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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 14(落着)
銀蔵は、清次郎と郷役たちにびっしりと締めあげられた。そして白状したのが、おみねの大家、組頭と名乗っていた権兵衛と七郎も、政吉一味の仲間だということである。
すぐに宿へ捕り物に行くと、ふたりは逃げるどころか、よっぽど酒が好きならしい、ぐてんぐてんになって寝ていたところを、お縄にかけられた。
ことの顛末はこうである。
金十郎から、生みの母親の居場所を聞いたおみねこと、おゆりは、政吉にどうにか捨てられた恨みを晴らすことができないかと相談した。
金十郎は、おゆりが10歳のときに母のもとへ戻ったと聞いたと言っていたが、実は売られたのである。
それからおゆりは、女の裏道を歩くことになる。
といっても、弥平のところでも同じような生活だった。いや、むしろ血の繋がりがあるという分、残酷だった。義理の母からは毎日扱き使われ、そして義理の父からは女として扱われた。
身も心も病むような毎日だったのだから、男の相手をするだけで金までもらえる生活は、ある意味で楽だった。
そうして、そのまま自堕落な人生を送るようになり、善くない男連中とも付き合うようになった。
政吉とは、18歳(じゅうはち)の春に出会った。
ただ、男と女の関係はないという。
おゆりの話しを聞いて、『そいつは面白い。俺も、あの寺には恨みがあるからな』と、政吉は喜んで賛同してくれたという。
政吉が練った策とは、まず、おゆりの酷い亭主に銀蔵、大家は権兵衛、組頭には七郎と、細かく決める。政吉は経験者だけに、誰が寺に呼ばれるか分かっている。
それから、おゆりが酷い亭主と縁を切りたいと、寺に駆け込む。寺役人たちを信用させて、その機会を待つ。
権兵衛や七郎は、なるべくのんべんだらりとやる。銀蔵は、亭主への呼状がくれば拒否する。そうやって延ばしに延ばして、おゆりと母親の距離を縮めて、頃合を見て………………
この計画、おゆりが寺に飛び込み、権兵衛や七郎が説得と称して寺に来たまでは良かった。
誤算は、大澤がおはまを連れ去るために、文吉たちを寺へ忍ばせたこと。そして、政吉自身も、大澤に命を狙われたことである。
ここから、徐々に崩れ始めた。
そして、いよいよ銀蔵にも手が回ってきたところで、最後の手段に打って出るしかないと思った。
銀蔵は江戸を出てから、ずっと満徳寺周辺に潜伏していたらしい。たまたま波江とおゆりが連れ立って出てきたので、ここだと強硬手段に出たようだ。
そのまま上方にでも逃げれば良かったものを、なぜわざわざやってきたのかと問えば、
『おゆりに、惚れてたんだよ』
とのこと。
男と女の仲は、やはり分からない。
だが、おゆりの心変わりによって、この計画は完全に破綻した。
「本当は、最後の最後まで、殺(や)ってやろうと思ってたんですよ」
おゆりは擦れる声で言った。
あれから、すぐに医者が呼ばれた。幸い傷は浅かったが、高熱が出て、意識不明の状態が一晩中続いた。
惣太郎の母は、ずっとおゆりの傍を離れなかった。娘の名前を呼び、ときに『ごめんね』と侘び、『お願いだから生きてちょうだい。そして、お前を捨てた愚かなおっかさんを責めてちょうだい』と涙ながらに言いながら、おゆりの手を握り続けた。
その甲斐あってか、なんとか峠を越した。
そして、訥々と、いままであったことを語り始めた。
「だって、あんたに捨てられたせいで、あたし、本当に酷い目に遭ってきたんだもん」
「ごめんなさい」
母は、涙を零して謝罪した。
「いまさら謝られても困るわよ。それまでの人生が返ってくるわけでもなし」
「本当に、ごめんなさい」
おゆりは、涙で打ち震える母から視線を逸らした。
「ねえ、ひとつ聞いてもいい。何で、あたしを捨てたの。何で、あたしを連れていってくれなかったの」
「ごめんなさい」
「ごめんじゃ分からないよ。何でって訊いてんだよ」
「本当にごめんなさい。どんなことを言っても、言い訳にしかならないわ。だから……、ごめんなさい」
「言い訳しなさいよ。じゃないと、あたし……、あたし……、あんたを責められないじゃないの……」
「ごめんなさい……」
「本当に……、あたし、殺(や)ってやろうって……、本当に殺(や)ってやろうって思ったのに、でも……、でも……、なんで……、なんで……」
惣太郎は、泣いているのだと思った。
彼は、部屋の隅で、母と姉の邪魔をしないように座っていた。
宋左衛門は、外に控えている。
「なんで……」、おゆりは嗚咽した、「あんたがおっかさんなんだよ……、なんで……、あんたみたいな人が、あたしのおっかさんなんだよ。あたしの……、あたしのおっかさんは、もっと憎たらしくて……、鬼婆のような女で……、子どもを捨てても何とも思わないような……酷い女で……」
「ごめんなさい、本当に……」
「全然、違うじゃないか! なんで……、おっかさんは、そんなに……優しく……」
季節はずれのひぐらしのような女たちの忍び泣きを、惣太郎はただ黙って聞いていた。
「あたし、泣いたのはじめてだよ。これまで、どんな辛いことがあっても泣くもんかって思ってたんだ。聞いたよ、あんた、親父に殴られたりして、よく泣いてたそうだね。弱い女だって思ったよ。あたしは、そんな女にはならない。あんたみたいな女には絶対にならない。泣いたら、あたしの負けだって。あんたを殺(や)ったら、そのときは思いっきり声をあげて泣いてやるんだって。でも、なんか泣いてみたら、それまでの恨みも、憎しみも、辛いことも、全部どうでもよくなちゃったよ。こんなことなら、もっと早くに泣いとくべきだったな」
おゆりは鼻を啜り上げた。
そして、惣太郎に顔を向けた。
「あなたが、あたしの弟だってね。はじめて会ったときから、なんか他人じゃないような気がしてたけど、まさか姉弟だったとはね。こういうことって、あるんだね」
「そのようですね」
惣太郎は、こういうとき、なんと答えていいのか分からなかった。
「そういうぶっきら棒なところ、あたしに似てるよ。やっぱり、姉弟なんだね」
「そのようですね」
と、答えると、おゆりはくすくすと笑った。
「あの……」、外で嘉平の声がした、「おみねに会いたいという男が来ておりますが、寅吉と名乗っております」
おゆりは、ほっとため息を吐いた。
「あたしの本当の旦那だ」
矢張りあの長屋にいた、ぬぼっとした男が寅吉だった。
寅吉とは、15歳(じゅうご)で知り合い、17歳(じゅうなな)で一緒になったという。おゆりを自分の欲望の道具としか見ていない男たちのなかで、彼だけが普通の女として接してくれたという。
箸にも棒にもかからない、役立たずな男だが、どうしても捨て置けず、ずっと一緒にいるという。
「犬と同じですよ。なんか、捨てるの可哀想で」
確かに、寺に来た寅吉は、捨て犬のような悲しげな目をしていた。
これで、おみねの一件、もとい、おゆりの一件は落着である。
(落着)