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[読書メモ] ジェントルマン資本主義と大英帝国の拡大 "Gentlemanly Capitalism and British Expansion Overseas"

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1. はじめに

【ジャンル】イギリス帝国政治経済史(論文)
 今回は近代イギリス史を勉強しているといずれどこかで耳にするであろうケイン=ホプキンズの「ジェントルマン資本主義」論についてです。以前にも記事にしたギャラガー=ロビンソンの「自由貿易帝国主義」論を半ば発展させつつ半ば批判しつつ生まれたものが本論文になりますので、是非そちらとも合わせてご覧下さい。尚、ジェントルマン資本主義論は研究史的な立ち位置を把握しておかなければ理解が難しい様に感じましたので、自由貿易帝国主義論の記事では軽くしか触れませんでしたが、今回の記事では帝国主義に関する研究史から説明します。

2. 帝国主義に関する研究史

 「帝国主義」という言葉には様々な意味を与えることが可能だと思いますが、本記事においてはホブソン(Hobson)の帝国主義論の流れを汲んで説明していきます。1902年に出版された『帝国主義研究』において、ホブソンは帝国主義を「海外市場や海外投資によって国内では消費・使用しきれない財・資本を処分し、余剰な富の流通経路を拡大する大規模な産業支配者達の試み」と定義しました¹⁾。つまり、産業の発展に伴う富の資本家などへの集中によって消費力に偏りが生じ (mal-distribution)、支配者層が自らの富の捌け口を海外に求めることで生まれる帝国の拡大は産業の発達した国家にとって必然であると説き、それら一部の支配者層が国の公的な資源を用いて私的な投資などの保護を行い、国家全体の公共の利益を損なってしまうことをホブソンは喚起したわけですが²⁾、この帝国主義研究は当時のマルキシストらにも多大な影響を与えることになります。

イギリスの経済学者、J・A・ホブソン
出典:Wikipedia Commons, Public Domain

 実際のところ、ホブソンの研究は政治・経済に対する明確な視野から生まれたものというよりかは彼の反帝国主義運動から生まれたものであり、同研究の中では西欧諸国の海外投資を帝国主義政策を推進するものとして批判しているものの、9年後の1911年には国際金融は債権国・債務国双方にとってより良い平和的な発展をもたらすものとして立場を転向しています³⁾。著者自身は後に見解を改めている一方で、1917年に出版された『帝国主義』の中でレーニンはホブソンの帝国主義研究を多く引用して「帝国主義は資本主義の独占的段階である」と結論付けて資本主義そのものへの批判を行い⁴⁾、周知の様に出版と同年の1917年に十月革命を起こし、初の社会主義国を樹立させます。

チューリッヒへの亡命中に『帝国主義』を執筆したウラジミール・レーニン
出典:Wikipedia Commons, Public Domain

 ホブソンやレーニンが帝国主義を経済的要因によって説明しようとしたのに対し、景気循環論などで高名な経済学者であるシュンペーター (Schumpeter)は、1919年の論文にて古代から当時に至るまでの帝国の歴史を検証し、帝国の拡大には様々な要因があり、必ずしも経済的要因によってのみ説明できるものではないとして、帝国主義を「国家の再現なく拡張を強行しようとする無目的な素質」と定義します⁵⁾。彼はむしろ、資本主義(並びに自由競争)の発達によってそれまで帝国主義戦争を引き起こしてきた支配者層の封建的な経済的地位の安泰は揺らぎ、それによって従来腕力闘争に向いていた精力は経済活動に向かざるを得なくなるため、「純粋に資本主義的な土壌の上には、帝国主義的衝動は育ちにくい」としており⁶⁾、また自由貿易によっても「外国の原料や食料を、あたかもそれが自国の領土にあるのと同じ様に、たやすく入手できる」ため、「どの階級も武力的領土拡張そのものには関心をもたない」という見解を示しており⁷⁾、近代に帝国主義が見られるのは君主主義の残滓として、「好戦的傾向をもった階級が支配者的地位を保持しつづけていたからにほかならない」からであり、帝国主義は決して資本主義の「内在的論理」から生まれてくるものではない、と結論付けています⁸⁾。

 しかし、ギャラガー=ロビンソンが1953年に発表した「自由貿易帝国主義」の論文はホブソンやレーニンらについては言及しているものの⁸⁾、シュンペーターの研究にはあまり注目していないようで⁹⁾、以前の記事でも紹介した様に、ホブソンなどが示した経済(産業)的な要因から帝国主義を説明する枠組みを踏襲し、ヴィクトリア時代におけるイギリスの帝国主義を「可能であれば非公式な支配の下で貿易、必要であれば統治して貿易」する自由貿易帝国主義だとしました¹⁰⁾。以上の様な帝国主義研究流れの中で1986-7年にケイン=ホプキンズによって発表されたものが今回紹介するジェントルマン資本主義論です。


1) Hobson, Imperialism, 85.
2) Hobson, Imperialism, 356-360.
3) Cain, “Hobson, Cobden, Economic Imperialism,“ 581-582; Kruger, "Hobson, Lenin, Schumpeter, Imperialism," 254-255.
4) レーニン『帝国主義』145.
5) Schumpeter, „Soziologie der Imperialismen,“ 3;『帝国主義と社会階級』30.
6) Schumpeter, „Soziologie der Imperialismen,“ 275-287;『帝国主義と社会階級』114-121.
7) Schumpeter, „Soziologie der Imperialismen,“ 292;『帝国主義と社会階級』129.
8) Schumpeter, „Soziologie der Imperialismen,“ 309-310;『帝国主義と社会階級』157-158.
8) Gallagher and Robinson, “Imperialism of Free Trade,“ 2.
9) 実際、シュンペーターはあくまで経済学の分野で著名な研究者であり、歴史学や社会学の研究者としては知名度は低いと言えるでしょう。
10) Gallagher and Robinson, “Imperialism of Free Trade,“ 13.

3. ジェントルマン資本主義

 元々ケイン=ホプキンズは、自由貿易帝国主義論などがイギリス帝国の周辺、つまり被支配領域側から帝国拡大の要因を捉えていたのに対し、改めて本国における帝国拡大のメカニズムに注目することを1980年の論文で提唱していましたが¹¹⁾、ジェントルマン資本主義論を提唱する本論文では、それに加えて産業の発達の結果生じる帝国の拡大という史観についても疑問を投げかけています。彼らは「農業、サービス、金融における複合的な利益の中核をなす、伝統的な地位や権威と市場におけるダイナミックな行動力を兼ね備えた上流階級」¹²⁾、すなわちジェントルマン資本家によってイギリス帝国の拡大の説明を試みており、シュンペーターが想定していた様なドイツなどの例における「封建勢力の産業資本家への適応、或いは産業資本家の伝統主義への順応」の様な単純な史観では近代イギリス史を説明できないとしています。

 ジェントルマンというのは地代収入などの不労所得を持つ地主階級の一種ですが、同時に生活スタイルとしての理念でもあります。生来のジェントルマンでなくとも、生活スタイルがジェントルマンのそれであれば社会的権威は高まり、著者らはその区別の基準を生産活動に直接に関わるか否かにおいています。これは世俗的な労働様式に嫌悪感を抱く古典的な上流階級の価値観を反映したものですが、これによってサービス業の製造業に対する権威的優越が生まれ、後者が上流階級の関心を得られなかったのに対し、銀行家や金融業者は上流階級の社交界に迎え入れられるようになります。

 このロンドンのシティ¹³⁾における社交活動によって銀行家達への信頼が増すに連れて、彼らは上流階級の資産を信託されることで金融市場での力を更に強め、又、19世紀にはパブリック・スクールにて秩序、責務、忠誠などの価値観を教育することで財産を持たない階級からもジェントルマンを育成しようとするジェントルマン再規定の動きが始まったことで、従来の没落しつつある地主階級に台頭するサービス部門が吸収され、サービス部門がジェントルマンとして上流階級の政治の世界に参加することになります¹⁴⁾。この格式と進取の融合こそが近代イギリスの政治経済史を分析する上での基準となるジェントルマン資本主義の特徴であり、著者らは1688-1850年においては地主階級が優勢で、1850年以降のその地位はシティにおける金融・商業界の大物やイングランド南東部におけるサービス業の最も裕福で影響力のある層に継承されるとしています。


11) Cain and Hopkins, “Political Economy of British Expansion,“ 489.
12) Cain, “Gentlemanly Capitalism, Economic Imperialism,“ 75.
13) シティ・オブ・ロンドン(ロンドンの中心地)の略称としてのシティ。
14) ケイン, ホプキンズ『ジェントルマン資本主義の帝国I』25-27.

4. 1688-1850におけるジェントルマン資本主義

 産業革命以前の1688-1850におけるイギリスの政治・経済の発展は土地利権を持つ上流階級による商業の拡大に特徴付けられます。この時代の主要な生産活動は未だ農業でしたが、金融方面においては、英蘭の覇権競争の末に金融の中心地がアムステルダムからロンドンに移ったことや九年戦争時に多数の銀行家がロンドンに逃れてきたことなどにも促進され、イングランド銀行 (1694)の設立によって国債発行や証券取引が盛んに行われるようになる金融革命 (Financial Revolution)が起きます。この金融の発達と農業の発達の融合は強力な不労所得者層を生み出し、これらが同時代のイギリス政治・経済に大きく影響を及ぼしていきます。

イングランド銀行定款への捺印
出典:Wikipedia Commons, Public Domain

 同時代におけるマニュファクチュアの生産量は未だ微々たるものであり、産業の生み出す富が政治・経済に与える影響は金融・サービス業に比べて大きくはありませんでした。未だ揺籃期にある国内の産業が重商主義的な保護貿易で市場を確保されたことで、製造業者らの政治的要求は満たされる一方で、シティに住む金融業者らは財政における資金調達の高度化(戦費を国債で賄うなど)に伴って金融の専門家が必要とされたことから、土地や爵位を与えられるなどして、より包括的に政治の中枢に吸収されていきます。

 産業が発達するにつれ、産業化らは製品の輸出を阻む保護貿易(穀物法)への反発を強め、最終的に自由貿易が実現したことは地主層の没落と産業家の勝利の様に説明されることが多いですが、著者らはそれに対し、一連の政策転換はむしろ、伝統的な価値観と資本主義的な価値観を併せ持つジェントルマンらによる、地主階級の権力を維持するためのものだったとしています。1815年以降の政府支出の大幅削減、1819年の金本位制への復帰、1820年代の関税削減などはジェントルマンらによって行われたものであり、これらによってジェントルマンの権威と権力は産業革命による有産階級から幅広い支持を受けることになり、自由貿易そのものも、部分的にはジェントルマンの権威を弱体化させたものの、総合的に見ればそれはイギリスに幅広く存在する産業家層を繁栄させたと同時に、シティにおけるジェントルマンにも大きな勝利をもたらしたものでした。

5. 1850-1945におけるジェントルマン資本主義

 自由貿易がシティに勝利をもたらしたという見解は、つまり当時のイギリスは貿易ではなく金融・サービス部門によって利益を得ていたことに基づいていますが、これに関しては著者らが後に出版した『ジェントルマン資本主義の帝国』に分かりやすい表が引用されていたので、そちらを孫引きしてみます。

出典:ケイン, ホプキンズ『ジェントルマン資本主義の帝国I』117. より孫引き

 この時代のイギリスの収入は産業による貿易収入ではなく、専ら金融・サービス業が占めており、自由貿易によってイギリス、特に主要な港であったロンドンは宝石から食料に至るまであらゆる一次産品の取引所、貿易センターとしての役割を果たし、これこそ正にシティが得意とする国際的な短期信用取引の活躍する絶好の場でした¹⁵⁾。資本の借入国が債務を返済するにはイギリスへの輸出によってポンドを得る必要があったため、イギリスは常に輸入を増大させ、入超にさせることで海外投資収入による巨額の資本流入に対応する必要があり¹⁶⁾、当然これは国内の製造業者ではなくシティの金融家らの利害が反映されたものでした。

 こうしてシティが「世界の都市」としての位置を確立すると同時にイギリス経済の国際投資などへの依存という脆弱性も強まり、シティの繁栄を支える信用のネットワークが乱されることが危惧されたことで、ジェントルマンらは自由貿易による国際平和の重要性を一層強調し、防衛費の削減や宥和政策などに頼らざるを得なくなっていったといいます。この戦略が間違いであったことはドイツの台頭と第一次世界大戦でイギリスが多大な被害を受けたことで証明され、更に1930年代の世界恐慌は国際取引に依存していたシティの経済に深刻な影響を与えることになります。

 また、この頃にはポンドの絶対的地位もドルやマルクの成長によって揺らぎつつあったため、イギリスは結果的に公式帝国への依存を強め、ポンド圏(スターリング・ブロック)を形成するようになり、帝国特恵制度は白人植民地がその債務の利息を支払うために十分なポンドを稼げるようにすること、つまりポンド圏の崩壊を防ぐことにあったといいます。しかし、近代以降の軍事費の膨大な増加はイギリスの財政を圧迫し続け、第二次世界大戦でドイツ・日本に勝利するためにアメリカから受けた広範な援助の代償は、帝国特恵関税の廃止、ポンド圏システムの破壊、そして最終的には脱植民地化であり、かつてパクス・ブリタニカを率いたジェントルマン達はパクス・アメリカーナの下でその遺産を活かし西側諸国を支えていくことになります。


15) ケイン, ホプキンズ『ジェントルマン資本主義の帝国I』118.
16) ケイン, ホプキンズ『ジェントルマン資本主義の帝国I』136.

6. おわりに

 解説記事を書く側としては非常に困ったことに、著者らはジェントルマン資本主義について厳密な定義を与えずに議論を行う方式を取っているため、今回紹介した二論文だけではその概念を把握することが難しいようにも感じました。著者らは後に本論文の内容を大幅に補填・拡張したものとして“British Imperialism“を出版しており、こちらは『ジェントルマン資本主義の帝国』として名古屋大学出版会により邦訳が出版されていますので、興味を持たれた方はそちらも参照するのが良いかと思います。尤も、そちらの方は自由貿易を採用して以降のイギリス史に主に焦点を当てており、それ以前の本国におけるジェントルマンの作用については依然説明が足りていないように感じますが。又、本記事では字数の都合上、帝国の拡大そのものではなく本国における要因について焦点を当てて解説しました。前者については是非、自由貿易帝国主義の記事などを参照してみてください。次回以降はしばらく大塚久雄氏の『株式会社発生史論』関連か、蘭語の勉強として軽い軍事関連の記事を投稿する予定です。

参考文献リスト
[主要文献]
(本記事における記述は全般的に以下より引用・敷衍されたものですが、便宜上ページ番号等は示しておりません。悪しからずご了承下さい。)
Cain, P. J., and A. G. Hopkins. “Gentlemanly Capitalism and British Expansion Overseas I. The Old Colonial System, 1688-1850.“ The Economic History Review 39, no. 4 (1986): 501-25. https://doi.org/10.2307/2596481.
———. “Gentlemanly Capitalism and British Expansion Overseas II: New Imperialism, 1850-1945.“ The Economic History Review 40, no. 1 (1987): 1-26. https://doi.org/10.2307/2596293.

[その他文献](以下には上記とは意見を異にする文献も含まれます。)
[欧語]
Cain, P. J. “J. A. Hobson, Cobdenism, and the Radical Theory of Economic Imperialism, 1898-1914.“ The Economic History Review 31, no. 4 (1978): 565-84. https://doi.org/10.2307/2595749.
———.  “’Gentlemanly Capitalism’ and ’Classical’ Theories of Economic Imperialism.“ Annals of the Society for the History of Economic Thought (経済学史学会年報), no. 44 (2003): 75-83. https://doi.org/10.11498/jshet1963.44.75.
Cain, P. J., and A. G. Hopkins. “The Political Economy of British Expansion Overseas, 1750-1914.“ The Economic History Review 33, no. 4 (1980): 463-90. https://doi.org/10.2307/2594798.
Gallagher, John, and Ronald Robinson. “The Imperialism of Free Trade.“ The Economic History Review 6, no. 1 (1953): 1-15. https://doi.org/10.2307/2591017.
Hobson, J. A. Imperialism: A Study. 3rd ed. London: George Allen & Unwin, 1938. https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.121968.
Kruger, Daniel H. “Hobson, Lenin, and Schumpeter on Imperialism.“ Journal of the History of Ideas 16, no. 2 (1955): 252-59. https://doi.org/10.2307/2707667.
Schumpeter, Joseph. „Zur Soziologie der Imperialismen.“ Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik 46 (1919): 1-39, 275-310. https://archive.org/details/archiv-fur-sozialwissenschaft-und-sozialpolitik-46. 都留重人訳『帝国主義と社会階級』(東京: 岩波書店, 1956). https://doi.org/10.11501/3009361.

[邦語](邦訳のみ参照した場合は以下に記載しています。)
姫野順一「『ジェントルマン資本主義』論とJ. A. ホブスン研究:経済学史・思想史研究の視点から」『経済学史学会年報』36号 (1998): 14-25. https://doi.org/10.11498/jshet1963.36.14.
レーニン『資本主義の最高の段階としての帝国主義』宇高基輔訳. 東京: 岩波書店, 1956. https://doi.org/10.11501/3009349.
P. J. ケイン, A. G. ホプキンズ『ジェントルマン資本主義の帝国I: 創生と膨張1688-1914』竹内幸雄, 秋田茂訳. 名古屋: 名古屋大学出版会, 1997.
———『ジェントルマン資本主義の帝国II: 危機と解体1914-1990』木畑洋一, 旦祐介訳. 名古屋: 名古屋大学出版会, 1997.

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