【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その二 おはまの一件始末 1
役場にひとりだった。
宋左衛門は御隠居さまに呼ばれ、清次郎と新兵衛も郷役のもとへ出払っていた。
秋もだいぶ深まり、静けさも身に染みて、しんみりと書面の整理をしていた。
突然、わっと子どもの泣き声がした。わんわんと犬のようなこの泣き声は、新兵衛の次女さえであろう。転んだのか、酷く泣いている。
まあ、母親のやえが宥めるだろう。
と思っていたが、一向に泣き止まない。
近くにいないのか、それなら惣太郎の母か、清次郎の妻が……と待ったが、泣き止む様子はない。嘉平もいないようだ。
姉のたえもいないのだろうか。
男の自分が行くのはどうかと思ったが、
「仕方がない」
と立ち上がった。
表に出ると、果たしてさえが泣き散らしている。
辺りを見回すが、誰もいない。
「おさえ坊、どうした、何かあったのか」
訊くが、さえは泣くだけで、一向に埒があかない。ただ、手には一本の紐がある。綺麗な真紅の紐だが、ぐるぐるに絡まっている。
惣太郎は思い出した。
それは、おさえ坊が大切にしている綾取りの紐だと。
「もしかして、絡まったのか」
うんうんと何度も頷く。
「うむ、分かった。では、私が解いてやろう」
紐を受け取り、あれやこれやとやってみるのだが、思った以上に絡まっている。この絡まり方、少々激しい。どうやら、さえが解こうとして、滅茶苦茶にいじったようだ。
「こ、これは、ちょっと……」
と諦めようものなら、すぐにおさえの目頭に涙が浮かんだ。
「分かった、分かった、おさえ坊、泣くな。きっと解いてやるから。ただ、少し時をくれ、よいか」
おさえは素直に頷いた。
惣太郎は、文机に戻ってからも、紐と格闘した。
しかし、よくもまあ、こんなに絡まったものだと呆れ、今更ながらいい加減な約束をしたものだと後悔した。
「参ったな……、くそっ、こうじゃない、あれ、ここか……、ああ、駄目だ、いっそのこと、絡まった部分を切ってつなぎ合わせてやろうか」
いやいや、それはいかん、子どもの心を傷つけてしまう。
「では、やえ殿にお願いして、代わりの紐をもらうか。いや、しかしな……」
おさえのためにも、何とかして解いてやりたかった。
ひとり、紐を操っていると、
「惣太郎、お前、綾取りなんかするのか」
と、父に声をかけられ、慌てて懐に仕舞い込んだ。
「いえ、これはちょっと……」
「まあ、おぬしが何をしようが別に咎めんが、お役の最中は止めておけよ」
「はっ、申しわけありません」
書き物を続けようとすると、
「ところで惣太郎、おぬし、江戸へ出役してもらえんか」
と、父が話しかけてきた。
「私が、御府内にですか。それは結構ですが、どういった一件でしょう」
「うむ、本来なら、ワシが行かねばならぬ用件なのだが、この身体で江戸まではきつくてのう」
宋左衛門は、子猫を可愛がるように右膝を摩る。
「おぬしに、ワシが抱えている離縁の件で、寺社奉行所に〝お声掛り〟を出してきて欲しいのだ」
〝お声掛り〟となると、相当揉めている一件である。
父が話したがらなかった件だなと、惣太郎はすぐさま理解した。
「書状のほうは、ワシのほうで認(したた)める。明日には発ってもらいたい」
「畏まりました」
「それから、用人の御手洗さまは相当偏屈な人だから、きっとあれやこれやと問うてくるであろう。夕餉の後で、この一件について詳しく話しておこう」
新兵衛が苦手とする御仁である。
これは心していかねばなるまいと、惣太郎は少々気が重かった。