【歴史・時代小説】『本能寺燃ゆ』第三章「寵愛の帳」 50
「公方様がお怒りになると見込んで、件の書状を出すことを進言されたからには、明智殿には何らお考えがおありか?」
信盛は厳しい口調で尋ねる。
「左様ですな……」、十兵衛はにこりと笑う、「公方様の出方というか、奉公衆たちの出方を見ようかと」
「幕府の出方とは?」
「公方様の御気持ちは分かりかねますが……、奉公衆の間では、殿は相当目障りな存在かと」
「殿が目障りとな? 貧乏公方が将軍になれたのは、殿のおかげぞ!」
勝家が、鬼のような形相で十兵衛を睨みつける。
「まあまあ」と、十兵衛は勝家を宥めるように話す、「それは公方様もお分かりでしょう。が、奉公衆はそうはいかぬでしょう。あれらも、幕臣という意地がありますから、殿が将軍家よりも大きな力を持つとなれば、どうにかして風下に置きたいはず。それが叶わぬのなら、力を弱めたいと思っているはずです。が、殿はどちらにも従わず………………、折しも、北には浅井・朝倉が迫り、東からは武田が、摂津も盤石ではなく、拙者が幕臣なら、この現状を利用して織田の包囲を完成させます」
どこかで聞いたことがある。
ああ、織田包囲網といえば、まだ越前にいたころに言い出したことだ。
結局あの時はならなかったが、いまその状況になろうとしているとは、何たる皮肉。
「そのような包囲網など、屁でもない。拙者が蹴散らしてくれよう!」
勝家は、鼻息を荒くする。
「柴田殿ならば、それもありましょう。ですが、戦は柴田殿だけでするわけではございません。浅井・朝倉、武田、三好などが一斉に攻めてくれば、そうもいかないでしょう。特に、武田は用心した方が宜しいかと」
「武田? 甲州の山猿ごとき、なんのその!」
「その武田に迫られているではございませんか。その強さは、佐久間殿が良くご存じなはずかと」
十兵衛に言われ、信盛は苦々しい顔をしている。
「あれは……、徳川の兵があまりにも弱く……、武田も我らとの約束を反故にして……」
徳栄軒信玄(とくえいけん・しんげん)こと武田晴信(たけだ・はるのぶ)は、宿敵である不識庵謙信(ふしきあん・けんしん)こと上杉輝虎(うえすぎ・てるとら)に加賀の本願寺門徒をぶつけ、相模の北条氏政(ほうじょう・うじまさ)とは和議を結び、隣国の安全を確保したうえで西へと進んでいく。
武田領と接するのは、徳川の遠江・三河、織田の美濃………………
信長とは、嫡男奇妙と晴信の娘松姫の婚儀が約され、表向きは友好関係にあった。
が、御山攻めの後から晴信の態度が変わる。
信長を「天魔ノ変化」と非難した。
天台座主であった覚如を迎い入れ、甲斐に延暦寺を再興しようとまでしている。
都では、公方様よりも、弾正忠のほうが大きな顔をしているという。
―― 不敬である!
―― 仏敵である!
昨年の神無月、晴信は甲府を立ち、西侵する。
理由は多々あるが、織田との同盟をも破って侵入するのは、領土拡大のためである。
それ以外は、あくまで表向きの〝大義〟にすぎない。
晴信は兵を三つに分け、美濃・遠江・三河へと侵入する。
これを信長と同盟関係にある徳川家康が迎え撃つ。
武田軍の勢いは凄まじい。
攻略に半年はかかるだろうという城を僅か数日で落とし、まるで猛進する猪のように、怒涛の如く進んでくる。
倍以上の兵力と勢いで侵入してくる武田軍に、徳川軍は守勢一方。
織田に助力を願う。
信長も、このまま西進する武田軍を、指を咥えて黙って見ているわけにはいかない。
徳川が敗れれば、信長の本貫である尾張へと侵入してくる。
海のない山暮らしの晴信にしてみれば、三河、尾張の良港は喉から手が出るほど欲しい。
信長にしてみれば、織田財政の大元である商業地帯をとられるのは拙い。
だが、浅井・朝倉軍と睨み合っている状況で大軍を動かすわけにもいかず、武田との同盟も優先して、信長は信盛や平手甚左衛門尉汎秀(ひらて・じんざえもんのじょう・ひろひで)に僅かの兵を与え、申し訳程度に助力に向かわせる。
結果からすれば、徳川・織田連合軍は大敗を喫し、武田軍のさらなる西進を許すこととなった。
さらにいえば、この戦で信長が目をかけていた汎秀も失う。