【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 前編 10
彼は、いつの間にか宮門の前まで来ていた ―― 宮門を潜る中臣鎌子の姿がある。
鎌子は、大海人皇子に気付き、頭を下げた。
大海人皇子も彼に頭を下げて、通り過ぎようとした。
―― いた!
ここにいた!
大海人皇子は振り返った。
「内臣!」
鎌子は、その大きな声にちょっと体をビクつかせた。
「は、はい! 何でしょう?」
大海人皇子は周囲を見回す。
宮門に2人の舎人(とねり)が立っていて、こちらの様子を伺っている。
彼は小さな声で話した。
「内臣、ちょっと相談があるのですが」
「はあ、私にですか? 何でしょう」
「いや、ここではちょっと。これからお暇ですか」
「はあ、いまから大王の下へ参上しようかと」
「ああ、いえ、そんなにお手間は取らせませんので。そこいらを歩きながらでも、ちょっと……」
大海人皇子は鎌子の肩を組んで、無理やり奥へと連れっていった。
舎人たちは、不審に思いながらも、2人の後姿を見送った。
中大兄の称制3(664)年2月9日、大海人皇子は冠位を十九階から二十六階にし、併せて氏上・民部・家部を定める趣旨の改革案を間人大王に奏上した。
この改革案は、やはり中大兄の反対にあったが、その日の内に大王の裁可が下された。
大海人皇子の改正案がすんなり受け入れられたのは、大王の力があったからだけではなかった。
そこには、鎌子の十分な根回しがあった。
鎌子は、いままで大海人皇子のことは全くと言っていいほど眼中になかったのだが、冠位改正の相談を受けた時から、もしかしたらこの人ならば中大兄の対抗馬となり得るかもしれないと考え始めていた。
そのために、鎌子は群臣各位に十分な根回しを行ったのである
そして、大海人皇子が中大兄の対抗馬になり得ると考えたのは、鎌子一人ではなかった。
蘇我赤兄もまた、その一人であった。
もちろん彼は飛鳥派であり、中大兄派であるが、昨今の中大兄の独善的な態度に、彼も危機感を覚えていた。
確かに、中大兄には大王になってもらった方が良いが、もしものことを考えておく必要がある。
赤兄は、改革案のできの良さを鑑みて、保険を掛けておくことにしたのである。
この後、赤兄が娘の大蕤娘(おおぬのいらつめ)を大海人皇子の下へと嫁がせたのは言うまでもない。
なお、赤兄のもう一人の娘常陸娘(ひたちのいらつめ)は、中大兄の下へ嫁いでいる。
3月に入り、改正冠位の授与が執り行われる手筈であったが、宮の北に星が落ちたのを凶事として延期された。
加えて、地震が人々の不安を煽った。
そして流星の凶事が当たったのか、間人大王が病の床に臥せったのである。
これにより、冠位の授与は有耶無耶にされた。
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