【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第二章「槻の木の下で」 後編 11
「おい、そこの子!」
不意に呼ばれたので下を見た。
皆忙しく働いている。
どうも空耳のようだ。
彼は、また埃を落とし出した。
するとまた、
「おい、そこの子!」
と声がする。
再び、彼は下を見たが、誰も呼んだ様子はないようだ。
「こっちだ、こっち!」
声がするのは、築地の中からのようだ。
彼は、反対側を覗きこんだ。
そこには、2人の若い僧侶が手招きをしていた。
どうも呼ばれているらしい。
弟成は、柱を器用に使って下まで降りて、僧侶たちの下に行った。
「ちょっと、一緒に来い!」
弟成は、2人の後ろに付いて歩いた。
「でも良いのか、奴婢を寺の中に入れて?」
「仕方ないだろ、俺たちでは手が大きくて入らないのだし」
2人の僧侶は、弟成を見て何やら話しているのだが、彼にはその声は聞こえていなかった。
彼はいま、夢の中にいた。
—— まさか、こんなにも早く夢が叶うとは………………
彼の目には、朱柱と白壁と格子が交互に流れていく。
そして、その格子の間からも、塔と金堂の朱柱と白壁が姿を見せていた。
弟成は、僧侶とともに東門を潜り抜けた。
彼の目の前に、白玉の海が広がった。
彼は、塔を見上げた。
天辺が見えない。
こんなに近くで塔を見たことはない。
飽きずに見上げる。
見上げすぎて、後ろに倒れこんでしまった。
「何をしている、こっちだぞ」
僧侶の声が聞こえたので、彼は慌てて立ちあがり、声のする方に入って行った。
そこは金堂だった。
入った瞬間、彼の目は金色の光に突き刺された。
—— こんなところにお日様が降りて来ていようとは!
「こら、こっちだぞ!」
僧侶の声がするが、目が痛くて開けることができない。
「お、お日様が目に入って、何も見えません」
「お日様? ああ、あれは、お釈迦様だ。目を瞑っていたら何も見えないのは当たり前じゃないか。ほら、目を開けてよく見ろ」
弟成は躊躇した。
また日の光が目を貫いたら如何しよう?
しかし、僧侶は早くしろと急かす。
彼は、ゆっくり目を開けていった。
ゆっくりと………………
再び日の光が飛び込んでくる。
しかし、その光は先ほどよりは柔らかかった。
彼は、目を開けて恐る恐る光り輝く方を見た。
そこには、金色に輝く人が座っていった。
弟成は、大王様だと思った。
前に、大王様は光り輝いていると聞いたことがあった。
それを思い出したのだ。
彼は、恐ろしくなって、その場に平伏した。
「おっ、なかなか殊勝な心掛けだ」
それは、先ほどの僧侶だった。
「だがな、そんなことをしている暇はないぞ。早く終わらせんと、見つかったお前も、俺たちも、ただでは済まされんからな」
僧侶はそう言うと、弟成を金色に輝く人の後ろに連れて行った。
「ここは狭くてな。俺たちでは手が届かないから、お前、手を突っ込んで埃を出してくれんか」
と、小さな隙間を指差した。
どうやら、金堂内の掃除に駆り出されたらしい。
弟成は、言われたとおりに隙間に手を入れて埃を掻き出した。
隙間に手を入れている最中、彼の目は必然と金色に輝く人の後ろ姿を見ている。
その人は、大きな日輪を背負っていた。
こんな人の傍に近寄れるなんて………………彼は、感動していた。
この後、弟成は金堂内の隙間という隙間に手を突っ込むこととなったが、その間中、ずっと金色の人を見上げていた。