものとする)。
因みに、英wikiには終戦時の兵数しか載っていないのに対して、日wikiには開戦時の日本の兵数が240万人とあるが、ソースが不明である。しかし、上記の様に「動員概史」の陸軍兵数からの推定は約280万人となったので、他の何らかの方法で推定した妥当な数字であることは確かだろう。(ソレ, ナンノソース? トンカツ? オイスター?)
次に、2.5年経過時点の戦死者だが、こちらに関しても、ウクライナはニュースなどの数字を参考にすることができたとしても、大日本帝国の戦時中の死者数の推移についてはデータが存在しない(こういった細かな集計は終戦時に全て焼却処分されたものと考えられる)。しかし、直接的なデータが無くとも、地域毎の戦没者のデータ*により、多少の仮定の下ではあるが、推定は可能である。
* https://nvc.cloudfree.jp/TR7M.htm
(ネットノウミヲサマヨッテイルト, ソウシロトササヤカレタノヨ.)
必要な仮定とは、まず、日本を含む太平洋における島嶼での戦いは全体として断続的であったとすること、つまり大陸での戦いの様に前線を構築し、長期間(目安としては数年程度)に渡って敵地へ侵攻していくものでは無く、上陸作戦の後には速やかに(長くとも数ヶ月単位で)島嶼の占拠が行われ、その後の駐屯期間中には戦没者が出なかったとすることである。
これは占拠後のゲリラやパルチザンによる被害などを無視した仮定だが、特に大戦末期に普及した玉砕を美徳とする思想を踏まえると、少なくとも日本側においては正規の戦闘終結後に戦死した者は少なかったと推測できるだろう。この仮定により、各地域毎の戦没者を年数別のものとして集計することが可能になる。
そして、各地域の戦没者における仮定だが、本土での戦没者は1944年6月後*のB-29による本土空襲が本格化してからのもの、また、それ以降に連合国側の攻撃を受けた小笠原諸島、沖縄、台湾、朝鮮、樺太・千島*、満州、シベリヤ、フィリピン*、中部太平洋諸島*、仏印における戦没者も、全て同月後によるものだとし、これら諸地域を除く、主に南洋地域での死者を同月以前によるものとする。
* この時点でのB-29による初空襲時の被害はそこまで大きくなかったとされるため、本土での戦没者は同時点より後のものとする。ソースはwiki。
* 尚、これにはアリューシャン列島の戦没者も含まれているため、アッツ島陥落時(1943年5月)の戦没者2,351人(米国海軍国立博物館*による)は例外的に計算に含めるものとする。
* https://www.history.navy.mil/content/history/museums/nmusn/explore/photography/wwii/wwii-pacific/aleutian-islands-campaign/battle-of-attu.html
* 尚、日本のフィリピン侵攻時の戦没者は、日wikiでは4,130人とされているものの、英wikiでは7,000人とされている。どちらも出典が明記されており、前者は防衛省の研究室による「戦史叢書」*、後者は米陸軍の戦史センター(CMH)による資料*である。正直なことを言えば、日本軍の損害は米軍による侵攻時の方が遥かに大きいため、無視しても良いのだが、一応、平均の5,565人を1944年6月以前の戦没者に含め、同月後の戦没者から減じるものとする。
* https://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=002
(チラッと読んだ限りだと、どこにその数字があるのか、ありそうではあるが、確認できなかった。まぁそこまで大きな要素ではないので深入りはしない。)
* https://www.history.army.mil/brochures/pi/PI.htm
(こちらは自分でも数字を確認済み。)
* 中部太平洋諸島(サイパンなど)に関しては、島嶼の一つ一つにおける占拠時と陥落時の死者を区別することはあまりに煩雑であるため、戦死者は全て同月後によるものとする。
また、地域別戦没者の表では軍人・軍属のみを集計対象としているため、「戦没者」とあるが、民間人の死者まで推定の対象に含まれてしまうということはない。尚、軍人と軍属の割合についてだが、1937(昭和12年)の陸軍省統計年報*によると、同年末時点での軍属(陸軍文官、嘱託、雇員、傭人)の人数の合計*は4,297人であり、同資料には陸軍兵数の記載がないものの、「動員概史」では、同年の兵数は936,000人と推計されているため、軍人に対する軍属の割合は0.45%となる。
* https://dl.ndl.go.jp/pid/1446689/1/1
(尚、これ以降の陸軍省統計年報は現存していない。)
* 官衙、學校は含めず、部隊、軍隊のみ、つまり実際に戦地に赴いた軍属のみを対象として集計している。
海軍の軍人と軍属の割合について、氏家(2006)*には、「昭和十二年海軍省年報(極秘)(第二十九回)」からの引用で1937年当時の海軍軍属(文官、雇員、傭人)の合計が15,039人とあるが、この一次資料をインターネットで見つけることはできなかった。「昭和十二年海軍省年報(第六三回)」*にはアクセスできたが、軍属の人数の情報は載っていない。国立国会図書館デジタルコレクションにも同表題の資料はなかったが、「極秘」とあることから、もしかして禁書扱いなのだろうか(ナンカ, チョットロマンアル)。
* https://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j8_4_2.pdf
* https://dl.ndl.go.jp/pid/1271209
とにかく、軍属と言っても陸軍と同じく内地で技術職などとして働くものと、軍艦などに乗り込んで戦地に赴く者の二種類がいたはずだが、一次資料にアクセスできない以上、その内訳を知ることができないので、ひとまず陸軍の軍属内における実際に戦地に赴く者の割合を海軍の軍属人数に適用してみると、15,039人の約4%で約600人となり、先述の方法での海軍の推定人数が374,400人なので、これに対する割合はたったの0.1%である。
実際に開戦した後、或いは開戦が近づくにつれて軍属の割合が大きくなる傾向はあるが*、平時での割合の少なさを踏まえると、本推定では各地域の戦没者における軍人と軍属の違いは考慮せず、全て軍人の被害によるもの*としても影響は少ないだろう(そう仮定するンデス)。そして、これにより戦没者を全て戦死者と置き換えることが可能となる*。
* 氏家(2006). 戦線が広がるにつれ、より多くの看護や給仕などの雑務が必要とされたことなどが要因として考えられる。
* 1944年6月以前においては、ガダルカナル島、アッツ島の陥落(玉砕)時を除けば、軍属の死者はさして大きくなかったとも考えられるが、これはゲリラなどの被害まで考慮したものではない。
* 「戦没者」という言葉の意味には兵士以外の死者というものの他に、戦地で病死した者なども含まれるが、本推定の目的は(忘れてるかもしれないが)合計での動員人数を知ることであり、不足兵員への補充という観点では、戦死と病死の区別に意味はないため、本推定では戦没者を全て戦死によるものだとしている。
加えて、当表には朝鮮人、台湾人の戦没者も含まれているが、その分別は困難であるため、全て日本人の戦死者であると仮定する。これは、仮に日本出身の者と外地出身の者を推定により分別したとしても、戦時中に日本に帰化(本人の意思によるものとは限らない)した者まで考慮しなければ、本推定における意義は薄く、言うまでも無いが、かかる詳細な分析は非常に困難(メンドクサイ)であるが故の処置である。もっとも、「動員概史」による推計にあっても、帰化した外地出身の者がどれだけ含まれているかは定かではない。ウクライナ側の集計にも他国からの義勇兵の戦死者が混在している可能性を踏まえると、茶話程度の比較としては、無視しても問題ないだろう。
また、中国での戦死者だが、例によって、戦争を通した戦没者の推移のデータは無く、各作戦毎の死傷者であれば多少は存在するようだが、日中戦争においては便衣兵による襲撃など、正規作戦外での継続的な被害がそれなりに(推定として無視できない程度に)あったと考えられるため、それら幾つかの作戦毎の死傷者を参照することの意義は薄いと考えられる。
あくまで私個人の記憶によるものだが、支那戦線は日中戦争全体を通して少しずつ前進し、また、大戦末期の後退時にあっても、中国軍はさして日本軍に大きな被害を与えることができなかった(他の太平洋諸島の様な玉砕は起こらなかった)ということを鑑みると、中国本土における戦没者は開戦時点から一律に増え続けたものと仮定*することができるだろう。よって、計算方法としては、終戦時点での戦死者を開戦時の1937年7月から終戦時の1945年8月までの97ヶ月で除したものに、開戦から1944年6月までの83ヶ月を乗じたものを同時点までの戦死者数とする。
* 開戦初期は国境紛争に過ぎなかったため、一律とするのは厳密な仮定としては正しくないが、一般的に日中が全面戦争に突入したとされる、日本軍による中国諸都市への爆撃や不拡大方針の放棄などは開戦よりたった1ヶ月後に過ぎない*ので、本推定では日中戦争を通して一律で戦死者が増えていったと仮定する。
* 推定の本筋じゃないのでソースは大体wikiと俺の曖昧な記憶。ちなみに、英wikiはあんまりこの辺詳しくない。
また、ニューギニアにおいても、中国と同様、戦闘が開始した1942年1月より終戦の1945年8月までの44ヶ月で終戦時点の戦死者を除したものに、戦闘開始から1944年6月までの30ヶ月を乗じたものを同時点までの戦死者とする。尚、同地域の戦死者はビスマルク諸島での戦死者も含めるものとし、ソロモン諸島における戦死者は、全てガダルカナル島陥落時(1943年2月)によるものとする。
さて、推定の材料と仮定は大体出し尽くしたので、先述の式「(2.5年経過時点での兵数 + それまでの戦死者) / 開戦時点での潜在的最大動員兵数」に数字を当てはめてみると、
2.5年経過時点での兵数
= 陸軍4,066,000 + 海軍1,626,400 = 5,692,400
それまでの戦死者
= アッツ島2,351 + 中国346,204 + フィリピン5,565 + タイ4,900 + ビルマ161,900 + マライ・シンガポール9,500 + アンダマン・ニコバル2,200 + スマトラ2,500 + ジャワ5,700 + 小スンダ52,700 + ボルネオ15,600 + セレベス5,200 + モルッカ3,300 + ニューギニア103,023 + ソロモン諸島86,400
= 807,043
開戦時点での潜在的最大動員兵数(尚、便宜的に人口は各計算段階で小数点以下を四捨五入している。)
開戦時点(1941年)での人口
= 72,218,000
1940年の男女比を適用した男子の人口
≒ 35,521,862
1930年の年齢別人口比率*を適用した現役適齢(17~21)*
= 35,521,862*9.5% ≒ 3,374,577
現役適齢における潜在的最大動員兵数(A種及びB種)
= 3,374,577*56% ≒ 1,889,763
1930年の年齢別人口比率を適用した予備役*適齢(22~39)
= 35,521,862*24.76% ≒ 8,795,213
予備役適齢における潜在的最大動員兵数(A種)
= 8,795,213*23% ≒ 2,022,899
∴ 1,889,763 + 2,022,899 = 3,912,662
* 現役・予備役の適齢などについては「兵役法」参照。戦時中に拡大された適齢範囲までを含んで計算しているが、ウクライナにおいても同様に計算する。尚、当該統計では各年齢ではなく、5歳毎の年齢帯によって比率が計算されているため、適齢範囲外の年齢帯に含まれる年齢については、当該年齢帯の比率の5分の1を当該年齢の比率と仮定して調整する。
* 開戦より2.5年経過した時点で満19歳になるものを含むが、徴集は同年生まれの者が全て適齢に満ちてから行われるものとする。尚、ここでは男女合同の年齢別人口比率を使用している。
* 第一国民兵役を含む。尚、戦時中に現役から予備役に移行するものについては、潜在的最大動員兵数における現役はA種及びB種からの徴兵であり、戦時中であれば現役兵は予備役移行後、その全てが直ちに召集されると考えられるため、計算上の便宜も兼ね、ここでは考慮しないものとする。また、ウクライナにおいても同様に計算する。
よって、
(2.5年経過時点での兵数 +それまでの戦死者) / 開戦時点での潜在的最大動員兵数
= (5,692,400 + 807,043) / 3,912,662
= 1.661…
≒ 1.66
ここでの潜在的最大動員兵数という基準は、兵の肉体的な質*や練度などをある程度考慮した上での動員兵数の限界というものだが、あくまで比較のため便宜的に設定したものに過ぎないため、一概に第日本帝国が限界を大きく超えた動員をしていたとは言えない。しかし、本来戦場に赴くはずのなかった者が、新兵として数多く駆り出されていったことは確かだろう。
* もっとも、基準は米国という肥満者が非常に多い国である。
尚、1.5年経過時では、詳細は省くが、
(3,850,000 + 715,781) / 3,912,662
≒ 1.17
となる。
さて、ここからようやくウクライナの推定に移るが、現在を以て戦時中であることから、兵数などに関する正確な資料の入手は大日本帝国以上に難しく、また言語の違いなどからも、これまでより単純な推測になってしまうことはご了承願いたい。
現在のウクライナの兵数であるが、最新の情報としては2024年1月29日にゼレンスキーがARD(ドイツ公共放送連盟)のインタビュー*内で言及したものがある。あくまで話の流れの一環として多少言及されたものに過ぎないため、これが義勇兵や海軍、軍属まで含む数字なのかは定かではないが、「We have eight hundred eighty thousand, we have a million in the army」(翻訳は同番組による)とのことだ。
* https://www.youtube.com/watch?v=15OztHJxyO8
(14:10辺り参照)
元言語で聞き取ることができれば、あるいは文脈の流れもはっきりするのかもしれないが、残念ながらこれだけでは、880,000を100万と言い直したのか、880,000の現役と100万の予備役がいるということなのか、880,000の兵士と120,000の軍属(或いは海軍、義勇兵)がいるということなのか定かではなく、他の記事などを参照しても、どうも抽象的な言葉遣いでしか表現されていない(或いは出典や推定方法が不明)。もっとも、これは戦時中であることを考えれば当然だろう。
しかし、2021年時点でのウクライナ軍の構成は現役が19.6万人、予備役が90万人であった*ことから、上記の発言は、本推定での例を使うならば現役はA種のみからA種及びB種へと徴集範囲を拡大し、予備役においても、何らかの基準で範囲を拡大させたものとも考えられる(日本の例で言うならば、第一国民兵役を予備役に組み込んだ、とか)。
* https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00003540W3A210C2000000/
(尚、「The Military Balance」の孫引きである。世界的に権威のある国際戦略研究所(IISS)の「The Military Balance」だが、Amazonで見てみるとメチャ高い。最新版が大学の図書館にでもあれば読んでみるのが良かろう。)
キリル文字が読めず、ウクライナの兵役制度は良く分からないため、正確ではない可能性も十分にあるが、ここでは上記のゼレンスキーの発言を正しい*ものとし、また、その意味は、海外からの義勇兵を含まない1,880,000人の兵力が海軍を含むものとして存在するということであり、当該兵力には現在まで変更がないものであると仮定して、以降の推定を行う。
* ゼレンスキーの発言にはプロパガンダとしての数字の誇張などが含まれている可能性が非常に高いが、戦時中の情報統制下にあって、一般人がそれを判別する術は存在しないだろう(予算規模などからある程度は推測が可能とも思われるが、今回は割愛)。公平を期すため、本推定では彼の発言を全て正確*なものとして計算を行う(納得できない場合は適時、好みのデータから計算してみることを推奨する)。
* これはあくまで憶測に過ぎないが、仮にゼレンスキーがプロパガンダとして数字の誇張を行うとすれば、自軍兵力は多く、戦死者は少なく見せると考えらるため、本推定における「(2.5年経過時点での兵数 +それまでの戦死者) / 開戦時点での潜在的最大動員兵数」という式への影響は少ない可能性がある。尚、これとは真逆に、自軍を弱く見せて敵の損害を誘うという情報戦略が取られていることも考えられるが、どちらにしても同じことである。
また、戦死者に関しては、同じくゼレンスキーの発言*によれば、2024年2月末時点で31,000人の様である。2023年8月のNYTの記事*に70,000とある(尚、推定方法に関しては不明)様に、他では色々な推定がされているものの、上述の理由により、本推定ではこれを正しいものとして使用する。
* https://www.bbc.com/japanese/articles/c06m064v22mo
* https://www.nytimes.com/2023/08/18/us/politics/ukraine-russia-war-casualties.html
尚、第二次世界大戦中のドイツの様に、春の雪解けによってぬかるんだ土地で軍の損害が全く増えていないということは有り得ないため、上記の31,000人を開戦の2022年2月から2024年2月までの24ヶ月で除したものに、開戦から現在の2024年6月までの28ヶ月を乗じたもの(日数は考慮していない)を現時点までの戦死者(尚、義勇兵は含まれていないもの)と仮定する。
そして、潜在的最大動員兵数だが、ウクライナに関しては日本と異なり、女性兵士の数を考慮しなければならない*。現在ウクライナでは女性は徴兵対象ではないものの、志願兵としては5,000人程が軍に所属しているようである*。
* https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-66436331
(尚、軍属を含めれば2020年時点で軍全体における女性の割合は15%に達していた。)
女性兵士の割合は近代以降、時代が下るにつれて増加傾向にあるため、女性における潜在的最大動員兵数の設定に類推できる適切な事例は、恐らく戦史上に存在しないだろう(女性兵の活躍が有名なソ連であっても、軍属を含めた軍全体での女性の割合は5%*である)。
* https://en.wikipedia.org/wiki/Soviet_women_in_World_War_II
(そもそも共産圏の資料は信頼性に乏しい場合が多いので、これが正確な数値なのかは定かではない。尚、ソースは英wikiだが出典は明記されている。)
よって、現時点のウクライナにおいて女性を徴兵の対象とする様な動きは見られないことから、本推定では全体の兵数における女性兵士の割合が一定であるものと仮定して計算を行う(もっとも、国家存亡の危機においては、日本の義勇兵役法の様に老若男女を問わずに徴兵されたケースもあるが、これをウクライナに類推することは適切ではないだろう)。
これにより、開戦時点での潜在的最大動員兵数(尚、計算方法は日本の場合と同様)
開戦時点での男子の人口(尚、データは前年の2021年)
= 20,147,327
現役適齢(23~27)*
= 20,147,327*2.82% ≒ 568,155
現役適齢における潜在的最大動員兵数
= 568,155*56% ≒ 318,167
予備役適齢(28~60)
= 20,147,327*23.54% ≒ 4,742,681
予備役適齢における最大的動員兵数
= 4,742,681*23% ≒ 1,090,817
∴ 318,167 + 1,090,817 = 1,408,984
* 開戦より2.5年経過した時点で満25歳になるものを含むが、徴集は同年生まれの者が全て適齢に満ちてから行われるものとする。尚、英wikiによると現役兵の徴兵期間は1~1.5年(出典はない)であり、部門によって期間が異なる様だが詳細は不明である。本推定においては、便宜上(非常に便利な言葉である)、当該期間を2年として計算を行う。
現時点での兵数1,880,000に女性兵5,000が含まれていることから、女性兵の潜在的最大動員兵数は約3,757人となる。
よって、
(2.5年経過時点での兵数 +それまでの戦死者) / 開戦時点での潜在的最大動員兵数
= (1,880,000 + 31,000) / (1,408,984 + 3,757)
= 1.352…
≒ 1.35
となる。
比較のため、日本のケースを簡易的に載せておくと
開戦時点での潜在的最大動員兵数
現役適齢における潜在的最大動員兵数
≒ 1,889,763
予備役適齢における潜在的最大動員兵数
≒ 2,022,899
∴ 1,889,763 + 2,022,899 = 3,912,662
よって、
(2.5年経過時点での兵数 + それまでの戦死者) / 開戦時点での潜在的最大動員兵数
≒ 1.66(1.5年時点では1.17)
である。
結論:戦争末期の大日本帝国より現在のウクライナの徴兵度合いが進んでいると言えなくはないが、それは一般的には太平洋戦争末期という言葉が指す時点ではない。
という結果になりました!イカガデシタカ?
最後に付け加えるとすると、最初に言及した通り、本推定は恐らく「国民の厭戦感情の度合い」つまり、国民が開戦時点でどれほどの人口が徴集・召集されることを予期していたか、戦時中にその期待度からどれだけ政府の行動が乖離したか、という目的でのみ有効に成立するものであり、人的資源の損失度合いを測るなら徴兵度合いではなく民間人を含む死者数などで測るべきだろう。もっとも、昨今の世界的なアカデミア至上主義においては、機会損失という意味で、徴兵度合いを測ることも有効なのかもしれないが。まぁ、最初に言った様に、ウクライナの徴兵度合いが増加してきているということには何も反対しないから、これは重箱の隅を掘削機で削る様な議論に過ぎなくなってしまいました。当然、粗を探そうと思えば幾らでも探せるため、あくまで参考程度に。
いかがでしたでしょうか。本文中にもある様に、ウクライナにおいては正確な資料が存在しないため、推定材料とするデータ次第によって結果が大きく変わる可能性はありますが、なんにせよ、現在のウクライナでは開戦当初に国民が予期していたレベルを超えた徴兵が行われている可能性は高そうです。
高度情報化社会であるが故に、徴兵逃れに関するニュースも目立っていますが、一般に国民が一丸となって戦争に臨んでいたと思われる大日本帝国においてさえ、徴兵逃れは深刻な問題であり、これは近代国家に暮らす国民としては逃れられない問題でしょう。
筆者はまだ現役真っ盛りの年齢であり、いざ有事となれば徴集されることも想定しなければなりませんが、海外に留学中の者も多い筆者の知己共はこれをどう受け止めるのでしょうか。そして、これを読んでくださっている皆様はどうでしょうか。本稿が国際情勢の理解、そして近代国家国民としての意識形成の一助となれば幸いです。
そして、最後にA4用紙十数枚程の文量を一度に送るという暴挙をしでかしても許してくれる(もっとも、昨晩に送ったため返信はまだ無いが)友人のR氏に感謝の意を表します。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。