【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その一 おけいの一件始末 10
女の実父和助と組頭新右衛門(しんえもん)がやってくると、清次郎はおけいが駆け込んできた理由を話し、その趣旨に相違ないか問いただした。
和助は、40を過ぎた、如何にも野良仕事で体を鍛えているというような大柄の男であったが、取調べというのが初めてなのだろう、可哀想なぐらいに身を縮込ませて、畏まっていた。清次郎の問いにも、「へえ、その通りです」としか答えず、終始俯いて、清次郎の鋭い声に肩をびくつかせていた。
新右衛門のほうはまだ若い男で、きりっとした顔つきに、はきはきとした受け答えから、頭が回る男だと分かる。
必然、清次郎と新右衛門のやりとりになる。
「村のほうで、松太郎とかいう男を、何とかできなかったのか」
「はあ、私どもでも再三言い聞かせるのですが、そのときは、はい、もういたしません、絶対に酒など飲みません、おけいも殴りませんと神妙に答えるのです。ですが、一月(ひとつき)も経たないうちに酒を飲み、またおけいを殴る、その繰り返しで。とうとう私どもも書面をとったのですよ、今度酒を飲み、おけいを殴ったら、離縁をすると」
これが効いたのか、二月(ふたつき)もったという。
が、矢張り酒の味には勝てなくて、飲んでしまったらしい。それを咎める妻を殴ったのだから、それまでである。おけいは飛び出し、実家に戻ってしまった。
「それならば、話は終わりであろう。松太郎に三行半を書かせればいいだけだ。なぜ、おけいが走るようなことになったのだ。こちらは迷惑千万だぞ」
惣太郎も、最もだと思う。
「相すみません」と、新右衛門は頭を下げた、「私どもと松太郎の身内が集まりまして、こうなったのも自業自得なのだからしょうがない、三行半を書けと迫ったんですが……」
なぜか書かぬという。そればかりか、おけいに謝りたい。もう一度一緒に住みたいと訴える。今度こそ絶対に酒は飲まんと誓うと言う。
「身勝手な男だな」と、ついつい惣太郎は呟いてしまった。
清次郎に睨まれ、慌てて口を閉ざした。
「いえ、全く身勝手な男でございます。しかし、酒を飲まなければ、じつに良い男でして、まあ、おけいもそれならもう一度ぐらいはと言うので、縒りを戻したのです」
「それで、どのぐらいもった」
新右衛門の代わりに、和助が指を2本出した。
「つくづく駄目な男だな」
「返す言葉もございません」
「それで、耐え切れなくなったおけいは、とうとう寺に駆け込んだというわけか」
「私どもで内々に済ませようとしたのですが、このようにお役人さまにご迷惑をおかけいたすことになりましたこと、まことに申しわけありません」
新右衛門と和助が頭を下げた。
「全くだ」と、清次郎は冷たく言い放った。
格子窓からは、秋の涼しい風が入り込んでくる。それでなくとも寒い板の間だ。尚寒くなる。
「おけいは、離縁したいと言っておる。おぬしたちは、どうしたいのだ」
親としては、娘の言うとおりにしてやりたい、松太郎は決して悪い男ではない、おけいに手をあげるのも酒のせいだ、だが、その酒を断つこともできないのなら、それは松太郎の弱さでもある、そんな男のところに大切な娘を置いておけない、きっと将来に渡って苦労することになる、だから、離縁させてやりたいと、和助は訥々と語った。
親とては当然であろうと、惣太郎も思う。
組頭としても、和助の意見を尊重するし、おけいの幸せにもそのほうがいいだろう、松太郎の身内とは話もできているし、その点に難はないと、新右衛門は語った。
「あるとすれば、松太郎本人でして、どうしても嫌がっておるのです。この度も、おけいを取り戻しにいくのだと、こちらに来ようとするし、何とか必死に押し留めてきたのですが、どうにもこうにも」
男が三行半を書かない限り、女からの離縁はない。
「面倒な男だ」と、清次郎は吐き捨てた、「仔細は分かった。おぬしらは別れさせたほうが良いという考えだな。しかし、寺としてはまず熟縁を図ることになっておる。女は矢張り、夫に仕えるのが当然だ。まずはおぬしたちで、再度縒りを戻すよう諭せ、よいな」
調べはそれで終わった。
縁切りを望んでいる者に、縁を戻すよう説教しろというのだから、困ったものである。和助も新右衛門も、目を白黒させて当惑していた。
この人はいったい何を考えてるのだろうと、惣太郎は清次郎のやり方に疑問を抱かざるを得なかった。