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【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第五章「盲愛の寺」 102

 家康が大坂へ向かったあと、

「それで、弾正の上洛は?」

 真田八郎がやってきた。

 上洛は二十九日である。

 安土本丸の留守居役として、織田信益を筆頭に賀藤兵庫頭(かとう・ひょうごのかみ)、野々村又右衛門(のむら・またえもん)、遠山新九郎(とおやま・しんくろう)、世木弥左衛門(せき・やざもん)、市橋源八(いちはし・げんぱち)、櫛田忠兵衛(くしだ・ちゅうべえ)が、二の丸御番衆に、蒲生賢秀、木村高重(きむら・たかしげ)、雲林院祐基(うじい・すけもと)、鳴海助右衛門(なるみ・すけえもん)、祖父江秀重(そふえ・ひでしげ)、佐久間盛明(さくま・もりあき)、箕浦次郎右衛門(みのうら・じろうえもん)、福田三河守(ふくだ・みかわのかみ)、千福遠江守(せんぷく・とおとうみのかみ)、松本為足(まつもと・ためたり)、丸毛長照、前波弥五郎(まえば・やごろう)、山岡景佐、鵜飼(うかい)らを残す。

 他の武将らにも、近々中国出陣の陣触れを出すので、仕度をなせと待機。

 信忠は、すでに出陣し、摂津に向かっている。

 上洛のお供は、太若丸や乱らの小姓と、宣教師から譲り受けた従者弥助(やすけ)ら近習の三十名だけ。

「術中に嵌ったな」

 と、八郎は笑う。

 それで家康は?

 八郎の手下が張り付ているようだ。

「いまは京だが、明日辺り堺へと向かうとのことだ。そういえば、三河から何やら飛脚がきていたらしい」

 こちらにも来た ―― 松平家忠(まつだいら・いえただ)からだった。

 家康は、すでに上洛したと伝えると、慌てて京へと向かった。

 家康も、慌ただしく動いているようだ。

 秀吉は?

 こちらも、手下が見張っている。

「水面下で、毛利と和睦の交渉をしているようだが、なかなかときがかかるようだ。だが、毛利勢に分からないように、少しずつだが兵を帰らせているようだ」

 こちらも慌ただしい。

 肝心の十兵衛は、

「暢気に連歌会を催しておったぞ、やる気はあるのかね、あいつは?」

 と、八郎はぼやいている。

 先の雨の日に、中国出陣前の戦勝祈願のためにと愛宕山の威徳院を参拝し、里村紹巴らと連歌を楽しんだらしい。

 織田家討伐の戦勝祈願では?

「時は今……、雨が下なる五月哉………………」

 何ですか?

「あいつの発句だ」

 時は今、雨の下にいる五月だ………………ごく普通の発句だが………………発句は、主客がその季節の状況を織り込む。

 脇句は?

「なんだったかな……、水上まさる……、庭の夏山……だったかな」

 西ノ坊行祐(にしのぼう・ぎょうゆう)が、この連歌会の主人か………………雪解けによって川上から流れてくる水音が高くなる、夏の築山………………発句を受けている。

 第三は?

「花落つる池の水をせきとめて」

 花が散っている池の水を堰き止めて………………里村紹巴が次の平句へと続けていく。

 その連歌会は、百韻であったらしい。

 最後の百句目 ―― 挙句は、十兵衛の嫡男十五郎(じゅうごろう:光慶(みつよし))。

「国々は猶のどかなるとき」

 国々は、ますます安泰となるときだ………………これは………………微妙な言い回しだな………………国々が安泰となるなど、誰に対していっているのか?

 信長か?

 十兵衛か?

「だろう? 可愛い息子が考えた句だからと、あいつは喜んでいようが、どこぞの誰かに変に誤解されて、ことを悟られかねんぞ。だからあいつは、いつも詰めが甘いのよ」

 これを読んだ信長が、十兵衛の行動に気が付かねば良いが………………

 信長は、すでにこの連歌会のことを知っていた。

「十兵衛の息子が、面白い句をうたったそうじゃ、ほれ、見てみい」

 手には、先の愛宕百韻を綴った書面がある。

 受け取ってみると、確かに八郎から聞いたとおりの句が綴られている。

 さて、信長は如何に思うか………………?

 書面越しに伺うと、にこにこしている。

「狸退治を退治し、中国も平定し、国々が安泰となる……、十兵衛の息子も粋なことを考える。褒美をやらねばならぬな」

 よし、良い方に捉えたな。

「さてと、十兵衛も狸退治の仕度が整ったようじゃ。儂らもゆくか、本能寺へと」

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