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からだのこりはこころのこり 第二話
第二章 『大人の階段』
中学生にもなると、思春期と同時に
家庭内の構図や社会の中での息苦しさを感じ
反抗期がやってきた
尾崎豊のような歌詞のようにわけもなく
苛立ちを覚えた
そんな中でも両親の変化には敏感なほど気づく
両親の貼り薬や飲み薬が増えたり、異常なほどのおせっかいのような言動が増えたことに私は気づき始めそれもまたなぜだか苛立ちを感じた
私の反抗期は策略化で陰湿なタイプとでも
言えば良いのだろうか
決して矢表に自分は出ず授業や教員とのコミュニケーションはしっかりとするもんだから
真面目だからちょっと悪さしても大丈夫だろう
代わりに誰かにやってもらっちゃおう
と言うようななんともタチの悪い反抗期であった
世の中の反抗期の子供を持つ親の皆様に伝えたい
ちょっと悪さはするけど、真面目にやってる反抗期もあるんだということを知ってもらっておいたほうがいい
このタイプの反抗期は自分で言うのもなんだが
きっとかなりめんどくさい
だが、このタイプは1つだけ攻略法がある
意外と褒められることに弱いのだ
なので勉強は全くしないのにまあまあで
反抗期の割に学校では真面目に取り組んでいて
先生の前ではいい顔をする
そんな反抗期だ
だからこそ、両親から成績のことをもっと上げろとか言われてしまうと、余計に反抗したくなってしまうのだ
私はかなり両親から厳しく育てられた
今となっては、その厳しさのおかげもあり
生きる自分の糧になっている事は間違いないのだが
当の本人は、その当時には全くと言っていいほど
理解できなかった
そして、その反抗期をズルズルと高校入学まで
引っ張って成長してしまうという
残念な成長を遂げた
もし私が過去に戻れるならば、その時の自分にしっかりと諭してやりたいと思う
私の反抗期の終わりを告げた要因は
田舎の親代わりとも言える祖父が亡くなったことだ
やんちゃな幼少期を見守ってくれた祖父は
私にとってはかけがえのない人であった
ゆえに自分の現状の不甲斐なさに心が傷んだ
そして、全身に力が入り
私の心の中の何かが気を緩めてはいけないと
問いかけるようだった
それ以降
誰かの役に立ちたい
誰かを助けたい
そんな想いで
地域の整形外科の助手になってみたり
障害のある方のサポートをしてみたり
福祉関係の資格取得をしてバイトをしたりと
積極的に人のサポートや人の健康について考えるようになった
バイトだったと言うこともあるが
いろんなバイトがある中で、このような関係の職種についたのも父親代わりだった。祖父の影響である。
とことんやればやるだけ満足できて少し力が抜けるのか
と考えていたが体に力が入り続けている感覚を拭いきらることはできなかった