道東の冬に会いたくて 網走まで④
三日目
6:30 起床
7:00 ホテルの朝食バイキング
豪華なおかずはないが、小鉢の種類が多いのがうれしい。
今回の旅行で初めて食事らしい食事。
8:30 チェックアウト後、おーろら号に乗るため乗船場まで歩く
普段ならどうってことない距離なのに
雪道をキャリーバックを引いて歩くのはしんどかった。
乗船場の掲示板
「9:30発 おーろら号 流氷接岸確認できず」 の文字
ここは潔く、乗船をキャンセルした
停留所からバスに乗り、監獄を目指す
9:15着 網走監獄着
SNSでは、時間が少なくてまわり切れなかったとの感想が多かったため
見学の時間をたっぷりとった。
標茶町の釧路集治監に行った際にも少し学んだが
全国から送られてきた重刑囚たちが北海道の開拓に携わった功績は大きい。
19世紀に入り、ロシアはたびたび北海道を偵察に来ていた。
そのため、ロシアからの守りを進めるうえでも
北海道開拓は重要な懸案事項だった。
そこで開拓のために使われたのが囚人たちである。
北海道に集治監(刑務所)を設置し、北海道の防衛と開拓のために
囚人たちを働かせた。
刑期を終えたのちも、そのまま人口希薄な北海道に住みついてくれたらと
そんな思惑もあったらしい。
明治14年月形町に樺戸集治監
明治15年三笠市に空知集治監
明治18年標茶町に釧路集治監
その分監として
明治23年網走囚徒外役所が人口わすが631人の小さな漁村の網走に
誕生した。
網走監獄120年の歴史のはじまりである。
明治24年、札幌と網走をつなぐ中央道路開削工事開始
網走から旭川までの幹線道路の長さは228㎞
そのうち、網走の囚人たちが開削したのは北見峠までの163㎞
1,115人の囚人たちは、たった8か月の納期に間に合わせるために
極寒の地で昼夜問わず働かされた。
その過酷な労働により211人が亡くなった。
どれほど過酷な労働と生活だったかを
現代の私たちは想像できない。
山の斜面に建てられた監獄
所狭しといろいろな施設が立てられていた。
どこへいっても雪深い
晴天ですべてがキラキラ輝いていた
昔の凄惨さを忘れてしまった穏やかな風景
お昼、監獄食堂へ
食欲がいまいちだったため
人気の監獄めしではなく醤油ラーメン(笑)
次の目的地、流氷館まではバスで移動
バス停の後ろには、雪が胸の高さまであった
バスを待つ間も
晴天の雪国 ぽかぽかして気持ちいい
12:10 市内巡りバスで流氷館へ
数台の観光バスが来ていた
外国の方も多かった
もう世の中は動き出した様子
3階の展望テラス
360°の大パノラマ
天都山からの眺めは圧巻で
遠く知床のオホーツク海岸線が見えた
知床連山も見えた
裏手には、氷結した大きな網走湖が見えた
地下1階で、オホーツク海の生きものについて説明を受けた
「流氷の天使」クリオネが餌を捕食する姿を見て驚いた
頭から触手が伸びて、獲物を身体全体で包み込んでしまう
かわいい姿からは想像がつかなかった
クリオネは北極や南極など冷たい海域の水深200~1000メートルに生息する実は貝の一種で、幼い頃は貝殻を付けているそう。
流氷体感テラスではマイナス15℃の室内で本物の流氷に触れた。
濡れたタオルを振り回して凍らせる「しばれ実験」ができる。
10回くらい振り回したら、固まった。
いよいよ流氷館の名物
流氷ソフトを食べる
オホーツク海の塩を使った塩キャラメル味。
しょっぱいソフトクリーム、なかなかおいしかった!
売店で北見のハッカ飴と絵葉書を買う
そして、いよいよバスで網走駅へ向かう
駅で空港行きのバスを待つ
今回の旅は、網走駅での待ち時間が多かった
待合室でのんびりしていると
待合室に駅弁屋が入っていることに気づいた。
今まで気づかなかった。
その横には喫茶店があった。夜も営業しているのだろうか。
ディナーのメニューがあった。
レトロな雰囲気。今度来たらぜひ入ろう。
13:50発 女満別空港行き
14:20着
2階の売店で急いでお土産を探す
「こまい」があった!
六花亭も買う
搭乗手続きを済ませた後
最後のソフトクリーム
白い恋人ソフト
周りには雪たっぷりでも、晴天続きで
どこへ行ってもソフトクリームが美味しく食べられた
16:10発 成田空港行き
18:15着 成田空港
あれからわずか2週間後
気温は21℃
夏日に迫る暑さ
道東の冬に会いに行ったのは、幻だったとしか思えない。